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45 秘書官 オリバー・ペリー

 御座船の舷側が黒い壁にぶつかった。


 小舟におろされた長い梯子をつたい、タールで塗装された黒い壁面を登っていくと、大きな外輪の横あたりから、上空がぽかりとひらけてくる。


 最上段に近づくと、すかさず数名のアメリカ兵が手を差しだす。



[大儀]


 上船の介助をした若者にほほえみかける。


 俺の笑顔に、頬をそめてはにかむ金髪の兵士。


 なにしろ、容さんのビジュアルはグローバルスタンダード。

 米国艦隊内にも会津侯ファン急増中なのだ。



[お待ちしておりました]


 甲板に整列した兵の群れから、ひとりの青年が進みでる。


[今日は世話になる]


[いえ、船内の案内などご要望があればいつでも。それにしても、日本人の好奇心・向学心のつよさには毎回おどろかされます]


 青年と談笑しながら、黒船のデッキを歩く。


[礼として、おまえがほしがっていたものをやろう]


 そう言って、供に持たせた大徳利をわたす。


 中身は江戸の幕閣に手配してもらった御用牧場の牛乳。


[ありがとうございます。しかし、貴重な牛乳も、閣下なら簡単に手に入るのですね。さすがです!]


[いや、わたしは公方さまにお願いしただけだ。公方さまは慈悲深い御方ゆえ、牛乳を飲む習慣があるおまえたちに、とくに便宜をはかってくださったのだ。日本では、牛乳は将軍家の御薬の材料として使われるだけ。これは格別なご厚意だ]


 かなり盛り気味に恩をきせる。


 ささいな会話の中にも公方さまの権威と恩情をアピールし、『君たちは特別』感をくすぐり、ふところ深く飛びこむ。


 そう、これは調略なのだ。



 交渉初日、ペリーと対立しまくった俺。

 このままでは、交渉決裂は必至。不平等条約締結阻止どころか、日米開戦まっしぐらだ。


 そこで、事態打開策として考えたのがこの作戦(コレ)


 ギスギスやりあった提督ペリーと和解するのではなく、歳も近く、頑固ジジイよりは話もしやすそうな提督付秘書官――父に同行している息子のオリバー・ペリーを籠絡することにしたのだ。

 


 最初はあいさつ程度から徐々に接近し、軽い会話をかわす仲に進行。


 容さんの高貴そうな身分に相手が興味津々だったのも好都合だった。


 若者同士、フレンドリーな雰囲気ムードになったとたん、


[閣下の御家系は日本国王(将軍)とはどのような御関係なのですか?]


 オリバーがいきなり聞いてきた。


 米国艦隊周辺の警備兵たちがいつも喊声をあげながら会津侯()を迎えるのを見て、


「あれ? もしかして、とてつもなくエライ人なの?」と、思ったらしい。



 俺が他藩にまで声をかけているのは、単なる気まぐれと自己満足によるもので、向こうがノリノリで「エイエイオー」してくれるのも予想外だったが、オリバーくんはすばらしい方向に勘ちがいしてくれたようだ。


[大したことはない。国王の子孫というだけだ]


 あえて何年前のとは言わなかった。


 容さんのご先祖は、二世紀半前の将軍庶子・保科正之。


 だが、この時代は、二代前の家斉庶子の大名はいまでも数人健在だし、孫は前田家や浅野家などあっちこっちにゴロゴロしている。

 会津松平家なんて将軍家本流から見たら、血統的には他人同然なのだ。



[そうでしたか。やはり、かなり高貴な御方なのですね。だから兵たちもあのように!]


[いやいや。ただの《国内最強軍総帥》だ]


 完全にハニワ状態のオリバー。



 そこでトドメの一発。

 一気に距離を縮めるための秘策を発動。


[これをおまえにやろう]と、プレゼント贈呈。


 いかにも外国人が好きそうな、螺鈿らでん象嵌ぞうがんでコテコテに飾りまくったド派手な短刀を、仰々しく桐の箱に入れて渡す。


[これは五百年前から当家につたわる家宝だ。ぜひ受け取ってほしい]


[ご、五百年っ!? 家宝っっ!]



 ぷっ、五百年前の徳川家祖先なんて、どこのどいつかも不明だわ。


 おまけに家宝っていうのもウソ。

 収蔵庫から一番ハデハデなのをテキトーに選んできただけだ。


 だが、建国浅いアメリカの若者に『五百年』『家宝』のキャッチコピーは最強だったらしく、


[なぜ? なぜ、このような逸品を私にくださるのですか?]


 感激マックスで、刀を持つ手もブルブル。


[おまえが大そう孝行者なのでな。このような極東の地まで父を助けるため供をするなど、そうそうできることではない]


[いえ、それほどでも]


 相好をくずし、マンザラでもなさそうなオリバーくん。


[それにな、うらやましいのだ]


 哀感をたたえ、目をふせる。


[うらやましい、とは?]


[わたしの父は二年前に急死した。わたしも父の傍らで働き、いささかなりとお役にたちたかったが、その望みはもうかなわぬ。かわりにおまえの孝心を賞してやりたくてな]


 さびしそうに笑って見せると、青年の顔がくしゃくしゃになった。


 この時代のアメリカ人は家族の絆がとても強い。

 親子愛系センチメンタリズムが狙いどおり胸を直撃したもよう。


[こ、公爵閣下……]


[だが、このことはおまえの父には言うなよ。わたしも提督も互いに国の代表として対峙する者同士。おまえへの好意は私情。公務とは切りはなすべきだ]


 けなげで高潔な貴人像を構築。


[私は恥ずかしい。この国の民はすべて無教養な蛮人だとばかり思っておりました。閣下のようにご立派な御方に、いまだかつてお会いしたことがございませんっ!]


[おまえも立派な若人ではないか。わたしはおまえを大事な友と思っているぞ]


[光栄でございます、閣下っ!]


[われらの友情は不変。だが提督には絶対内密に、な]



『ここだけの話』が守られないのは世の常で、案の定、オリバーとの会話は逐一ペリーにも伝わっているようだ。


 その一方、ペリーに対しては決して狎れたそぶりを見せず徹底抗戦する。



 つまり、『ツンデレ風・将を射んと欲すれば作戦』!



 ペリーは、会津侯()が見せる二面性にしだいにふりまわされはじめた。




 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 



 同行したメンバーのほとんどは、士官の案内で外輪蒸気フリゲート・旗艦ポーハタン号内部を見学しに行った。



 一方、俺と近習三人は豪華な艦長室に招き入れられ、ミルクたっぷりのコーヒーをふるまわれながら、楽しい語らいのひとときを過ごす。



 条約交渉もそろそろ終盤。いままで仕込んだタネが相当イイ感じに育っているはず。


 会話が途切れた間隙をついて、奇襲を開始する。



[ところで、オリバー、条約締結の件だが、じつは困ったことになってしまった]


 憂いをおびた表情でポツリ。


[どうなさったのですか?]


 つられて不安におちいるペリーくん。


 よしよし、いい感じ。


[まことに言いにくいことなのだが……オランダに先を越されそうなのだ]


[オ、オランダにっ!?]


[かの国は、われらの要求をすべて呑むと言ってきてな]


 悲しそうにうなだれながら相手のようすをチラ見。


[第九条は削除してよい、と言うのだ]



 第九条というのは、例の『片務的最恵国待遇』条項のこと。


 <日本政府、外国人へ当節『相手国名』人へ差し許さず候かど相許し候節は、

 『相手国名』人へも同様差し許し申すべし。右に付、談判猶予致さず候事>


 日本が当初〇〇国に許していなかった条件を、のちに別の△△国に許した場合は、あらためて交渉し直さなくても同じ条件を〇〇国にも許す――というものだ。



[二国の条約が同じ内容ならば、友人であるおまえの父に『世界初・対日外交交渉に成功した偉大な全権』の称号を授けてやれたのだが……]


[なんとかなりませんか?]


 オリバーは身を乗りだし、必死に懇願。


[退役間近の父はこの任務を成功させ、最後の花道をかざりたいと思っているのです!]


[無理だ。オランダが日本にとって有利な条件を提示してきた以上、そちらと和親条約を結ぶしかない。

 なにしろ提督は、第九条は絶対に死守すると頑なに主張している。わたしも国益に背いてまでアメリカを優先させることはできかねる]


[そんな……まさか……]


 ドサッと椅子に崩れ落ちるオリバー。



[他国に先がけて日米条約が成れば、そのかがやかしい名声は末長く後世にまで残ったはず。たぐいなき最高の栄誉とともにおまえの父も現役を退くことができたろうに]


[ああ、なんということだ]


 両手の中に顔をうずめる失意の青年。


[ただ、わずかながらチャンスは残されている。唯一の……最後の機会だが]


[本当ですか? お願いです! 教えてください!]


[明日二十六日、第三回日米公式会談が予定されているが、そのときアメリカ側がオランダ同様、第九条を放棄すればなんとかなるかもしれない]


[ほ、放棄っ!]


[しかし、提督が同意するとは思えない。そうなれば、気の毒だがオランダとの条約締結が先になる。また、放棄しない以上、おまえたちがどれほどこの地に留まろうと条約を結ぶわけにはいかない。提督の野心は、成就しないまま終わるだろう]


 そこで言葉を切り、心から同情するふり。


 眼前にはいまにもブッ倒れそうなオリバーくんが。


[長崎ではロシアも対日交渉を待っている。第九条にこだわりつづければ、オランダだけでなくロシアにまでおくれをとるぞ。たとえその後、条約を結んだとしても、三番目ではもはや人々の耳目を引くことなどないであろうな]



 静まりかえる室内。



(さぁ、どうする?)



 オランダ商館長のクルチウスをわざわざ長崎から呼び寄せたのは、この日のため。


 二国同時に交渉のテーブルに乗せ、ライバル心をあおって双方から譲歩を引きだすというのが俺の目論見。

 ペリーの砲艦外交に対抗するための、最大にして唯一の切り札がオランダの存在なのだ。


 

(ふふっ、せいぜい悩んで、いい答えを出してくれよ、アメリカさん)


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