42 アメリカ海軍大佐 M.C.ペリー
第一回 日米和親条約交渉会談
この時代ならあたりまえだが、アメリカ側交渉団は全員白人系。
あいさつ・メンバー紹介は開会式直後すでに完了しており、紹介されていないのは後見役の俺だけ。
ってことで、会議冒頭、会津侯のターン!
おもむろに立ちあがる日本側通詞・中浜万次郎。
[こちらは、徳川将軍家御親族・会津少将松平肥後守さまでございます]
もったいぶった口調で重々しく紹介。
ぷぷっ。親族って、二百五十年前の血縁の、遠ーい遠ーい親戚だけどね。
[イギリスの爵位ではDukeにあたられる御方で、このたび将軍名代としてご臨席されておられます]
本当いうと、容さんのランクは公爵じゃなくて侯爵。
なので、これは完全に爵位詐称!
でも、外交交渉なんてハッタリかましてナンボだ。
いくらかましまくったって、幕臣どもにバレなきゃOK!
こいつら、英語、わかんねぇし。
肩書の件は、万ちゃんと江戸で打ちあわせ済みだった。
なにしろ、去年、初来航のとき。異国船担当与力が対応に出ると、
「もっとエライやつを出せっ!」と、大さわぎしたペリー。
(おいおい、勝手に押しかけといて、それはないだろ?)なデカイ態度だ。
さすが、「マ●クの餌でデブになった! 補償しろっ!」のクレーマー大国アメリカ!
いまも昔もそのメンタリティーは不変らしい。
どうやらペリーは水戸老公と同類の、権威主義・騒音オヤジぽいので、『リクエストにお応えしてエライ人を登場させてあ・げ・る』という粋な演出なのだ。
『エライ人=徳川家親族&将軍代理』
ね? どこまでも行き届いたオモテナシ心でしょ?
なのに、ペリーさんは目が点。
あれ、おどろいた?
思ってたより貴人すぎてビビっちゃった?
なんだよー。もっとよろこべよー!
最後に質問コーナーももうけてやったのに誰もノッてきやしねぇ。
ちぇ。
ってことで、紹介終了。
本日の交渉使節団後見役業務も終了。
折衝は役人のお仕事なので、とくに会津侯はやることもなく、ただすわってるだけでいいらしい。
はぁー、やれやれ。
疲れた。
眠い。
午前三時起き・二時間近い遠乗り・虚弱体質……一気にきたよ、限界が。
ま、いっか。史実通りなら、官僚がイイ感じにやってくれるはずだ。
長年『不平等条約』といわれてきた和親条約と修好通商条約だが、たしかに、後世からみたら不平等な内容かもしれないが、日本は二百年近く鎖国をしていたのだ。
だから、この当時の日本人は欧米主体の世界標準もよくわからず、そこをヤラレた感は否めない。
幕府は『オランダ風説書』で毎年世界情勢の報告は受けていたが、オランダも東南アジア方面ではけっこうヤンチャしてたけれど、そうした日本に危機感を抱かせる話 ―― ようするに自国にとって不都合な内容は書かれていないはず。
軍備に劣り、外交には不慣れな日本だったが、当時の近隣アジア諸国が列強に結ばされた条約とくらべると、こっちはかなり有利なものだった。
暗中模索ながらベストをつくした幕府官僚たち。
明治期より交渉術ではむしろ勝っていたほどだ。
幕府時代のことはなんでもかんでも貶めケチをつけていた明治以降の政権が、学校教育の場で『不平等条約を結んだアホな徳川。外交の失敗』とボロクソに刷りこみつづけた結果、『外交オンチの徳川幕府』のイメージが国民の間にすっかり定着してしまったのだ。
でも、ホントにそれだけか?
調印当初、日米修好通商条約の関税率などは、日本にとってけっこういい条件だった。
その五年後、長州が外国商船を砲撃しておこした下関事件と翌年の下関戦争のせいで、幕府は諸外国から圧力をかけられ、不利な条件に改定させられた。
薩摩がやらかした生麦事件でも、幕府は莫大な賠償金を支払うハメになった。
つまり、幕府も裏をかかれたかもしれないが、明治政府をつくったヤツらも相当足を引っぱってくれたのも事実だ。
それを隠して「不平等条約は幕府のミス!」と宣伝しまくった薩長の洗脳教育が、二十一世紀まで悪いイメージを持たれる結果になってしまったのだ。
とりあえず、いま、日米和親条約で問題になるのは『片務的最恵国待遇』の部分。
今後、日本がアメリカのよりいい条件を他国に与えたら、アメリカは手続き要らずで自動的にそっちに変更される、という意味だ。
わかりやすくいうと、「校内一のドヤンA君に五百円カツアゲされたあとB君に千円たかられたら、バレてボコボコにされる前に差額の五百円をA君に献上します」みたいな?
(かえってわかりにくいじゃねぇか! てか、合ってんのかよ、この例え?)
とにかく、後見役としては、これだけ阻止すればいいんじゃね?
そのための手は打ってあるし。
ということで、交渉全般は実務官僚のみなさんにお任せしまーす!
と、思ったら速攻睡魔が。
容さん、さすが躾ばっちりの殿様ボディ。
背筋真っすぐなまま完璧に爆睡できるじゃないか。
すげースキルだよ!
じゃあ、さっそく。
……Z……Z……。
…………z…………、
……?……
[@*¥%$#!!!]
っせぇな! 誰だよ、吠えてんのは?
……ん……?
ペリーか?
なんだって?
……ふん、大したこと言ってねぇな。
『通商』の要求を徹底的にかわす日本側、それにキレただけか。
はぁ? 四の五の言わず、さっさと条約むすべ?
相かわらず自己中だなー、アメリカ人は。
だから、世界中で嫌われんだよ。
あぁーぁ、いい気持ちで寝てたのにぃ。
―― ぷちっ ――
あれ、なんか切れた音しなかった?
え、俺の堪忍袋のひも?
あははは、まいったねー!
[静かにしろっ!]
あら、はしたない。
そんな大声出しちゃって。
殿さまなんだからお上品にしなきゃ、ね、容さん?
[てめぇみたいなジジイとちがって、こっちは耳の遠いヤツなんかいねぇんだよ、ボケっ!]
言葉づかいもちょっとどうかと思うなぁ。
応接所、消音。
ペリーはもちろん、日本側も全員石化。
…… ! ……
もしや、さっきの英語じゃなかった?
うっそぉー!
容さんの脳細胞、英単語なんて一個も存在しないと思うけどー?
ぼくたちまたシンクロしてる?
それとも、万ちゃん塾の一夜漬け効果?
思いがけない展開に、日米双方完全凍結。
が、百戦錬磨のペリー提督、いち早く解凍。
思いがけない反撃と罵倒にブチ切れ。
ムキムキの職業軍人対容さん。
ビジュアル的には完敗の図。
幕府交渉使節団は愕然。
「おやめください!」
必死の制止。
[要求に応じぬとあらば、お望み通り開戦してもよいのだぞ!]
万次郎が恐喝文を丁寧に通訳する。
ははは、そんなことできっこないくせに、なにフカシてんだか。
[あんたにそこまでの権限あんのかよ?]
オヤジの頬が引きつる。
[アメリカは民主主義国家だろ? 開戦には議会の承認が要んじゃねぇの? ソレなしに、もし独断で開戦なんかしたら、アメリカ国法に背くことになるよね? 越権行為だよね? 軍法会議ものだよね?]
満面の笑みをうかべ、余裕の挑発。
[それより新しい大統領の親書、まだ受け取ってませんがー? 米国、去年、大統領選あったでしょ? この前持ってきたのって前大統領のですけどぉ? 大統領替わったら、もう無効ですよね、アレ?]
青ざめる軍人。
サスケハナ艦長ブキャナンらは妙にそわそわ。
ふふふ。やっぱ、あっちと同じだったか。
じつは、このハッタリの根拠は未確認だったし。
あっちとちがってたらどうしようとヒヤヒヤでした~。
[新大統領って高圧的外交には反対の穏健派なんですってねぇ? あんたがやってる砲艦外交、快く思ってないみたいですけどー?]
赤 → 青 → 赤
めまぐるしく色をかえたあと、意味不明の奇声を発する大佐。
怒りでわれを忘れ、いきなり容さんの胸倉をつかもうとしたまさに、そのとき。
「オランダ商館長、到着っ!」
あわただしくもたらされたひとつの報告が、会津侯の命を救った。
まさしく『旱天の慈雨』!
くくくく。最高のタイミングだよ、クルチウス商館長。
数瞬後、アメリカ側も事態を把握し、総立ち。
その視線の先では、三色旗をはためかせたオランダの黒船が投錨作業を開始していた。
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日米会談は、場内大紛糾のため一時休会となり、日本側控室は、廊下にはみでるほどの大混雑ぶり。
そして、室内は、最悪の雰囲気。
「英語が堪能ならば、なぜ最初にそうおっしゃってくださらぬのですか!?」
はげしく詰る林さま。
……だよね? そこ、絶対くるよね?
メンバー全員からそそがれる懐疑のまなざし。
とくに、廊下からはバズーカ砲なみのガン見。
発信源は言うまでもなく、つねに傍にいた大野冬馬だ。
オフもオンも近習どもに完璧に把握されてた容さん。
「英語なんて、いつ習ったんだよ!?」な疑心暗鬼光線がガシガシ飛来し、全身にザクザク刺さる。
ぅへぇ……ここはなんとか逃げきらないと。
もうこうなったら、アレを使うしかないか? アレを……。
「じつはな」
沈鬱な面もちとはかなげな風情でボソボソ。
「わたしは先月突然昏倒し、三日三晩危篤状態となって……医師の診たてによると脳の病だとか。そのため、時おり自分でも説明のつかぬ言動を取ることがある。ゆえに、さきほどは急にあのようなふるまいを……みなをおどろかせてすまぬ……(ゴホゴホ)……」
「の、脳の病!?」
林さん、いきなりの告白に仰天。
脳病なのに、咳きこむパフォーマンスの矛盾には気づいていないようだ。
「それは難儀な」
「うむ。原因も治療法もわからぬ不治の病らしい……(ゲホゲホ)……」
すばやく苦渋・悲愴な表情にチェンジする。
「なんと、そのお若さで」
「お気の毒な」
「おいたわしい」
わき起こる同情のささやき。
場の半数が落涙する。
「なればこそ、この残りすくない日々を公方さまの御為にささげようと思うてのう……(ゲフゲフ)……」
残り1/4から嗚咽がもれる。
「こたび、かような大役を拝命し、これが御恩に報いる最後の機会と思い定めたのだ。わたしは将軍家のお役にたちたい一心で英語を習いはじめ、中浜のまことによき指導と死に物狂いの勉励で、思いのほか英語が身についていたようだ。知らずしらず口から出ておったわ……(ハァハァ)……(ゼイゼイ)……」
「すばらしい」
「感動いたしました!」
「尊敬いたします」
最後の1/4、滂沱の涙。
たった六回のレッスンでベラベラってどんなスピードラーニングだよ?
旗本のみなさん、けっこう純情なのね。じい同様、オレオレが心配ですぅ。
と、そこへ、
「しかしながら、侯の英語は……」
突如、部屋の隅で万次郎がブツブツ。
「それがしのとはちがい、しばしばスラングが入るものの、ベースはうつくしいクイーンズイングリッ――」
「あぁー! 頭が痛いぃーっ!!!」
バカヤロー! 余計なこと言うんじゃねぇよ!
幕臣連中も雰囲気に流されて納得しかかってんのに、ブチ壊す気か?
「バールのようなもので殴られたほどの激痛が……あたたたたぁーっ!!!」
「ば、ばーる???」
室内騒然。
「も、もうダメだ……すまぬ、別室で休ませてくれ」
「ぜひ、そうなさってください!」
(脳病再発!?)とテンパった林さんはさくさく了承。
よっしゃー! 疑惑もみ消し、成功!
……と、安心しかかった刹那、
「どうかお大事に」
突如わき上がるやや高いハキハキした慰め。
声のした方を見やると、なんだか見おぼえがあるような、ないような?
容さんの目が泳いでいるのに気づいた三十代半ばのオッサンは、白皙の顔にイヤ~なうす笑いをうかべた。
「これはご無礼を。海防掛目付岩瀬忠震と申します」
いわせ……岩瀬……岩瀬!?
って、中雀門で俺をあざ笑ったあのクソ感じ悪いオッサンか!?
「会津侯、なかなかおもしろき御方でございまするな。今後が楽しみになってまいりました。ゆえに、いまはお身体を【よう】いとうてくだされ」
ふと、冷笑をたたえたその眼に一連の芝居がすべて見抜かれている気がした。