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47 晩餐会

 二月末

 米国主催親善パーティへの招待状がくる。



 開会式同様バックレるつもりだった俺の耳に、聞き捨てならない情報が入ってきた。



(パリ生まれの料理長によるフルコースが出る、だとっ!?)



 幕末に飛ばされてから一ヶ月半。

 あたりまえだが、来る日も来る日も和食オンリー。


 じゅるる……洋食、食いてー。



 はっっ!!!

 これは、あきらかに罠だっっ!!


 本交渉でヤラれたんで、めずらしい撒きフレンチでおびきよせ、なにかよからぬことをたくらんでいるにちがいない。


 だとしたら、こちらの間隙をついて、日本に不利な要求をしてくるはずだ!


 そんなミエミエな術策にむざむざハマるバカがどこにいる?



「くそっ、ペリーめーっ!」



 食い気と国益――究極の選択。



 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 


 

 軍楽隊がかなでる聞きおぼえのある曲。


 アメリカ遠征隊旗艦ポーハタン号のデッキに特設されたパーティー会場には、フォスターのメドレーが延々と流れている。



 ――結局、食い気にまけた。



 宴会パーティにつきものの、主催者代表ペリーの長々しい自慢話兼あいさつと、旗艦艦長マックルーニーの切々たる苦労話兼祝辞が述べられる。


 晩餐にそなえて腹をへらしてきた俺は、この難行に必死でたえた。



 オッサンどもの長話が終わり、やっと開宴。


 再度、生BGMがはじまり、つぎつぎに料理が運ばれてくる。


 会津侯()や林さんたち高官は提督ルームで着席形式。

 その他は立食パーティ。


 そして、久々の洋食っ!



 ちきしょう……うまいじゃねーか!


 なんなんだ、このうまさは!?


 ニューヨークでも、こんなの食ったことねーぞ!


 さすが【パリ生まれ】の料理長!


 肉だけでも牛ほか数種類。

 ハムや魚、野菜くだもの、デザートまで。


 容さん(ハードウェア)ははじめて摂取する食物に、拒絶反応どころかおそろしいまでに順応し、全皿みごとに完食。


 幕臣、家臣ともにお口アングリ。


 ついでに、テーブルマナーも完璧で、さらにアングリ。


 コースの最後シメは、ケーキとコーヒー。

 これがまた、最高にうまい!



 あ~、しあわせ~。

 うまい物食ったあとって、ほんわかするよね~。


 お腹いっぱいで、ちょっと眠…………、



 っっっ!!!


 こ、これが、狙いかーっ!



 日本側交渉団おれらの神経を弛緩させ、不覚をさそうつもりかっ!


 よく適齢期のネーチャンがオバチャンどもに指南される、『男は胃袋でつかめ作戦』改良版だなっ!


 さすが、海千山千、老獪な軍人マシュー・ペリー。

 人間の弱いところを的確に突いてきやがる。


 しかも、こうなるとうすうすわかっていながら、のこのこ出席した己の浅ましさ。


 くっ、まんまと敵の思惑に……。


 食後のコーヒーの苦さに、敗北感の苦味もくわわる。




 だが、そうそうやつらの思いどおりにはさせないぞ。


 和親がなった以上、アメリカの次のターゲットは当然『通商』。


 今回の条約では、『通商』につながりそうな文言は徹底的に排除したが、ペリーはまだあきらめていないはずだ。


 うまい料理を堪能し、まったりしてるところを、一気呵成にたたみかけてくるつもりだろう。



[料理はお口に合いましたか?]


 いかついアメリカ人が危険な笑顔で近づいてきた。


(うわさをすれば……)


[まことに美味であった]


[おや? 酒は召しあがらないのですか? シャンパン、ワイン、ポンチ、リキュール、シェリー各種取りそろえておりますぞ]


 容さん()の前には水のグラスとコーヒーカップだけ。


 一方、幕臣方オッサンどもは何種類もの酒に挑戦なさったようで、テーブルにはワイングラスやらシャンパングラスやらグラスだらけ。



(……やはり、そうか)


 料理だけじゃなく、さらに酒の力で判断力をにぶらせ、通商の言質を取るつもりだな?


[わたしは、酒はたしなまぬ]


[そうですか]


 瞬時によぎる落胆の色。


[ところで、西洋料理がお気に召されたなら、また召しあがりたいとはお思いになりませんか?]


 予想どおり、そっちからきたか。


[通商をはじめれば、こうした料理がいつでも賞味できるようになります。食材も料理人も大量に入ってくるのですから]


[ああ、その儀なら、オランダ商館が西洋料理教室を開くことになった。なんでも、日本の食材で簡単にできる洋風料理を教えてくれるそうだ]


 ライバルの名を出しチクチク。


 ただし、料理教室はとっさにデッチアゲたホラだ。


[オランダが?]


[うむ、それに海軍創設でも……]



[閣ッ下ぁーっ!!]


 ひびきわたる絶叫。


[た、た、助けてくださいぃ~~~っ!]


 見ると、オリバーがオッサンに羽交締はがいじめにされている真っ最中。



(なにやってんの、おまえら?)



 相手は五十歳くらいの長身の侍。

 交渉団メンバーの目付、松坂萬太郎だ。



(相当デキあがってんな)



 松坂は勧められるままガンガン飲みまくり、目下ベロベロ。


 ハイになったオッサンは、近くにいたオリバーを強引にハグ。

 ついでに、ほっぺにブチューらしい。



[か、閣下……]


 涙目のオリバーが手を伸ばしてくる。



(ったく、このセクハラオヤジめがーっ!)


 懸命に通商をかわす俺の苦労もしらずに!



「松坂、やめるのだ。これ以上やると国際問題になる!」


 やおら立ちあがり、救援にむかう。


「おお、これは肥後守さま」


 ドロ~ンとした目線が、こっちに流れてくる。


「今宵は一段とお美しゅうございますなぁ~ ♡」


 ぞわぞわぞわぞわ。


「大奥の御中臈や吉原の花魁も、肥後守さまの美貌にはかなわぬと、もっぱらの評判ですぞ~」


「…………」


「肥後守さま~~~♡」



 オリバーをリリースし、容さん()めがけて来襲。



(ぐぇーーーっっっ!!!)



 お肌ぶつぶつ、ヒゲそりあと青々の不細工顔が急接近!


 その中心にあるタコの吸盤状のヌメヌメしたキモイ物体が突き出され、ハァハァと酒くさい息がかかる。



 やめてーっっっ!


 イケメンの大野ならまだしも(いや、残念ながら大野とさえまだだ)、あんた、ビジュアル的に絶対ムリだからーっ!



 恐怖のあまりフリーズ。


 回避行動も不可!


 憑依後、最大の危機っ!



(ジーザス!)



 諦念に身をゆだねた瞬間、



 ――フッ――



 一陣の風がふいた。



 ヌメヌメは接触寸前で急停止。


 仰向けにゆっくりしずんでいくオッサン。その額に走るなぞの赤い線。



 ……???……



「おや、失礼。当たってしまいましたか?」


 傍らの小姓頭の手には鉄扇が。



(やだ、ス・テ・キ♡)



「よういたした」


 近習は能面のまま会釈。相当ご立腹のようだ。


 俺もムカムカがおさまらず、赤線つきのオヤジを思いっきり蹴とばした瞬間、



 インスパイアーっっっ!!!



 ここ数日悩んでいた懸案が、スッキリ解消!



「冬馬、紙と……」


 さっと差しだされる巻紙と矢立。


 手早く二通の書面を作成。


 横からそれをのぞきこむ大野。


 瞬時に俺の意図をくみ取ったもよう。



「肥後守さま、なにがあったのですか?」


 ようやくさわぎに気づいた幕臣たちも到着。



 ――ちらり――



 傍らの忠臣と視線交錯。

 うなずき返す男。



「冬馬、もはや耐えられぬ……(うぐうぐ)……」


 言いながら、がばっとハグ。


「ど、どうなさったのですかっ!?」


 目を白黒させる林さま一行。


「口にするのもおぞましゅうございますが……」


 主君をひしと抱きしめつつ、冷ややかに吐き捨てる大野。


「松坂さまが酔った勢いで、わが殿にムリヤリ口吸いを……」


(『した』とは言ってねーよな、俺たち?)



「な、な、なんですとーっっ!!」



 全員、蒼白。酔いも一気に消散。



「かような辱めを……(ぅぅ)……死にたい……」


 大野の肩に顔をふせ、泣きマネ。

 こみあげる笑いを全力でこらえる。


「なりませぬ! 残りすくない殿のお命、すべて将軍家にささげたのではありませぬか?」


 持つべきは、賢く演技力バツグンの家臣だな。


「なれどご安心ください。『しゅ辱めらるれば臣死す』『君父のあだともに天を戴かず』。われら家臣一同、必ずや殿の遺恨、晴らしてご覧にいれましょうっ!」


 感極まったように叫ぶ大野。



「「「…………」」」


 幕臣団、絶句。



 全員に衝撃がいきわたったのを見はからい、第二波をおみまいする。


「……よい。酒の上のことじゃ。許してつかわそう」


 長いまつげをふるわせながら、痛々しくほほえんで見せる。


「だが、かような慮外者と同じ地にはいたくない。わたしは在米日本領事としてメリケンに赴くぞ」


「「「メ、メリケン?」」」


「「「在米領事、とは?」」」


 みなさん、話の展開にまったくついてこれず、オロオロおたおた。



「在米領事館とはメリケンに置くわが邦の藩邸のようなものじゃ」


 一転、簡単にレク開始。


「わが邦の利益のため、かの地において外交折衝や情報収集を行う拠点だ。先日来その構想を練っていたのだが、肝心の領事の当てがなくてな」



 ここ数日の懸念とは、まさにそれだった。


 今後のため在米日本領事館を開設したかったが、領事として派遣できるやつの目星がつかずいきづまっていたのだ。


 ぶっちゃけ、トップの領事はお飾りでいい。


 実際の諜報活動や外交折衝は、身分不問で優秀な随員をそろえる予定なので、領事には体裁上それなりの幕臣がすわってくれりゃ体裁が整う。


 というわけで、ぜひこの松坂をなんとかハメ……(ゲフンゲフン)……抜擢したいと思ったのだ。



 俺の意をくんだ腹心は、旗本たちに凄みのある笑顔をむけた。


「もし、それがしが松坂さまなら、殿のかわりに名乗りをあげましょう。なにしろこの邦にいるかぎり、われら会津家臣団に命を狙われつづけるのですから」


「「「!!!!!」」」


「わが家中の絆はどこよりも強うございます。殿が松坂さまをお許しになられても、腹の虫がおさまらぬ跳ねかえり者が四、五十人はおりましょう。それらが徒党を組み、討ち入りなどせぬとよいのですが」


「そ、そのようなことに相なれば、藩もただではすまぬぞ?」


 治安維持担当の北町奉行・井戸対馬守がしどろもどろに説得。


「このお役目、見事にやりおおせても、水戸さまから切腹を求められるは必定。切腹が先か病死が先か……いずれにしても殿には奥方も御子もなく無嗣断絶は確実。なれば、みなが最後に殿のご無念を晴らし、死に花をさかせたいと思うてもいたしかたなきこと」


「松坂が邦のために身を捨て、領事を引き受けてくれるならば、わたしも家臣どもを一心に説き聞かせ、翻意させうるやもしれぬのう」


「さようにございますなぁ、殿」


「なれどいくら邦のためとはいえ、いきなり異国に赴任するなど、ふつうの人間ならイヤであろうが」


「とは申せ、松坂さまのおふるまい、公方さまもさぞやご不快に思し召されるかと」


「さもあろう。ご勘気のあまり、お家断絶のうえ切腹などにならぬとよいが」


「公方さまは殿にはずいぶんとお目をかけていらっしゃいますゆえ、杞憂ではございませんぞ?」


「うむ、上は将軍家からの叱責。下はわが家臣どもの仇討。難儀よのぉ」


「「「…………」」」


 林大学頭たちは完全にメンタルがふっ飛び、呆然自失。



「……ぅう……」


 一同が凍りつく中、渦中のセクハラオヤジが覚醒。


「おや、みなさま?」


 床に起きあがったオッサンは、自分に向けられる冷たい視線に狼狽。


「なにか、ございましたか?」



「松坂殿、それがし感服つかまつった!」


 突然、人垣の中から声がわいた。


「まさに『尽忠報国の士』にございますな」


 海防掛目付・岩瀬忠震はハキハキまくしたてると、いつのまにか俺の書いた書面を手に男の前に。


「さあ、ここに署名を」



(……え……?)


 俺がドサクサまぎれにやらせたかったことを、なんで岩瀬が?


 岩瀬は、まだぼーっとしている松坂に筆をにぎらせ、強引にサインをさせた。


 二通に署名させた岩瀬は、放心する林に書面と筆をわたす。


「ささ、伯父上も」



(え、なに? 林さんと岩瀬って親戚なの?)



「あ……ああ……?」


 甥にうながされた林大学頭はじめ、井戸・伊沢・戸田の三奉行が二通の書類に記名。


「これでよし。では、条約に領事交換の項目を追加いたしましょう」


 いまだ乾かぬ墨痕を見、満足げにうなずく若手官僚。


「ご一同の合意のもと、初代在米領事には目付・松坂萬太郎殿がおつきあそばされることとなり申した。祝着至極」


「な、なんですとっ!」


 松坂ひとりが即座に反応。


「そ、それがしが、メリケンに!? そのようなお役目、イヤでございますっ!」


「なにをいまさら。先刻、ご自分で受諾するとの書面に記名されたではありませぬか? 団長として連署したわが伯父・大学頭と北町・浦賀三奉行の面目をつぶすおつもりか?」


 秀麗な顔の悪魔は『領事館設置についての上申書』『在米領事就任受諾書』の二通を、目の前でひらひら。


 そこにはもちろん、自分と交渉団役職者のサイン入り。


「そ、それは……!」



『面目』は武士にとっての最強ワード。


 面目を守るためなら、こいつらは簡単に自分の命を捨てたり、相手を殺すほどだ。


 上司の面目といわれ、オッサンが青くなるのも当然で、セクハラおやじも『面目発言』後はすっかり沈黙。



 さくさく話をすすめた岩瀬は、自分の部下をよびよせ、


「これを持ち急ぎ江戸に。ご老中の裁可を得てまいれ」


「はっ」


 足早に出ていく部下を見送ったあと、岩瀬はくるりとこちらをむき、


「では、これよりペルリとこの件につき談義いたしましょう。肥後守さま、お手数ではございますが通詞をお願いできまするか?」


「むろん」


 快く了承しながらも、俺は相手の心中をはかりかねた。


 こいつならさっきの芝居を看破しているはずだ。

 俺たち主従が松坂をハメて、領事にまつりあげようとしていたことはバレバレだろう。


 なのに、なんで協力してくれるんだ?


 しかも、「待ってました!」といわんばかりのこの手際のよさは……?



「岩瀬」


 俺のよびかけに男は目だけで答えた。


「なぜだ? なぜ、わたしに手を貸す?」


「なぜ、と申されましても。ただ、それがしは、侯にメリケンに行かれては困りますゆえ」


「困る?」


「侯がつぎになにをなさるか、おもしろうてなりませぬゆえ」



 おもしろいって、あんた……。



「さてさて、さっそく折衝をはじめますかな?」



 人の悪い笑みをきざんだ岩瀬は、状況がわからず呆然と立ちつくすペリーを見やった。

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