35 裏面工作
「どういうことだ?」
三通の書状を読み終わったあと、俺は眼前で筆をふるう大野を問いただした。
「伯父上の洋書にこだわるのは、なにゆえだ?」
わずか数冊の、しかも必要なさそうな洋書。
なのに、なんでわざわざ頼んでまで借りなきゃいけないんだ?
こいつの真意が知りたいという気持ちが、抑えきれなくなった俺は大野をガン見した。
俺の下問をうけ、わずかに目を上げる小姓頭。
「なにを借りるか、ではないのです」
「なんだと?」
「前田さまに貸していただいた、という実跡がほしいのです」
「実跡?」
うすく笑う年上の男は、禅問答のようなことを口にした。
「たとえささいなことにせよ、前田さまが助力してくだされば、世間は、殿の後ろに加賀百万石の影を見るでしょう」
「な……っ!」
話、飛躍しすぎじゃね!?
「昨日、いくつかの藩邸を訪ね歩き、わかったのです」
手にした筆をおき、しずかに正対。
いつもとはちがう、きびしい気配をただよわせる大野。
「こたびのお役目、十全に、見事やりおおせたとしても、水戸さまはなにかしら言いがかりをつけ、殿に切腹をせまるおつもりです」
ああ、あの御老公なら、十分ありうるな。
「ならば、それに備え、すこしでもお味方をふやしておくべきではないか、と。とはいえ、殿はいま、かなり微妙なお立場。こちらから不用意にうかがえば、先方にご迷惑がかかるやもしれず、そのようなふるまいは、はばかられます。なれど、あちらからおいでくださったのです。これを使わぬ手はございますまい?」
精悍な顔が、いっそうかたく引きしまる。
「三百諸侯中最大の加賀百万石の前田家、七十七万石の薩摩藩島津家、仙台伊達家六十二万石のご連枝・宇和島藩伊達家。せめてこの三家だけでも、確実に押さえておきたいのです」
はぁぁ?
なんか、とんでもない展開になってないか?
高校生にはお手あげの政治的カケヒキ!
大野さん、あんた、スゴイな。尊敬するよ。
そういえば、今回の一連の騒動で、けっこう進物がとどいたが、ジジイに大逆風が吹いているわりには、親藩大名からはゼロ。
大名では外様と小規模譜代、あとは旗本から。
あのヨリタネさんでさえ、藩が水戸連枝のせいか個人名での差し入れだった。
裏ではさんざん陰口たたいても、贈物・手紙みたいな、形に残る行動はヤバイのか?
御三家の水戸にモロ敵対するような行為は。
それに、清水のウンチクネタによると、水戸家はなぜか代々子だくさんで、徳川斉昭自身、生涯に三十七人の子をもうけ(現時点での数は不明)、あちこちの親藩・譜代名家に養子に出したり、嫁にやったりしている。
俺の世界の容保の実父・高須松平家当主も、たしか水戸血統でジジイとは従兄弟同士。
そのうえ、高須家のほうも子だくさんで、複数の有力親藩と養子縁組をしたはず。
ということは、まさか、水戸閥みたいなものがあるのか?
だとしたら、外交交渉が終わりしだい、ジジイの勢力マップでも作って、今後の対策を考えなきゃ!
これから、ますます忙しくなるじゃないか!
「ということですので、多忙の折ながら、殿には三藩邸へのあいさつまわりをしていただきます」
げっ、面倒くさっ!
あっちもこっちも、やることいっぱいじゃん。
「前田家だけでは、ならぬ、か?」
アポ取れそうな、前田さん家だけでよくね?
「できますれば、三家すべてを」
ビジネスライクな口ぶりでゴリ押し。
「では、薩摩を。これ以上は無理だ。わたしは江川塾で、どうしてもやらねばならぬことがある!」
俺には、万次郎の調査という最優先課題がある。
それに……とりあえずダテさんだけは避けたい。
とにかく、避けたい。絶対、避けたい! 全力で避けたい!
男相手の貞操の危機だけはー!
大野はしばし無言のまま熟考。
「なるほど、江川塾は薩摩藩邸に近いな」
え、そうなの?
島津さんちって、江川塾の近くなんだ?
「ならば、伊達家は西郷さまにお願いいたしましょう。殿は加賀と薩摩を」
はぁ~~~、よかったぁ~~~!
「TERU姫さまはどうなさいますか?」
「大事なお役目を前に、女子などにかまっていられるかっ!」
赤ペン先生が、容さんに会った瞬間、KUM●Nの先生に進化したらどーしてくれるんだ?
作歌が終わるまで、絶対、藩邸に帰してもらえねーだろーが!
パスだ、パス、パスっ!!
こうして、このクソ忙しいさなか、二軒の建もの探訪をさせられるハメになってしまった。
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加賀百万石の上屋敷は、俺には絶対縁のない赤門大学の場所。
和田倉御門を出て、中山道を本郷方面に北上。
今日は駕籠じゃなく、風ちゃんでのお出かけ。
随員五十人もみな騎馬。
「親族をおとなうだけの供揃えに、このような大人数が要るのか?」
最初に計画を聞いたとき、俺は大野に文句を言った。
第一、うちの藩邸には五十匹も馬いないだろ?
ところが、大野は、いつのまにか幕府に掛けあい、人数分の馬を調達。
「お忘れですか? 加賀藩上屋敷は水戸藩中屋敷のとなりなのですよ?」
意味深な顔でニヤリ。
「?」
「御老公は中屋敷にお住まいです」
この時代、各藩は江戸に複数の屋敷を持っている。
上屋敷は、江戸城に近い場所に建ち、現藩主や奥方が居住。
同時にここは、藩の大使館的役割も兼ね、江戸勤番の多くはここの長屋に住む。
中屋敷は、引退した前藩主や、世子(次の藩主)が住む屋敷。
下屋敷は、郊外に建てられることが多く、うつくしい庭園を作って別荘として使ったり、火事でほかの屋敷が焼けたときの避難場所になったりする。
水戸藩では、現当主の慶篤が小石川の上屋敷に住み、隠居のジジイは駒込の中屋敷に住んでいるらしい。
で、ジジイの屋敷が、前田家のおとなりさんなのね?
それが、なにか?
大野の怜悧な瞳が、するどく光った。
「戦時でもないのに、騎馬五十人の行列はイヤでも目立ちましょう。当然、この訪問のうわさは、御老公の耳にも届きます」
あっ!
今回の前田家訪問の本当の目的は、気前のいい親戚へのごあいさつじゃなくて、ジジイや世間に対しての一大デモンストレーションなのか!?
『会津侯のバックにゃ、加賀百万石がいるんだぜい!』をギンギンに誇示し、強烈に牽制するための!
いくら傲岸不遜な御老公とはいえ、国内最大大名相手にガチでケンカするとなったら、ちょっとはためらうだろう。
いうなれば、『虎の威を借るキツネ作戦』!?
はなからこれを狙って、訪問のアポを取ったのか、こいつは!?
洋書の件といい、これといい……「すげぇ」を通り越して、むしろ「怖ぇ」よ、大野さん。
アレさえなけりゃ、一生ついていきたいくらいだよ。
……アレさえなけりゃ。




