46 対蘭交渉
とはいうものの、オランダ側が第九条を放棄したというのは、ハッタリではない。
第一回日米公式会談は、結局あのままお流れとなり、つぎの日から両国に対する俺の工作がはじまった。
アメリカ側には仲良くなったオリバーを通じてゆさぶりをかけ、オランダはそれとは別に水面下でじわじわ交渉。
第二回日米会談があった十五日は、午前中はアメリカと、午後にオランダ商館長のクルチウスと会談した。
俺「オランダさんとは二百年以上の長いおつきあいですんで、アメリカなんかより、いい条件をつけてさしあげたいんですがねぇ」
クルチウス「ぜひ、お願いします!」
俺「でも、あの『片務的最恵国待遇』って、オランダさんに好条件与えたら、自動的にアメリカにも適用されるんですよね? だとしたら、オランダだけにってムリじゃないっすか?」
ク「あぁ、たしかに。じゃあ、アメリカには『片務的~』なしの条約結んで、うちの方にはソレつけてもらえれば全然OKなんで。アメリカ側との交渉では阻止するの手伝いますから!」
俺「ええ? アメリカがそれで納得しますかね? 自分の方にはソレついてなくて、おたくにだけついてたらクレームきませんか?」
ク「あんな新興国、なに言ってきてもシカトしときゃいいんですよ!」
俺「でもねぇ、じつはあっちからヘンな話、聞いたんですよ」
ク「ヘンな話?」
俺「オランダはいい子ぶってるけど、あんたらダマされてる。オランダはヒドイ詐欺師集団だって」
ク「ダ、ダマす? 詐欺!? し、失礼なっ!」
俺「あいつらが言うには、『日本の金銀交換比率は国際標準とちがう。オランダは長年不当に安く金を手に入れ、ずいぶんウマイ汁吸ってやがる。そんなやつら信じてたらいつか痛い目に合うよぉ! うちならそんなことしないんだけど~?』ってね。これ、ウソですよね?」
ク「…………」
俺「ええっ、ホントだったんだ? うわっ、信じてたのに……マジで引くわ~」
ク「あ、いや、それには深い事情が……」
俺「ヤダ、もうだれも信じられない……(ブツブツ)……こうなったら総力あげて攘夷戦だわ。まずあんたらの需要が多い養蚕業全部ブッ潰して、東南アジアのオランダ領に日本の鉄砲大量に密輸しよう。武装蜂起そそのかして、ガンガン煽りまくって……独立の機運を……(ブツブツ)……」
ク「な、なんで!? 鉄砲輸出しちゃったら君たちどうやって戦うのよ?」
俺「刀と槍でがんばりますよ。いざとなったら桜の花のようにいさぎよく散るのが、日本の滅びの美学ってやつなんで」
ク「そんな物騒なこと、考えちゃダメですって!」
俺「じゃあ、第九条なしでいい?」
ク「いや、でも、ソレは……」
(くそ、しぶといな。じゃあ、とっておきのネタを)
俺「なんか聞いたところによると、オランダって一度地球上から消滅しちゃったらしいですね? そのころオランダ国旗ひるがえってたのは、唯一日本の出島だけだったとか。列強のみなさん、これがツボにはまってもう笑死寸前だったって、アメリカさんがチクってきましたよ」
ク「……あ……」(滝汗)
俺「な~んてね。じつは知ってましたよ、当時から」
ク「う、うそ!」
俺「むふふ。日本の情報収集能力、甘く見ちゃいけませんよ。ぜんぶ知ったうえで、気づかないフリしてあげてたんです」
ク「な、なんで?」
俺「え~、だって、当時のオランダ商館長ドゥーフさん、バレないように必死にかくしてたらしいし。なのに、それ指摘しちゃかわいそうじゃないですか? だから、みんなでドゥーフさんに合わせてあげたんですって」
ク「そうだったんですか、バレてたんですか、なんか、ちょっとショックかも……」
俺「ま、昔のことはもういいですよ。とにかくうちとしてはオランダさんと対等な立場で手を組んで、これから国際社会で生き残りをはかりたいんです。海軍も作りたい。もし協力してくれたら、極東でオランダが困ったとき助けてあげますよ。悪い話じゃないでしょ?」
ク「でも……」
俺「ここだけの話、チャンスさえあればオタクだって清国に進出しようと思ってません? なら、極東でなんかあったとき、ヨーロッパからはもちろん、バタヴィアからだって、船団組んで派遣するのはちょっとたいへんですよ? 日本からなら、アッという間なんですけどねぇ。そういえば、フランスも国内は安定してないみたいだし、このままだとアジアではイギリスだけ突出しちゃいますよ? オタクが最近取りもどしたばかりの植民地だって、またイギリスにブン取られちゃったりするかも? わっはっはっは、こりゃ一大事だ~!」
オランダはナポレオン戦争の影響をモロに受け、ヨーロッパの本国だけでなく、アジアにあった植民地も一度失っている。
ウィーン会議のあと、ふたたび独立国家となったオランダは、イギリスの統治下に入っていたいくつかの植民地を取り返すことにも成功した。
だから、コレはけっこうリアリティのある脅し文句だったりする。
案の定、オランダ商館長のおでこには大粒の汗が。
ク「すこし考えさせてもらってもいいですか?」
オッサンは苦渋の表情で返事を保留。
数日後の対蘭非公式会談。
俺「なんかアメリカさん、第九条放棄してくれるかも。それならうちはアメリカと組むんで、オランダさんはもういいですよ」(嘘八百)
ク「まさかっ!?」
俺「オランダさん、いままでホントありがとね。いろいろお世話になりました。どうかお元気で。さようなら」
ク「ちょっ、待って! そんな殺生な」
俺「殺生もクソもありませんよ。こっちもいっぱいいっぱいなんだもん。ああ、そうだ、出島せまいんで、アメリカと条約結んだら出てってもらっていいですか? あっちが入居したいそうなんで」
ク「わ、わかりました。第九条放棄します。海軍創設も協力します。だからうちとは同盟結んでくださいね?」
俺「あ、そう? なんかムリ言っちゃった? ごめんね」
ってなわけで、オランダとの交渉は無事成立。
オランダはアメリカとの次回交渉時に立ち会い、第九条阻止に協力することも約束してくれた。
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二月二十六日
第三回日米公式会談において、アメリカ側は第九条を放棄。
このとき日本政府は、オランダ商館長からさまざまなアドバイスをうけ、交渉を有利に運ぶことができたのだった。




