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44 長州脱藩浪士 吉田寅次郎


 吉田寅次郎 ―― というより、号の『松陰』で有名な男は、討幕側の中核・長州系攘夷志士製造所『松下村塾』の実質的主催者で、いうまでもなく会津藩と容保にとって完全無欠パーフェクトな敵キャラだ。




 なんでそんなやつがここにいるかといえば、それはさかのぼること一日前。


 交渉の裏面工作と即売会準備に忙殺されていた会津侯()のもとに来客が来た。



「おお、来たか!?」


 奥座敷からいそいそ玄関へ。


「岩崎!」



 ひろい土間に立つ数人の男たち。



「待ちかねたぞ」


「……肥後守さま」


 総髪のイケメンくんが、ぎこちない笑顔でこちらをふり返る ―― なぜか、助けをもとめるような目で。



「……む……?」



 あれ? たしか招待したのは蘭学者三名のはずだが?


 うす暗い土間には、五人の男が。



「それは誰だ?」


 余計なのが混ざってませんか?


「これは、知人で……」



 刹那、ゾワゾワゾワゾワ寒疣さぶいぼ発症。

 本能が、未知の危険を警告する。



「佐久間象山先生の塾で同門の……」


「長州の吉田寅次郎と申します!」


 二十代後半のつり目の侍が、意気揚々と名のりをあげる。



(ち、ちょちょ、長州のよし、よし……吉田ーっ!?)



 一瞬でフリーズ。



(まさか、吉田松陰じゃないだろうな!?)



「…………」



 残念ながら、そのようだ。


 ウンチク集『倒幕側メンバー編』で見た肖像画とそっくりな顔がそこに。



 呆然と立ちつくす主君()


 それとは対照的に、どんどんエキサイトしていく家臣たち。


「お許しもなく殿に直答するなっ!」


「「「不埒千万っ!」」」


 いつもの熱血SPトリオの右手はすでに刀の柄に。

 早くも臨戦態勢だ。



「申しわけありませぬ! 申しわけありませぬ!」


 コメツキバッタ化した出石藩士・岩崎尚之介は、この緊迫した空気にたえきれず、早くも半泣き。


「どうやら江戸からずっとつけられていたようで、さきほど門前でつかまりました!」


「「「つけられただと?」」」


「いよいよもって胡乱うろんなっ!」


 殺意沸騰!



はやるなっ!」


 同僚を制しつつ、主君を背後にかばう小姓頭。


「おい、吉田とやら」


 大野の口調は不自然なほど静穏だが、ほとばしるすさまじい気魄は、剛勇でならした会津武士団をも射すくめた。


「なにが目的だ?」


「岩崎殿が黒船見物をさせていただくと聞きおよび、同行をお願いしにまいりました」


 尋常でない敵意をむけられながらも、ひょうひょうとほざく松陰先生。



 なぁ、どっから漏れたんだよ、その話?


 今回の招待は、岩崎たち蘭学者サイドから、「蒸気船見学した~い」との強いリクエストにお応えしたものだ。


 アンチョコ作りに協力してくれたみんなへのご褒美であると同時に、理系獲得のための釣餌で、関係各所にいろいろ申請書だしまくり頭をさげまくって、ようやく実現したお宝企画なのだ。


 とはいえ、国家の存亡をかけた外交交渉場バトルフィールドに外部の人間を入れるわけで、少人数・こっそりが大前提。


 初対面のやつまでホイホイ連れていけるようなお手軽ツアーじゃないんだけど!



(尚ちゃんのバカ!)


 こーゆーことになると困るから、「みんなにはナイショね?」って言っておいたのに。



 しかも、長州の吉田松陰?



『いま絶対会いたくないやつ十傑ベストテン』を選んだら、上位入賞まちがいなしな人物。


 不平等条約阻止のため、懸命な工作活動中の現在はとくに!


 面倒くさいどころじゃねー! 

 最悪の展開だっ!



 黒船見物だと?


 そんなの、絶対うそだろ。

 天下の吉田松陰が、ただの社会科見学でこんなとこにくるわけがない。



 このタイミングでここにきた理由は、たぶんつぎのうちのどちらかだ。


 一)史実どおり米国船への密航をたくらんでいる


 二)後年こいつの弟子たちがやらかす『攘夷』という名のテロ。

   つまりペリー暗殺!



 この大事な交渉中に!


 …………いや、いまだからこそもっとも効果的なのか?


 使節団長が暗殺なんてことになったら、イヤでも交渉決裂だ。


 攘夷派にとっちゃ願ってもない帰結だが、そうなったら幕府どころか、日本自体がおしまいだ!




「異人を斬るつもりではあるまいな?」


 刹那、全視線が吉田に集中するが、


「滅相もございません」


 ニイチャンは、顔色ひとつかえずに否定した。


「もし、さようなことに相なれば、わたしは責任を取って腹を切らねばならぬのだ」


 俺の言葉に、なんの感情もない目で見かえす男。


 ヌルイ世界しか知らない俺には、その心底をさぐるのはまず不可能だ。



 ああ、そうかい、わかったよ。

 じゃあ、搦手からめてから攻めてやろうか?



「だが、その折には、決してわたしひとりでは死なぬ」


 妖艶なほほえみとともに、かわゆく宣言。


「いかなる手を使ってでも大膳大夫だいぜんのだいぶを道連れにさせてもらう」

 


 大膳大夫とは、長州藩主・毛利慶親のこと。


 てめえが妙なマネしやがったら、そっちの殿様も無事じゃすまないからな!



 あっちの世界の毛利さんは、禁門の変やら長州征伐やら、ハラキリ必至な状況がいっぱいあったにもかかわらず、まんまとうまく逃げおおせた。


 だが、今回は頭もいいが、性格もいい(ちがう意味で)、大野冬馬という追撃機つきだ。


 もし、容さん()が詰め腹切らされたら、こいつは復讐のため徹底的に毛利を追いつめるだろう。



「やってくれるな、冬馬?」


「御意。毛利さまのみならず、長州一藩そっくりそのまま、必ずや地獄の底までお供させましょう」


 不敵な笑みで、頼もしくうけあう忠臣。



 ホントほれぼれするよ、そのドSっぷり。



 …………ん?

 

 地獄?

 地獄に供って、どーゆーこと?

 まさか、ボクみたいな善人が地獄に落ちるとでも……?



「異人を斬るなどと。まことに黒船が見たいだけでございます」


 張りつめていた吉田()の表情がくずれる。


 自分の軽挙がまわりにどんな影響をおよぼすか、やっと気づいたようだ。



 吉田寅次郎こと松陰先生。

 あっちの世界と同じなら、いま名目上は脱藩浪士のはず。


 おととし、友達と「東北いこ」と約束したものの、出発日までに藩の過書手形(関所手形)発行がまにあわず、手形を持たずにGOした吉田は、この行為が脱藩とみなされて、士籍はく奪のうえ家禄没収されているころ。


 ところが、藩主・慶親は、松陰十一歳のとき(!)御前での兵学講義をして以来、吉田くんが大のお気に入りで、脱藩行為をし、実家預かりになっている浪士・松陰に、諸国遊学の許可を出し江戸出府の便宜をはかるなど、手厚いサポートをつづけた。


 この大恩ある殿様に迷惑をかけるとなったら、吉田くんも多少逡巡するだろう。


 俺の読みがあたったのか、男の目の狂気じみた光が弱まる。



「その言、信じてよいのか?」


「神かけて」


「では、同行を許可しよう。ただし、ひとりだけだ。刀も短銃も武器は一切携行させぬ」


「承知つかまつりました」


 吉田はふかく頭をさげると、さっそく腰の刀を抜いて会津側に渡した。


 吉田の連れもそれにならう。


 こっちは商人出身の『金子』という若者で、松陰の弟子だという。


 でも、かわいそうだが、こいつまで見学会に連れていくわけにはいかない。



 SPたちはふたりの身体検査をし、ほかに銃器類などないかを確認する。



(……待てよ)


 吉田の狙いが、暗殺じゃなくて、密航だとしたら?


 俺が総責任者になっている今回の交渉中に、勝手にアメリカ艦に潜りこまれて、密航なんかされたら、管理責任を問われて、腹を切らされるハメになりかねない。


 だったら、ヘタに野放しにしておくより、近くで見張ってた方がいいんじゃないか?



「黒船見物は明朝、即売会が終了しだい出発する。今宵はそなたらもここに泊まるがいい」


「かたじけのうございます」


 草鞋をぬぐため裏口に去っていく男たち。


 その背を見ながら俺の頭はフル回転。

 今後の対策を講じた。



 そうだ、いい方法がある。 

 公方さまや会津藩にとって、とびきりいい方法が。


 くくくく。なんだこれはピンチじゃなくて、ビッグチャンスだったのか。


 これがうまくいったら、幕末史は確実にかわる。


 会津藩も、ビンボーくじから永久に解放される!



 なら、神様が与えてくれた千載一遇の名案プランに乗ってやろうじゃないか。

 コレを上手に処理すれば、会津の不幸な未来は必ず回避できる!


 よし、ここが正念場だ!



 こうして俺は、またもや大きな課題をかかえこむハメになったのであった。



 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞



 即売会は、開始から一刻(約二時間)で終了。


 オリジナルグッズは、今日も完売。


 さすがの吉田くんも最後は大野といっしょに赤べこ包装業務に従事し、みなさまのご協力のもと、大量の在庫も一掃された。


 これで心置きなく黒船見学ツアーに出発できる。


 会津侯一行(俺たち)はギャラリーがつくる花道を船着き場まで騎行し、御用船五隻に分乗した。


 そんなこんなで、いまは湘南の海を航行中だ。

 早春の海はまだすこし肌寒い。



 無数の哨戒艇が見えてくる。


 春風になびく各藩の幟の波。


 艀に声がとどく近さになったころ、船底をふみしめ、ゆっくり立ちあがる。



 会津侯()の姿をみとめた海上の兵たちは、口を閉ざし、全員こちらに注目する。



「川越藩一同、大儀である」


「「「エイエイオー!」」」


「彦根の衆、みな息災か?」


「「「エイエイオー!」」」


「忍藩兵、身体をいとえよ」


「「「エイエイオー!」」」


「またなにか差し入れてやるゆえ、みな励んでくれ」


 再度元気な「エイエイオー」でいいお返事。



「そして、わが会津の臣たちよ!」


 最後に会津葵の船団にむかって叫ぶ。


「「「エイエイオー!」」」


 ひときわ大きな喊声。


「そなたらの勇武、誇りに思うぞ!」


「「「エイエイオー」」」 ✖ 十回。



 じつは、初日以来このエール交換がちょっとクセになってしまって……この喊声が、なんつーか、快感つーか高揚感つーかで、ついつい……。

 

 そんなこんなで、毎朝毎夕船で往復するたび、会津藩士たちに声をかけるのが自然と習慣になり、日を追うごとに、徐々に隣接する他藩にまで範囲が拡大し、ルート上の各警備隊にもごあいさつの声かけがデフォになってしまったのだ。



 それにしても、今日もみんな元気でなにより!



 ところが、これが目付の岩瀬忠震にバレたとき、やつはなぜか強烈にダメ出ししてきやがった。


「他藩の兵となじむのはおやめなさい」


 岩瀬は一部のファンから「義経さま♡」とよばれる端正な貌をしかめ、苦言を呈した。


会津侯あなたさまに他意はなくとも、他家がこれをどう思われるか……お若い侯には忖度そんたくできぬ機微もあるのですぞ?」



 んだよ。べつに強制なんてしてねーのに。


 日がな一日変化のない海上警備で、みんな飽き飽きしてんだよ。

 ちょこっとあいさつするくらいいいじゃん?



 ムッとしてだまりこんでいたら、陰険な目つきでにらまれた。



 また、先日は各藩陣屋に会津名酒の差し入れをしたら、さらにしつこいお小言ときついイヤミ。


「他藩の歓心など買って、会津幕府でも開くおつもりですか?」



 つまり、『よその兵まで手なずけて、大兵力動員で倒幕でもする気なのか?』ってことだろ。



 すげー想像力だよな!


 俺はただ、寒い中毎日みんながんばってるから、陣中見舞したかっただけなのに!



 まぁ、たしかにこれをきっかけにうちの特産品を気に入ってくれて、リピーターがどんどんふえたらガンガンもうかるなー、とは思ったけどさ。


 実際そうプレゼンして、国許の造り酒屋には大量の酒をタダ同然で提供してもらったし。



 いやいや。これは地場産業振興の販促の一環。

 いってみれば、試飲会みたいなものだ。


 だから、全然うしろめたくなんかないぞ!



 にしても、目付ってヤツは、マジでイヤな人種だよな!



 目付には大きくわけて2種類ある。


 旗本・御家人を監視する『目付』と、大名・朝廷を担当する『大目付』だ。


 ざっくりいうと両方とも、


「謀反をおこしそうな怪しいヤツはいないか」


「規則違反してる不届き者はいないか」を監視するのが役目。


 たとえるならば、現代の公安警察的な仕事か?



 だから職業柄、そういう目でしか人を見られないのかもしれないが、こんな善意にみちあふれたボクの行為が倒幕計画だなんて、どこをどう解釈したらそうなるんだ?


 会津なんて、幕府にとって一番使い勝手がいいパシリ藩じゃねーかよ!


 将軍さま第一の御家訓もあるし、これ以上安心な藩がほかにあるか!?



 岩瀬は目付といっても海防掛目付だから、むしろ外交官に近い職種だ。


 それでもこんなこと言ってくるんだ。



 あの糾弾会以降、岩瀬はなぜか俺にぴったりはりついてくる。


 今朝のように予定が合わなくて横浜通いの時間がズレるとき以外は、いつも俺の船に同乗して、するどい眼で会津侯()の一挙手一投足をじーっと観察している。



 もしや、危険人物として、がっつりマークされてるのか?



 こいつは、俺のアヤシサ1000%の言い逃れをどうやら見抜いていたらしいのに、それについてはなにも言ってこない。

 それがかえって不気味だ。



 やれやれ、なんでこうも逆境つづきなんだ?



 横浜村の砂州が近づくにつれ、俺の心は重くしずんでいった。 

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