41 通詞 中浜万次郎
着がえが終わり、本陣を出発。
宿場町西方、洲崎神社前にある宮之下河岸にむかう。
辰の下刻(午前九時頃)
しずかだった街道筋も、行きかう旅人や、オープンした店々などですっかりにぎわっている。
そこを進む騎馬の群れは、イヤでも人目を引いた。
船着き場には幕府御用船が数隻係留されていた。
会津侯一行は神社の前で下馬し、衆人環視の中、船に乗りこんだ。
幕末と二十一世紀、湘南海岸の景色はまったくちがう。
江戸時代、東海道は品川~神奈川宿の端までずっと海沿いを通っていた。
二十一世紀にほぼ同じ場所を通る第一京浜は、大手町からこの神奈川区あたりまで海は見えない。
これは、明治以降、東京湾岸の埋めたて工事がさかんに行われた結果で、いま俺たちが見ている海岸線は、当然、埋めたてなどはじまっていない。
だから、神奈川宿から横浜に行くときは西に大まわりする陸路より海路で行く方が断然早いのだ。
海上にすべり出た御用船は、河岸からも遠望できた米国艦隊めざして漕いでいく。
凪いだ入り江に浮かぶ八つの黒い艦影。
あれが、黒船かぁ。
全艦黒く塗ってあるから、なんとなーく強そうに見えるだけ……とか、言っちゃマズイかな?
へー、ほー、ふーん。
東京湾のタンカーにくらべたら、めちゃめちゃ小っちゃいよな。
それに、『アメリカ東インド艦隊』八隻っていっても、このうち蒸気船はたった三隻。しかも帆船一隻はつい四、五日前にきたばかりだ。
ペリー、艦隊運用でも、けっこう本国とはうまくいってないんだよね。
交渉でこのあたり突っこみどころなんだけどなぁ。
強がってるけど、ペリーの方だっていろいろ弱みもあるし、幕府、ビビりすぎじゃね?
まあ、となりの和船にくらべりゃ、相当デカイけどさ、黒船は。
アリとヘラクレスオオカブトくらい差があるかな?
うーん、はじめて見たら、やっぱ圧倒されるかもね。
幕初に定められた武家諸法度で、大船建造はずっと禁止されてたから、このレベルの艦船は見慣れてないもんな。
慶長十四年(1609)、幕府は、五百石以上の軍船に転用できる船は、たとえ商船でも没収し、その後、建造そのものを禁止した。
「大名に水軍力なんか持たせたら、『ちょっと倒幕してみる?』的流れになるんじゃない? ヤベーよ、大船の建造は禁止だ! 禁止! 禁止!」という大名統制策の一環だった。
ところが、この禁令は、去年(1853)九月、ペリーショックの余波で撤廃された。
「おい、諸侯、異国に対抗するためなら、じゃんじゃん船、造っちゃっていいぞっ!」とか、言われてもねぇ。
大船なんて、そうそう右から左へサクサク造れるもんじゃないでしょ。
二百五十年ちかく軍艦建造技術は失われてたんだから。
ってことで、いま現在、日本にはアメリカ艦隊にガチでやりあえる大船はゼロなのだ。
じゃあ、造りゃいいんじゃね、船?
とりあえず、サンプルとして三、四隻買ってみてさ。
日本中の職人・技術者、みんな集めて研究したら造れるんじゃね?
なんたって、『技術大国ニッポン』だし!
だって、種子島に鉄砲が伝わったとき、それまでそんな工業製品は一度も見たこともない島の職人さんは、島の領主に「これと同じもん作ってみ!」と、いきなりムチャぶりかまされて、一年かかってマジでやっちまったとか。
俺、文系でそのへんのむずかしさとか全然わかんないけど、がんばればなんとかなるんじゃない?
だから、内戦とかやってるヒマないでしょ?
会津の仇みたいな長州だって、前途有望とみられてたやつは維新までにほとんど死んじゃたらしいし。
ああ、もったいない!
『攘夷』とか『天誅』じゃなくて、みんな、技術立国のほうでなんとか励んでくれないかなぁ?
日本の将来について深く考察しながら朝のクルーズを楽しんでいると、遠くに横浜村の砂州が見えてきた。
手前には哨戒中の数百の小船。
船には各藩の家紋入り幟。
箱根駅伝で沿道にならぶ各大学の旗そっくり――ってか、あっちがマネてるのか?
今日は、会談ついでに船上から警備兵の視察もおこなう予定になっているのだ。
哨戒兵として動員された会津藩士たちへの緊急激励ツアーだ。
なじみの三つ葉葵紋が見えてきた。
会津の三つ葉葵は『会津葵』といい、御三家のものとは微妙にデザインが異なる。
たなびく無数の会津葵。
そのただ中を進む御用船。
細かい波しぶきが白く舞う。
ばさっ、ばさっ。
藩主乗船を示す、舳と艫に立てられた幟旗二旈。
白地に黒く染めぬかれた会津葵が力強くはためく。
艀の群からわき起こる大きなざわめき。
同乗する供たちが、うながすように容さんを見る。
あ…………スピーチっすか?
なんだ、前もって言っといてくれりゃいいのに。
なーんも考えてこなかったじゃねーか。
不安定な船床を踏みしめ、よろめきながら立ちあがる。
朝日をあびて立つ金と黒に彩られた若者。
傍目にはけっこう神々しいビジュアルだろう。
――――
静まりかえる海上。
(もうテキトーでいいよね?)とハラを決め、
「みな、大儀である」
発した言の葉は、きらめく海面にひろがった。
「「「☆♪◎*△っ!!!」」」
会津兵たちが一斉に泣きだした。
ぇぇえー???
「ありがたいことでございます!」
同乗する供侍たちまでが、ボロボロ男泣き。
「このような所まで殿自らお運びになられ、みなを激励してくださるとはっ!」
(いや、ついで&強制なんですけど)
いま一度周囲を見まわすと、なぜか自然発生的にわき起こる「エイエイオー!」の鬨の声。
あれ……他藩の兵まで参加してないか?
うは、ノリがいいなー。
そうだよね、他の藩主さんたちはこんなところまで来たりしないだろうし、かく言う俺だって、こんなついでがなかったら来なかったし。
にしても「エイエイオー」、まだつづいてるんだけど?
警備のみなさん、ヒマなのか?
ってこともないか。
未知の兵器を搭載したバカでかい艦隊を前にして、毎日緊張感マックスだろうし、メンタルも相当やられてるよね。
みなさん、お疲れさまです。
「「「エイエイオー! エイエイオー! エイエイオー!」」」
やけに盛りあがってる……てか、ほとんどヤケクソ?
どっちにしても、いまこの一帯の関心は俺ひとりに集まっちゃってるぽいね。
お!? これって、まるでアレみたいじゃね?
「ひとりの男を、群衆が注視してる」――そう、まさしく箱根駅伝沿道状態!
くー、なんかゾクゾクするぅ!
ほら、箱根駅伝を走ったランナー全員が一様に言うセリフ――
「沿道の応援が、いままで経験したことがないくらいすごかったっす!」
「独特の雰囲気に圧倒されました!」
「これが箱根かと実感しましたっ!」
うん、いままさにそんな感じだねぇ。
たしかにめちゃくちゃ気分いいー♡
高揚しまくる俺に、大野が小声でささやく。
「早くおすわりください。海に落ちそうでハラハラいたします」
主君の能力を知りつくした近習ならではの冷静な着眼点だ。
やがて小船は、アメリカ兵であふれかえった砂洲に乗りあげた。
応接所のある横浜村は、百戸ほどの半農半漁の小さな寒村。
二十一世紀にはみなとみらいやランドマークタワーが建つあそこだとは、とても思えないほど鄙びた砂嘴で、目の前にあるのはポツンポツンと散在する数戸の粗末な荒屋だけだ。
そんな荒れ地に建つ場違いな幕府の応接所は、全部で五棟。
これは、去年、久里浜でアメリカ大統領親書受理折衝をやったのと同じ建物で、それを解体してここに運び、四日がかりで再建したリサイクル会場だ。
応接所での交渉がまもなくはじまろうとしている。
俺たち一行は、幕府に徴用された農民らに助けられて上陸。
その後、役人に案内されて、応接所の中に。
幕府交渉使節団のメンバー林大学頭ら幕臣組はすでに到着していた――正確には、俺がわざと遅れて来たのだが。
なんでも、交渉開始にあたってアメリカ側が、
「礼砲と鼓笛隊つきのオープニングセレモニーをしたい!」と、はっちゃけてると聞き、面倒くさそうだったのでパスしちゃいました。
だいたい開会式とかなんちゃら式とかって、オッサンの長話がもれなくセットでしょ?
ダルい。
ようするに、会議にさえ間に合えばいいんだろ?
ってなことで、交渉団とはここではじめて合流。
こちらに慇懃な礼をした林さんたち幕臣ご一行だが……けっして友好的雰囲気ではないような。
いままで幕政は譜代と旗本が担ってきた。
開闢以来、外様はいうまでもなく親藩ですら直接政事にはタッチしないシステムができあがっている。
例外は溜詰だが、それでも将軍の諮問機関程度にとどまり、実務には手を出せなかった。
だが今回、御家門の松平容保は、本来かかわるはずのない外国使節との直接折衝を命じられた。
はえぬきの幕府官僚たちは、会津侯がどういう立ち位置なのかつかみかねているようす。
その戸惑いと反発がこの微妙な空気になってるのかもしれない。
幕臣グループの中に、通詞の中浜万次郎の姿を発見。
万次郎は交渉の下準備もあって前泊だったようだ。
そういえば、結局、万次郎が十九世紀のCIA工作員か否かは不明なまま、潜入捜査はたった六回で時間切れ。
貴重な一回を、例のアルハラでつぶされたのは痛かった。
くそー、薩摩めーっ!
あっちでもこっちでも、なぜ松平容保のジャマばっかしやがる?
ちっ、しかたない。ここでも捜査続行するか?
「中浜」と、にこやかによびかける。
「江川塾ではいろいろと世話になった」
禁断のほほえみをうかべ、閉じた扇子でクイクイ。
「いえ、なんの。多少なりと侯のお役に立てましたなら幸いです」
幕臣サイドで居心地悪そうな万ちゃんは、ホッとしたようにニッコリ。
いそいそと俺のもとに来る。
「英語の授業をいますこしつづけたかった。折あらばまた頼む」
「空き時間などございましたら、こちらでもレッスンをいたしましょう」
「それはありがたい」
楽しく語らう俺たちを、幕臣どもはうさんくさそうにながめる。
もと漁師で去年幕臣になったばかりの中浜万次郎。
かたや、本来こんな所にいるべきでない御家門大名。
ふたりはここでは浮きまくった者同士。
とくに万次郎は身分の件と外国帰りに対する偏見から、微妙な立ち位置。
だから、俺がここでやさしくすればぐっと親近感をいだくはずだ。
くくくく、策士よのう。
「そなたさえよければわが宿に移らぬか? まだ部屋もあいておるし、折々に交渉の打ちあわせもできる。まことに厚かましい話だが、わたしもレッスンが受けやすくなる」
「ご迷惑でなければぜひにも!」
万次郎くん、即答。
しめしめ。
万ちゃんをうちの本陣に誘ったのは、いうまでもなく近くで監視するためだが、ほかにも理由がある。
高畑グループ製アンチョコは本当によくできているが、そのネタ元となったのは書物や文献などから拾った鮮度の低い情報。
(オランダ風説書・別段風説書は別ね)
一方、数年前までアメリカに住んでいた万次郎。
その目で見た異世界のリアルなアメリカのようすが聞けたら、きっと内容を補足できるにちがいない。
「ならば、そのように手配いいたそう」
むふふふ、願ったり叶ったり。