30 月次御礼
二月一日
今日は月次御礼の総登城日。
だが、今日は前回の溜詰召集登城とはちがい、謁見セレモニー出席のため、ちょっと早めの卯の上刻(午前六時ころ)スタート。
ところが、このまえの登城とちがうのは出発時間だけではない。
前回は溜詰と御三家のみの登城だったので、途中どこの行列とも行きあわなかったが、今朝は何頭もの大名行列によるすさまじい通勤ラッシュ。
江戸中に散らばる各大名屋敷から、全在府諸侯が御城(江戸城)めざして殺到し、和田倉門前も大手門周辺もどこもかしこも侍だらけ。
先月二十八日の総登城日を欠席したので、俺にとってははじめて見る光景だ。
大手門で供のほとんどが離脱し、会津葵紋つき乗り物は下乗橋前の広場に入る。
駕籠がとまり、引き戸が開いた瞬間、あたり一面水を打ったような静けさに。
な……なんで?
会津侯が橋にむかって歩きだすと、ごったがえすその人波がなぜか左右にサーっとわれ、大手三之門まで一本の道が出現。
まさに、モーゼ状態――江戸版『出エジプト記』!
俺たち一行がその花道を通過すると、今度はうしろからヒソヒソヒソヒソささやきあう声が。
「………」
「ご気分がすぐれぬようでしたら、引きかえしてもよろしゅうございますぞ」
横を歩く大野が、周囲にガンを飛ばしながら進言。
会津の供侍たちは大野の指示のもと、まわりの視線から主君を守るため、俺を中心にした紡錘陣形。
「いや、そうもゆかぬであろう」
今日は、儀式よりも将軍からの召喚がメインだ。
最高権力者のお召しをバックレるわけにもいかない。
アメリカとの第一回折衝予定日は、もう九日後にせまっている。
容さんが交渉の総責任者――『交渉使節団後見役』に擬せられているなら、今日あたり任命式があるはずなのだ。
身体はまた中雀門でエンストしかけたが、供侍にささえられ、なんとかクリア。
今日は時間が押していたので、喫茶なしで溜間へ直行。
いまだ、うす闇のただよう松溜。
本丸御殿は、雁行(ななめに並んだ状態)に建てられた棟の集合体。最西部に建つここには、朝陽が奥までまだ十分にさしこんできていなかった。
暗さでグレーがかって見える松の襖絵をひとりでぼけーっとながめていると、ざわざわざわざわ。
複数の人間が近づいてくる気配が。
あらわれたのは、忍藩主、桑名藩主、姫路藩主。三人仲良く、なごやかにご出勤だ。
ところが、容さんの姿を目にしたとたん、全員同時に硬直。
まるで、幽霊でも見たかのように真っ青になっている。
「ご機嫌よう」
思いっきり人の悪い笑顔で、ごあいさつ。
三人はあたふたしながら、一番遠い位置に固まって着席。
その後、こっちをこわごわチラ見。
(俺が、なにしたっていうんだよーっ!?)
下乗橋前のやつらもこの三人も、面倒くさい人物と下手にかかわらないよう、距離とってんだろ?
「イジメられてるやつと仲良くすると、つぎは自分がターゲットになるかも~?」な、アレと同じで。
大御所・水戸老公ににらまれたせいで、切腹確実な松平容保。
「そんなやつに近づいたら、自分も御三家から敵視されそうでヤバいしー」とでも考えてるんだろ?
(あ~、そーですか、そーですか! ハブられ、上等っすよ!)
ひとりやさぐれる俺。
ほどなく、井伊とヨリタネさんが到着。
ふたりは前のやつらとはちがい、ダダダと駆けより、左右から手を握りしめた。
「……容保殿……」
オッサンたちはすでに涙目。
「われらがあの場にいながら、このような仕儀に相なり、まことに申しわけない」
「それにしても老公のなんと悪辣なことよ!」
井伊は血走った目で虚空をにらんだ。
「なんの落ち度もない御家門当主を切腹させようとは。なにを考えておいでなのかっ!」
「お二方には、いろいろとご心配いただき、心より御礼申しあげます」
しずかに一礼すると、ふたりは悲痛な表情でうなずく。
ここの人たちにとって、会津侯の切腹は、もう99%以上確定してるようだ
常溜三家が悲哀を共有しているさなか、今度は堀田備中守正篤が登場。
(やっぱ、むかしサンタにもらった俺の親友にそっくり。ハグしてぇ)
俺がひそかにムラムラしているとも知らず、堀田は対面にすっと着座。
「備中守さま、先日はかたじけのうございました」
ムラムラ心をおさえ、医者派遣について礼を言う。
ゆったりと会釈を返す堀田は、
「その後のお加減は?」
「はい、おかげをもちまして」
「それは重畳。なれど、こたびは少々面倒なことになりましたな。それがしも助力つかまつりますゆえ、入り用な品など遠慮なく仰せくだされ」
え、いいの?
ありがとー、堀田さん!
「では、最新の国外情勢がわかる書物や、列強各国の史書などお持ちでしたら、お貸しいただけませぬか?」
堀田正篤は『蘭癖大名』として有名なオッサンだ。
『蘭癖』とは、西洋のものが大~好きな人たちのこと。
堀田は蘭学者・佐藤泰然を保護し、城下に蘭学塾開設もみとめた立派な蘭癖さんだから、ほかの大名より海外事情にも通じているはずだし、蘭書や貴重な資料を持っている可能性が高い。
いつのまにか押しつけられた命がけのお役目。
辞退できないなら、任務を成功させて助かるしか道はない。
それには情報だ! 情報がほしいっ!!
俺の知ってる世界史と、ここのはどれほどちがっているのか?
かなり似てたら、まだ作戦のたてようもある。
とにかくいまは、できるかぎり海外の情報を集めたい!
「承知いたした。後刻、和田倉屋敷へお届けしよう。蘭語が堪能な者も数人つかわそう。この者らもよきようにお使いくだされ」
心強く受けあってくれた。
「かたじけのう存じまする」
ホント、なにからなにまで行き届いた心づかい。
堀田さん、まじリスペクトっす!
と、そのとき、
きっとふり返った井伊直弼は、
「井伊家に蔵する洋書、すべて容保殿にさしあげようっ!」
「いえ、一時貸してくださるだけでよいのですが」
「いや! 洋書は兄が集めたもの。それがしには不要の物なれば、遠慮なく納められよ!」
かたくなに言いつのるメタボ大名。
(ありゃ、もしかして、堀田と張りあってます?)
「では、ありがたく頂戴いたします」
畳に手をついて礼を言うと、うれしそうにニンマリ。
「なんの。それがしと容保殿あいだで、さように水くさいことをもうされるな」
ご満悦なようすで、何度もうなずく井伊さま。
(こいつも、ちょっとかわいいかも)
オッサンどものあたたかい友情が、妙にしみる朝だった。
まもなく月次御礼の拝謁時間。
この儀式は基本、毎月一日、十五日、二十八日の三回おこなわれ(この前後になにか行事登城があるときはなくなることもある)、ぶっちゃけ、将軍にあいさつして帰るだけの簡単なセレモニー。
とはいえ、この『簡単なセレモニー』こそ、殿さまだけにしかできない大事なオシゴト。
江戸時代初期に参勤交代が制度化されると、全国の大名は定期的に江戸と領国のあいだを行ったりきたり。
そして、江戸滞在中は、指定された日に登城し、徳川家に対し叛意がないことを態度で示さなければならない。
儀式開始をつげる声につづき、松溜につどう溜詰諸侯の拝謁がはじまった。
奏者番の指示に従い、順番に黒書院下段之間に入り、家定の目通りを受ける。
常溜三家は第一組。
はいつくばった状態で入室し、上段之間に座す将軍に平伏。
そして、顔を伏せたまま、ずるずる退出。
儀礼上、将軍の顔をはっきり見てはいけないことになっている。
こうした屈辱的姿勢をたびたび強いることで、徳川政権は諸大名に対しての絶対的優位性を示し、三百年近く諸侯の反抗心を抑制してきた。
『武』ではなく『威』による支配という、世界でもあまり例をみない統治方法で。
拝謁後、溜間に帰還。
これで、本日の儀式は終了。
常溜以外のタマリノマクラブのみなさまは、拝謁がすむとそそくさと下城。
井伊とヨリタネさんは、俺を真ん中にはさんで、無言のまましばらく密着。
「容保殿、お気を強く持たれよ」
ややあって、オッサンふたりは涙声でそう言い残すと、つらそうに部屋から出ていった。
このあとの将軍個別対面のため、俺は居残り。
家定がほかの伺候席との拝謁を行っている間、スタッフから声がかかるまで、溜間で待機するよう言われている。
部屋の南面は中庭。
とくに植栽や泉水があるわけでもない殺風景な白洲の中庭。
そこにただよう大気には、かすかに春めいたぬくもりが宿っていた。
(……切腹かぁ……)
外の、のどやかさとは真逆な殺伐とした心象風景。
思いうかぶのは、ハラワタどばーで、頸部切断面から噴水状に血しぶきがバシュバシュ飛び散るグロいスプラッター映像のみ。
(痛いんだろうなぁ……)
缶詰のギザギザで指を切っただけでも『痛恨の一撃』な俺には、自分で腹かっさばくとか、考えただけですでにウルウル。
あとは容さんが、どれだけ痛みに耐性があるかだが…………こいつもダメそうだな。
ひとりだと、どんどん思考が暗くなる。
ふと、開口部に人影がさした。
見ると、老中の松平伊賀守忠優が立っていた。