40 会津藩下士 高畑誠三郎
つぎに随行が決まったのは、虎之巻斑リーダー・高畑誠三郎。
アンチョコのすばらしいできばえから、ブレーンとして頼りになりそうだと判断し、大抜擢で専任秘書官に任命したのだ。
その高畑は、会津藩では下士階級に属している。
今回の出張が同行者も全員騎行と決まると、乗馬を許されない下士の随行に反対するやつらも多かった。
会津藩では、乗馬資格をもつのは上士階級だけ。
高畑のような下士は藩校・日新館への入学さえ認められず、国許においては乗馬練習もさせてもらえないのだ。
そこで高畑は、出府後、独自に江戸の馬術塾でレッスンを受けたらしいが、藩の馬術流派とちがう騎乗の仕方もウルサガタの反感を買う一因になっているようだ。
「下士の分際で身の程しらずめが!」
「このような場合は御供を辞退するが筋であろう!」
「同行する者が他流では見苦しい!」と、ギャーギャー。
下士だろうとどんな型だろうと、乗れりゃいいだろう!
「ならば今回、供の資格は剣術の免許皆伝以上。または蘭語・英語・漢文いずれかが堪能な者。それ以外は不要。該当者なき場合はひとりで行く!」と、ブチ切れたら即解決。
殿様ひとり、夷狄のもとに行かせるわけにはいかないからな。
そこへいくと、高畑は漢文ばっちりで、条件もクリア。
逆に、文句を言ってたやつらは、ほとんどが語学審査で居残りが決定。
ふん、ざまーみろ!
じつはアンチョコ作成中、高畑は一度もチクってこなかったが、たびたびイヤガラセにもあっていたらしい。
俺が導入した能力主義は、伝統を重視する会津の家風にあわないのか、徐々に反発の声があがりはじめている。
中でも江戸家老・西郷頼母近志の嫡男近直を中心とした上士一派はそうしたやつらの中核で、俺が見ていない所でアンチョコ斑メンバーにちょっかいをかけていたようだ。
西郷近直。
二十五歳。
江戸藩邸生まれの江戸育ち。
上士の子弟グループのボス格。
今回、幕府から内々に借りたオランダ風説書と別段風説書は、アンチョコ作りの秘密兵器であると同時に、その存在はトップシークレットだ。
だから高畑にはこれが他人にバレないよう藩主御座之間で閲覧しろと命じたわけで、高畑は日に何度も御座之間に出入りすることになった。
ある日、御座之間で閲覧を終えた高畑は、部屋を出たとたん西郷ら上士グループとばったり遭遇。
あっという間に取り囲まれるアンチョコ班リーダー。
インドア派の高畑が自力で複数の相手を強制排除するのは不可能な状況だった。
「御座之間にひそかに入りこみ、なにをしておったのだ?」
中のひとりが超上から目線で問いただす。
西郷たちは上士である自分たちに声がかからず、下士や他藩士、町人までもが藩主のそばでゴソゴソやっていることが気に入らないらしい。
「殿じきじきの御下命にございますれば、一切他言はできませぬ」
「なにが殿だ。下士のくせに慢心しおって! ここにはなにがあるのだ、申せ!」
西郷、さらにダルがらみ。
「お許しください。急いでおります」
七日そこそこでアンチョコを仕あげなければならない高畑は滝汗。
「通してください」
「白状するまでは通さぬ」
廊下いっぱいに立ちふさがり、まるでクソガキレベルのいやがらせ。
と、そこに、
「おひかえなされいっ! 殿の御前である!」
一同がふり返ると、そこには主君一行が。
つまり、俺もイジメの現場をばっちり目撃。
「高畑のじゃまをするな」
「おそれながら!」
西郷はひるむことなく主君にまで食ってかかる。
こいつは以前から、「養子に入った正之より、われら西郷家こそが保科本流」などと公言している不遜な男だ。
「こたびのなされよう得心がまいりませぬ。なにゆえ上士を差し置いて下士ばかりお召しになられるのですか?」
「ならば聞くが、上士の中に蘭語や英語がわかる者がおるのか?」
「いえ、おりませぬ。なれど本来下士は御前近くにおるべきではありません。このようなことがつづきますと家中の秩序が乱れます!」
意地になって言いつのる西郷。
「戦場でいままさに主君が討たれんとするとき、下士風情はその危地も救ってはならぬというのだな?」
凄惨さをます主君の口調に、西郷以外のメンバーはすでにガクブル状態。
「それとこれでは話がちがいます」
「なにがちがう?」
冷笑をうかべて詰問。
「こたびのお役目、不首尾に終われば、わたしは詰腹を切らされるやもしれぬ。高畑はわが命を受け、交渉の下準備に尽力しておる。戦場で主君を救うことと同じではないか。
それを邪魔だてするとは、わたしの切腹を意図しておるのか?」
「め、滅相もなきこと……」
声をふるわせ、かろうじて答える。
「そなたの望みどおり切腹と相なれば、わが会津松平家は断絶。家臣はみな浪人となろう。さすれば、そなたが申す上士も下士もなくなるが?」
深刻な内容をがっつり突きつける。
「だが高畑ほどの学才があれば、すぐに他藩から召し抱えたいとの申し出があろう。そなたにどのような才があるかは知らぬが、己の才覚のみで仕官口が見つかるのか? いつまでも先祖の武功にあぐらをかき、高禄をむさぼっていられる時代ではないぞ」
上士グループ全員、失神寸前。
ところが西郷は気丈にも、
「大野殿!」と、藩主の傍らにいる小姓頭に矛先をシフト。
「そなたも上士であろう? 下士が大きな顔をし、藩邸内を闊歩する様に疑念を抱かぬのか?」
小姓のように、主君のそば近く仕える者は上士階級に限られる。
大野家は西郷ほど高禄ではないが、家禄三百石取りの上士階級。
同意をもとめた西郷は、上士の大野が下士の味方をするとは思っていないらしい。
「西郷殿」
大野は機嫌が悪いと能面になるが、まさににその状態。
「殿の一大事に、なにゆえみなの士気を落とすようなマネをなさいますか? それがしはそのことにこそ、疑念を抱きますが?」
同じ上士に全否定され、身をふるわす西郷。
かたく唇をかみ、その場を立ち去る上士たち。
それを見ているうち、だんだん全身から血の気が引いていった。
これ、かなりマズイよな?
よく『抜擢人事』とか、『下からの登用』とかいうけど、有能なやつに高額報酬は当然として、無能な上士階級の処遇ってどうすればいいんだ?
うちの藩はすぐにでも財政再建しなきゃ破綻確実。
でも、デキルるやつに能力給与えるかたわら、無能な上士どもにいままでどおり高給払ってたら、人件費はふくらむ一方で、それじゃあ、いつまでたっても黒字化なんてムリだ。
かといって、ガチガチの身分意識に固まった組織で、いま以上の能力主義・成果主義を導入したら、明治維新後あちこちで起きた士族の反乱みたいなのが藩内で勃発しそうだ。
いってみれば、既得権を奪うわけで、相当デカイ抵抗がくるはず。
なにしろ、西郷ら上士階級は、何百年も前の先祖の武功で高禄を世襲し、無能な自分がその地位にとどまっていることになんの疑問もいだいてない。
ぶっちゃけ、この非常事態を機に、いままでの禄は平準化して、扶養家族数に応じた手当・個人の能力を反映した職能給制度を盛りこんだ給与制度改革なんかも考えていたが、思うほど簡単にはいかなそうだ。
全員が大野みたいに高禄に見合った能吏なら、いままでどおりでもいいんだけどね。
(……アレさえなけりゃね)
藩主業って、想像してた以上にたいへんだな。




