38 薩摩藩主 島津斉彬
回廊の日だまりで待ちうけていた斉彬公は、中庭に面した座敷に容さんを招じ入れた。
「おどろかれましたか?」
ドヤ顔でうれしそうに聞いてくるオヤジ。
畳敷きの座敷中央には、マホガニー材のダイニングセットが。
客がはじめて西洋の大型家具を見て「ビックリ!」を期待してたみたいだが、ここまでたどり着く前に、ビックリはもう使いはたして、欠品状態です。
「さあ、こちらへ」
オッサンは愛想よく、対面の椅子をすすめる。
着座するとすぐ、見目うるわしいお小姓によるドリンクサービスも。
供されたのは、カッティングされた美しいガラスの器に入った赤い液体。
え? ワイン?
容さんも俺も二十歳未満なんっすけどね。
まぁ、この時代、酒もタバコも年齢制限はないけど。
微妙な表情で固まる客を、ニヤニヤしながら観察する斉彬公。
「異国の酒にございますぞ~」
いや、そこじゃなくて……。
「では、頂戴いたします」
もう空気的に飲まなきゃイケナイ感じじゃん!
期待するように見守る島津さん。
喉の奥に、一気っ!
げーっ、マズーっ!
「(ゲフンゲフン)……けっこうなものを」
こんなもの、なんでオトナはよろこんで飲むわけ?
ボクにはわかりません!
そして、頼まれもしないのに、笑顔でオカワリが注がれる。
「おそれいります」
仕方なく二杯目。
それもこれも、藩財政における起死回生の新規事業のためだ。
――ゔぇっ――
オヤジはデキャンタを手にさらにせまってくるが、さすがに、三杯目は固くご辞退。
容パパ最大の憂患、ポットン死の先人・泥酔旗本Mさんの件もある。
酒は、容さんにとってもヤバいシロモノなんじゃないだろうか?
なにしろ、シラフでもたびたび脇差ポットンの容さんなのに、ここに酒が入ったらどうなっちゃうのか…………考えただけでも恐ろしい。
つい最近も、モビルスーツ制御不能事件があったばかりだし、容さんにはまだまだ未知の部分が多い。
リスク要因はなるべく避けたほうがいいだろう。
「よいではありませぬか~」
オッサンはしつこく粘着。
うっかりよそ見したすきにドボドボ。
「この後、江川塾に行く予定ですので!」
顔を引きつらせながら全力で拒否するも、グラスにはなみなみと注がれたワインがすでにスタンバイ。
「ほう、江川塾にのぅ」
その表情に妙な影がさす。
「どのようなご用件で?」
「先日来、中浜殿より英語をご教授いただいております」
「ほぅ」
おだやかそうにほほえむ秀麗な顔。
しかし、なにやら油断のならない気配が。
なんだ? このイヤ~な感じは?
テーブルをはさんでむかいあううち、だんだん落ちつかない気分になってくる。
【歴史の復元力】
ふいに、その言葉がうかんだ。
歴史をねじ曲げようとして、無理に歩みよった結果、かえって早い段階で二藩の間に亀裂がはしるなんてことはないだろうか?
やっぱ、会津と薩摩は相いれない関係なんじゃないか?
両藩は、風習や気質もちがいすぎる。
薩摩藩は、今後のために味方につけておきたかったけど、ここは一時撤退した方がいいかもしれない。
とにかく、養豚情報だけ聞き出して、さっさと撤収しよう!
そう決意し、ワンコそば風に注がれた三杯目のワインをぐっと飲み干す。
しだいに、朦朧としてくる思考。
しっかりしろ、俺っ!
今日の目的を思い出せっ!
会津の未来がかかってるんだ!
財政健全化計画っ!
精神に鞭打ち、必死で意識をつなぐ。
「過日はめずらしき品を贈っていただき、かたじけのうございました」
オカワリ攻撃を防御しつつ、強引にもっていく。
「じつはそのことでお願いしたき儀が」
目を伏せ、哀愁にみちた表情をつくる。
「わが妹は生まれつき身体が虚弱で、たびたび病に臥すことも多く、心配しております。豚肉が薬になるとの話を伝え聞き、わが藩でもぜひ飼育を試みたいと存じまして」
江戸時代、肉食は仏教のタテマエ上タブーだったものの、その栄養価の高さから、病後の栄養補給や病弱な人の滋養強壮剤――『薬』としてならOKだった。
でも、病人じゃなくてもけっこうみんな食ってたらしく、四谷には獣肉専門店なんかもあるようだ。
今回は、オッサン向け人情路線でのアプローチ。
最初すこし警戒気味だったナリさんも、妹想いのケナゲな青年風にプッシュしたら、
「そのようなことでしたら」と、豚の飼育方法伝授と数つがいの種豚を譲るという言質が取れた。
よっしゃーっ! 交渉成立!
卓上につくほど頭をさげ、ふたたび頭をあげたとたん……部屋がグルグルまわりはじめる。
ヤバっ!
コレ、黒書院でブッ倒れたときに、そっくりじゃねーか?
「ときに、メリケンとの条約はむすんでもかまわぬとお思いになりますか?」
き、きたーーっ!
なんの前フリもなく、いきなり、きたーっ!!
『日本の将来について』の熱いトークが、よりによって、精神が一番アブナイときに、超ーウザーイ質問がーっ!
「薩摩守さまは、いかがお考えなのでしょう?」
とろんと重くなる瞼を必死でキープしながら、質問をはぐらかす。
「わたしは賛成いたしかねます」
斉彬公はむき卵のようなつややかなご尊顔をしかめ、断言。
「水戸さまがおっしゃるように、異国の言いなりに約定をむすんではならぬと存じます」
あぁ、そういえば、島津斉彬はバリバリの一橋派。
ジジイと歩調をあわせ、和親条約締結反対を主張する一橋派は、溜詰とは真逆の立ち位置。
今後もジジイと行動をともにし、安政の大獄直前に急死するはずだ。
でも、開明派なのに和親には反対なのか?
島津斉彬や不気味なラブレターの伊達宗城は、いち早く洋式軍制や新式銃を取り入れ、独自に蒸気船を建造し、西洋の技術を積極的に導入しようとした。
そんな人たちが、なんであの筋金入りの攘夷論者・水戸斉昭とつるんでるんだ?
でも、汚らわしい夷狄が発明した舶来グッズは大好きなんでしょ?
このダブルスタンダード、理解不能だわ~。
「いまメリケンとの間に有利な条約をむすばなければ大事になります。薩摩守さまはそれでもよろしいのですか?」
豚問題が片づいて安心したせいか、俺、ちょっと気がユルんでないか?
なんか…………不吉な予感が…………。
身体に微妙な違和感。
この感じは、もしかして……?
「今回の条約締結が不調に終われば、メリケンは琉球を実力で奪うつもりですが?」
あれ? いま、なんかマズイこと言わなかった、俺?
これって、清水のウンチク集『ペリー来航編』に書いてあった話だよね?
晩年ペリーが編纂した『遠征記』が出典の……ペリー晩年の本の……。
ってことは、すくなくともこの時点では、日本人には絶対知りえないはずのネタじゃね?
ダメだよね? それ言っちゃ?
俺の失言を聞き、みるみる青ざめ、石化しはじめる斉彬さま。
「そ、それはまことでございますか?」
琉球は形としては独立国になっているが、薩摩藩は長年ここを支配下においている。
鎖国政策で、幕府以外の外国貿易は禁じられてきたが、薩摩は琉球を経由して密貿易をつづけ、巨額の富を得ているのだ。
その豊富な資金が薩摩の近代化に使われ、やがて討幕で活躍する近代兵器購入にも流れるはずで、『琉球を失う』イコール『薩摩藩財政大打撃』。
薩摩藩主がフリーズするのも当然な恐怖の大予言だ。
「ご老中の阿部さまとは昵懇にしていただき、異国の情報も折々に聞いてはおりますが。そこまでの話は耳にしたことがございませんぞ」
「グローバルな視点から見たら自明の理にて」
か、容さんが……いま、英語を……。
しかも、『グローバル』と『にて』が同じ一文って……俺とのシンクロ度、コワイくらい強すぎーっ!
「アメリカはイギリスから独立してまだまもなく、東アジアにおける植民地獲得競争にも出おくれています」
アメリカじゃねーよ! メリケンだろーが!?
「産業革命もやっと軌道に乗ったばかり。このころ列強の工場はすべてフル操業。鯨油は照明用灯油として、需要も多かったらしく、そんなこんなで大量に取りすぎて、大西洋やアメリカ近海じゃ鯨があまり取れなくなってしまったとか。
いまじゃ反捕鯨とかって、日本にプレッシャーかけてくるくせに、よくゆーよなぁ。
十九世紀にゃ、世界一の捕鯨大国だよ? 年間一万頭も捕ってたんだよ?
でー、日本近海まで鯨をはるばる取りにくるハメになってぇ、太平洋側にも捕鯨基地が必要になっちゃったの~」
話し方、なんか、ヘンじゃね? 言語変換機能もきかなくなってるし。
それに、俺の思考部分出まくりー!
またハードが制御不能だーーっっっ!!!
なんでーーっ!? 酔っぱらったからかーっ?
だから、酒はイヤだったのにーっ!
「アメリカはどこでもいいから、絶対日本に基地つくるつもりなんだよね~。狙ってるのはたぶん琉球かな~。だから、和親条約不成立なら、『日本の支配から琉球国を独立させる』名目で軍事行動起こして、実質自国の領土化する計画じゃな~い?」
うわ、前回以上に、制御できねーっ!
ちょっとだまれ、容さんっ!
一方、ナリさんは、グラスを傾けたまま硬直。
手にしたワインがボタボタボタボタ。
その瞬間、海馬付近に疼痛がはしった。
完全に意識消失する直前、
「それにさぁ、あと五十年したら飛行機飛ばすって国と、まともに戦争しちゃダメでしょ~? こっちは火縄銃だよぉ~? 戦国バ●ラ対紅●豚ぁ~? ひひひひ、ヤベ~、まじウケるぅ~」
ぶつぶつ言う声に、乱れた複数の足音がかぶさる。
「殿!」
「やめろ!」
「わが殿になにを盛った!?」
「みな、落ちつけっ!」
「われらの大事な殿に!」
「お慕い申しあげる殿に!」
「愛しき御方に!」
「みなの眼福をっ!」
「薩摩守さま、申しわけありませぬ」
「いや、その気持ち、わからぬでも」
「……えっ!?」
「そこをどけ、大野!」
「目障りだ」
「そうだ! いつも殿にべったりしやがって!」
「「「ムカつくっ!」」」
「…………」
怒気をふくんだヤローどもの応酬は、俺の耳からしだいに遠ざかっていった。
∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞
――覚醒――
目覚めれば、そこは和田倉屋敷藩主御寝之間。
がんがん割れそうな頭と、じいの小言という苦行の二重奏つき復活。
「他家の屋敷で醜態をさらすとは!」
「すまぬ」
醜態っていうより、なにをしゃべったかが問題なんだよね。
あれ以上、未来史かたってねーよな、俺?
SFなら光線で撃たれて抹殺されるレベルだ。
じいいわく、あのあと座敷に乱入した俺の家臣と藩邸側の激突間際で、斉彬公があざやかに鎮圧し、馬に乗れないほどグダグダの会津侯は、薩摩藩の駕籠で丁重に送りとどけられ、風ちゃんほか全頭無時に帰宅できたらしい。
夕刻、ナリさんからお見舞いのプレゼントと意味深メールが届く。
『昨日は無理に酒を勧めてしまって申しわけない。お加減、いかがですか? 今回の条約交渉、ぜひガンバってください。心から応援してます』
会津と薩摩、表面上は決裂してはいないようだが……とりあえず、そこは大丈夫だったのか?
でも、島津斉彬が攘夷論から開国容認に転じるのは、たしかもっと後じゃなかった?
考えるな! きっと偶然だっ!
俺のせいじゃない…………たぶん。
そして、
嘉永七年二月四日 於武蔵国横浜村。日米条約交渉の応接所設営開始
二月七日 応接所五棟の設営完了
こうして、ハードソフト両面で、着々と交渉の準備は整っていったのであった。




