43 嘉永七年二月二十五日
嘉永七年二月二十五日
アメリカとの条約交渉がはじまってから、ちょうど半月。
第三回公式会談は、明日二十六日に開催予定なので、本日、会津侯の出番はなし。
とはいえ、こういうときこそ水面下で暗躍する絶好の機会なのに、どうしてこうも、なんだかんだ面倒くさいことが起きるんだろう?
太陰太陽歴の二月下旬。
グレゴリオ暦では三月下旬ころ。
最近は朝の冷えこみもゆるみ、ずいぶんしのぎやすくなってきた。
明け六つ 卯の刻(午前六時頃)、神奈川宿本陣の正門がゆっくりと開けられる。
東の開口部から春あさい光が敷地いっぱいにさしこみ、芽ぶいたばかりのちいさい草花にあたたかい陽光のシャワーをそそぎはじめる。
そんなおだやかな風景とは対照的に、門前はすでに老若男女でびっしり。
みんな朝からヤル気まんまん。人いきれムンムン。
「待たせてすまぬな」
小姓組ナンバーツー浅田忠兵衛が、群集にむかって声をかける。
「まもなくはじめるゆえ」
浅田は二十四歳。
小姓歴は大野の次に長い。
「そなたら今日もきたのか?」
浅田が話しかけたのは、最前列のギャル三人組。
こいつらは連日、夜明け前から門前で出待ちする常連。
自然と浅田とも顔見知りになったようだ。
「毎朝精が出るなぁ」
独身の浅田くんは、しばしギャルたちと楽しげにきゃいきゃい。
「忠兵衛ぇ!」
炸裂する怒号。
式台で仁王立ちになる小姓頭。
「油を売るな! はじめるぞ!」
それを合図に門内に人がなだれこむ。
「順番を守れっっ!」
もはや耳を貸す者などひとりもいない。
「それ、ください!」
「これ、おいくら?」
「わしが先じゃ!」
「アタシが先よ!」
本陣玄関はいまやバーゲン会場さながら。
殺気と銭が飛びかう戦場だ。
(今日も、大盛況 ♡)
日あたりのいい広縁から、修羅場と化した玄関を遠望し、ニンマリ。
ひひひひ。笑いが止まらねぇ。
え? おまえらなにやってんのか、って?
じつは、コレ、『会津特産品展示即売会』なんです!
では、なんでそんなことになったかというと、初日の騎行が衆目をあつめてしまった会津侯一行。
それからほぼ毎日、公式会談がない日も俺たちはせっせと横浜通い。
もちろん、対米工作のための往復だ。
そして、数日後、俺は、ふとあることに気づいた。
(なんか日を追うごとに、見物人ふえてないか?)
そこで、家臣どもに命じて、あちこちで探らせたところ、意外な事実が判明!
なぬ? 容さんの追っかけ?
『毎朝夕、神社前船着き場にあらわれるキラキラ美形貴公子』
これが、いま神奈川宿中の話題になっているとか。
とくに、女子たちの間で。
ああ、そういえば、宿舎の眉なしお歯黒オバチャンたちが、庭掃除のふりしてしょっちゅう奥座敷の中をチラチラきょろきょろしてて、ずっと気になっていたけど、あれもそうだったのか?
でも、沿道には男も多かったよね?
……ま、大らかな時代だからね、江戸時代は。
近代、男同士がヘンタイ視されるようになったのは、明治以降流行ったキリスト教の影響らしい。
薩摩みたいにムリヤリっぽいのはアレだけど、双方合意の上ならそれはそれで……現代人の倫理観で見ちゃダメなんだ……(ブツブツ)……むしろこのころは、女色より男色の方が「男らしい!」と思われてたフシもあるし……(ブツブツ)……。
容さんに憑依してから、早一ヶ月以上。
俺も、江戸時代の風習に多少なじんできたので、そーゆー世界がちょっと理解できるようになった。
いや、ちょっとどころか俺自身、すっかりどっぷりずぶずぶハマってるような……なんたって、アレ以来、『容さんのテディちゃん』を毎晩愛用してるわけで。
たしかに、アレは衝撃の一夜ではあった。
でも、よくよく考えてみたら、あんな超虚弱体質の容さんがいままでなんとか生活してこられたのは、『歩く酸素カプセル』を所持してたからでしょ?
しかも、この『カプセル』、仕事もできるハイスペック健康機器。
夜は、超熟睡安眠確約・劇的疲労回復効果を。
日中は、あらゆる分野の仕事を安心して任せられる理想的な能吏。
一度試したら、もう二度と手放せません!
ボクがヘンタイなんじゃない。この身体がイケナイんだ。
等身大『テディちゃん』なしでは生きていけない、この呪われた身体がイケナイんだ!
(最近は卒業してたってウワサもあるけど……)
しかしなにより、そんな容さんに憑依させた神様がイケナイんだ!
だから、あんなことやこんなことさえしなきゃ、別にいいんじゃね、ソレくらい……(ブツブツ)。
はっ!?
だれに言いわけしてんだ、俺?
おっと、松平容保目当てのギャラリーがふえたって話、途中でした。
(容さん見たいってやつがこんなに多いなら、コレ、商売になるんじゃね?)
俺の鋭い直観がビンビン反応した。
(この野次馬どもに、なんとか金を落とさせる方法はないか?)
……???……
っっっ!!!
会津の特産品、売ればよくね!?
でも、在庫かかえて失敗したらシャレにならない。
ってことは、生ものはダメだろ?
売れ残っても大丈夫そうなものって……おお! あれだっ! あれがあるじゃないか!
会津のマスコットキャラ、『赤べこ』と『おきあがり小法師』が!
ということで、さっそく国許から民芸品二種を大量に取りよせ、お試し販売。
これが予想以上のバカ売れ!
本陣周辺には貼りまくった『期間限定』『数量限定』のポップも効いた。
『限定』に弱い消費者心理をついたたくみな販売戦術。
あまりの盛況ぶりに欠品続出。
しまいには、ディスプレイ用の巨大赤ベコがほしいと言いだすやつまであらわれた。
「いや、これは売り物ではな――」
「三両でなら、譲ろう」
大野が、しれっとフッかけた。
おまえ、三両ったら、現代価格に直すと三十万円以上じゃ……?
「よろしゅうございます。では三両で」
買うのかよ!?
裕福そうな商人風オヤジは脂ギッシュな顔に好色そうな笑みをうかべ、財布を取りだした。
「これほど高い買い物をしたのですから、肥後守さまとすこしお話など……」
あぁ、そっち狙いね。なるほど。
と、
「「「無礼者めがっ!」」」
刀の柄に手をかける数人の体育会系家臣。
「わが殿と話をさせよとはっ!」
「無礼にもほどがある!」
「手討ちにしてくれる!」
もしや、薩摩藩邸で失神直前聞こえた、ソレ系発言のやつらか?
「落ちつけ」
大野が藩士たちを制した。
「いかにも直答など論外なれど、なにか御手ずから書かれたものでもつかわそう」
お、御手?
俺が書くの? サインとか?
「殿、なにか一首なりと」
わっ、和歌ぁ!?
ムリムリムリムリ。
「藩のため、なにとぞ!」
なにがなんでも三両で売り抜ける気だな?
たしかに、三両はデカイ。
よし、わかった! やってやろうじゃねーか!
もう、強引なんだからぁ ♡ (あれ?)
青蓮院流のうつくしい草書体でサラサラ。
それを手にオヤジのもとへ。
「家宝にせよ」
にっこり笑ってわたしてやると、一瞬でユデダコに。
「「「きゃー! うらやましゅうございます!」」」
そこここからわきおこる黄色い悲鳴。
残ー念。小口客は対象外ですぅ。
ということで、今日は二回目の販売会。
前回以上に会場は大入り満員だ。
「殿、高額購入者が出ました!」
「相わかった」
座敷にもどり、文机にむかう。
『柿くへば 鐘がなるなり 法隆寺』
書きなれた一句をサラサラ。
すいません、またパクっちまいました、正岡先生。
なんせ、あのとき、とっさに思いついたのがこれだけだったんで。
『柿くへば』
(季語、秋だろ? いま、春だろ? 季節ちがうだろ?)
『法隆寺』
(ここ神奈川だよね? 奈良関係ないよね?)
『作:正岡子規』
(やっぱ、パクリとか、いろいろマズくね?)とは、思ったものの、結局勢いで書いてしまった。
ところが、ユデダコオヤジは、これを見るなりいきなり慟哭。
「肥後守さまの邦への熱い想いと、戦いに臨むお覚悟のほどが、痛いほど伝わってまいりました!」
は? なんのことっすか?
「『柿』は『火器』に通じ、『法隆寺』はかの有名な『あをによし奈良の京は咲く花のにほふがごとく今さかりなり』の暗喩。
この二語で春の気分をあらわしながら、秋まで自分は生きてはいないであろうとの悲愴な決意を!
『鐘』は開戦を告げる早鐘であると同時に、ご自身の弔鐘。
命を賭して国事にあたられる一途な想いをこの十七文字に……」
わけのわからない解説を口ばしりながら、涙するオヤジ。
……神レベルの曲解だ。
「肥後守さまに、よこしまな気持ちをいだいた己が、恥ずかしゅうございます」
号泣オヤジは、代金を財布ごと大野にわたした。
「わずかですが、戦費の足しにでも……」
そう言って、巨大赤べこをかかえて、悄然と立ち去っていった。
あとで財布をあらためたら、五両も入っていた。
ということで、なんとなく高額購入者が出るたびに『柿くへば~』を書いてプレゼントする流れになった。
そして、俳句贈呈については金額の基準をもうけ、一両以上買い物をした上得意さま特典とした。
この一両以上でもらえるオマケ俳句の斬新さも話題のひとつになり、今回の展示即売会入場者数は前回を大きく上まわりそう。
てなことで、今朝はこれで五回目の『柿』。
ふふふ、こんなんでよけりゃ、何枚でも書いてやるぜぃっ!
本日もガッポガッポ。
これならもっと早くやればよかったわ。
あ~っはっはっはっは、高笑い。
「殿、そろそろ」
陶然としていたら、小姓の森が俺を呼びにきた。
「うむ」
森を従え玄関へ。
さぁ、みんな待ちに待ったタイムサービス。
お客さまへのプレゼント企画ですぞぉ。
本陣の重厚な開口部は、通勤時間帯の中央線なみの超過密状態。
グッズ片手に殺到する容さまファンでレジも大わらわだ。
ギャーギャーうるさかった喧噪は、会津侯が出座したとたん消音。
四方八方から照射される熱い視線。
固唾をのんで松平容保を見守る人々。
「みな、よしなに」
そして、スマ~イル。
超人的美形貴公子の笑顔つきお言葉 ―― これが、当即売会最大のウリだ。
「「「★~♪~♂~!!!」」」
例のギャル三人組が失神。
こいつらは熱狂的容さまファンなのだ。
うしろの客たちは横たわるネーチャンどもを踏んづけ、承りカウンターに突進する。
はい、これで売上アップまちがいなし!
イベントが終わって、踵をかえそうとしたとき、柱の陰にたたずむひとりの侍と目が合った。
「そなたも手伝うてはくれぬか?」
やや釣り目のそいつは、完全に虚をつかれたらしい。
「あ……いや、ぼくは……」
「そなたの連れは、ずいぶんと役にたってくれておるが?」
ごった返す売り場は猫の手も借りたいほどの忙しさ。
関係者にはひとりでも多くヘルプに入ってほしい切実な状況だ。
カウンター最前列では、こいつの連れがきびきびと立ち働いてる。
「あれは……金子はもとが町人で……ぼくは武士ですし……」
ニイチャンは困惑したように眉をひそめた。
ふーん。断るんだ?
俺たちがこんなにてんてこ舞いしてるのを知ってるのに?
へ~、いい度胸してるなぁ。
招かれざる客のくせによぉ!
イヤミでも言ったろか?
「そなた、藩より【没収】された家禄は、いかほどであったかのう?」
「……五十七石、にございます」
「ほ~う? あそこで、仏頂面で梱包しておるかの者は、家禄三百石の小姓頭だが?」
うわさの仏頂面男は、あざやかな手つきで赤べこ[大]を春画で包んでいる真っ最中だ。
あいつ、なにやらせても器用にこなすなぁ。
ただ、包装紙に春画を使うのだけはやめてくれ。
「それに最前列で接客するあの男も家禄二百石の上士だ。イヤな言い方だが、みな、そなたより身分の高い者だが?」
売り子班総責任者・家禄二百石の浅田は、押しよせる客の群れをバッサバッサとさばきまくっている。
浅田は、某強面上司とは真逆のおだやかな人柄で、物腰もやわらかい好漢。
オヤジ層にしかウケないだれかさんとはちがって、対女性・対お子ちゃま・対ジジババ要員としてなくてはならない貴重な戦力。こうした接客業にはぴったりの人財なのだ。
俺の皮肉にむっつりだまりこむ男。
「そなたの兄弟弟子・岩崎尚之介もあのように働いておるぞ?」
示した先には、ニコニコ笑いながら、ジイサンに梅干し六パックとおきあがり小法師一ダースを売りつけている出石藩士の姿が。
梅干しとタクワンは今回から投入した新商品で、会津の農民・藩士家庭から供出してもらった大量の漬物を少量パックにしたものだ。
(尚ちゃん、理系なのにコミュ障じゃないのか!? ますますほしい~ ♡ )
「…………」
男は複雑な表情で沈黙。
おい、これだけ言ってもまだ手伝う気ないのかよ?
ったく、そっちがそーゆーつもりなら、こっちにも考えがあるぞ。
史実どおり、同心に突き出しちゃおうか?
「在庫を売り切るまで、そなたが望む黒船見物はできぬが、それでもよいなら、もうなにも言わぬ」
顔をこわばらせる男を冷たい目で見すえる。
「どういたす、吉田寅次郎?」




