29 風聞
ジジイの作戦の巧妙さは、切腹話単品ではなく、庶民が大よろこびしそうなゴシップのオマケをつけ、うわさをより拡散しやすくセットアップしやがった点だ。
そのオマケとは、
『会津松平家は二十三万石の御親藩大名でありながら、藩主以下、主食にアワとヒエしか食べられない超どビンボー集団!(ぷぷっ)』というもの。
二百五十年以上固定化された身分制のもと、抑圧されつづけてきた庶民のみなさんは、大々名の転落話、困窮話が大好物。
なので、みじめな会津ビンボー伝説は、いまや江戸市中で誰ひとり知らぬ者はないくらい浸透しまくっている。
ったく、こういうときにはムダに頭が切れるんだな、あのジジイはー!
でも、切腹関連の話は悪意てんこ盛りの捏造だが、オマケは事実に基づいているのでちょっと複雑。
でもね、貧乏だからアワヒエ玄米じゃないんだよ!
(いや、ビンボーは事実だ……)
もとい。
容さんの食事があまりにアンバランスで不健康だから、食生活を見直した結果、アワヒエになったの!
だって、体操・ストレッチでせっせと体を鍛えても、食事がダメダメだったら効果ゼロでしょ?
この時代、食事のメインは大量の白米。
江戸期の日本人は、現代人の二倍、コメを摂取していたらしい。
オカズはとにかく貧弱で、野菜と味噌汁――一汁一菜的なパターンが多い。
殿様クラスだとちょっとはマシだが、それでも幕末頃には、将軍以下、二十代三十代の若い大名旗本までも脚気でバタバタ死んでいる。
脚気対策としては、ビタミンB1摂取が効果的だが、肉食をしないこの時代に、ビタミンB1がたくさん含まれる豚肉は手に入りにくい。
逆に、ビタミンB1をはげしく消費する砂糖類は、上流階級ほど大量に召しあがる。
早い話、激甘菓子食べ放題生活が、ただでさえ欠乏しがちなビタミンB1を涸渇させるのだ。
文字通り致命的な負のスパイラル!
江戸時代、脚気は『江戸患い』とよばれ、「参勤交代で地方から江戸に出てくると罹り、箱根の山を越えて江戸からはなれれば治る病気」と、いわれていた。
つまり、食生活が江戸風にかわると不足する栄養素が原因というわけ。
では、江戸と地方の食生活ではなにが決定的にちがうかといえば、それは主食に白米をとること。
江戸時代初期は、家康から庶民、ほとんどの人が玄米や胚芽分の残った栄養たっぷりのコメを食べていた。
ところが、元禄期ころに精米技術が進み、将軍や大名、富裕層などは白米を食べるようになる。
文化文政期には、江戸の下層階級にまで白米食が浸透していた。
一方、それ以外の地域では、コメに麦を混ぜた麦飯や、大根や野菜類をたしてカサ増しした『かて飯』とよばれるめっちゃヘルシーな主食を取りつづけていた。
だから、病弱な容さんも玄米や雑穀をとれば、脚気やほかの病気はかなり防げるはず。
これはウンチクからのウケウリと、母ちゃんからの栄養指導による推測。
スポーツである程度のレベルを目指すなら、日常生活で摂取する食品については、自分でも気を使わなきゃならないから、日々のトレーニングで消費されやすい栄養素を知ったうえで、不足しがちなものを意識的に摂取し、自分自身で体調管理するのはあたりまえ。
俺は、人一倍栄養管理にうるさい母ちゃんから、
「ジャンクフードや糖分が多い菓子・ジュース類は避け、部活帰りにコンビニで何か買うときも、そこを考えろ」と、徹底的にたたきこまれた。
ふがいない自己ベストタイムから箱根駅伝はあきらめたが、俺は今後も市民ランナーとして細々とつづけるつもりだったし、大学入学後はひとり暮らしの予定だった。
自炊のための最低限の栄養学も習得した俺って、エラくね?
その観点から見ると、容さんの食生活は完全にアウト!
容さんの健康、すなわち俺の死活問題。
俺は自分のために立ちあがった。
ラジオ体操開始四日目。
食事面の改善計画をじいに提案。
「殿が雑穀を召しあがる? 他の家中に知れたら、わが会津松平家末代までの恥にござりまする!」
反対されるのは想定内だったが、肉体改造とかビタミン不足なんて言葉は使えないので一工夫。
そこで、
「じい、わたしはツライのだ」
悲しそうにポツリ。
「は?」
「当家はたび重なるご公儀へのおつとめから、わが領民どもには重い年貢を課さざるをえない。ああ、会津の百姓らはさぞや苦しんでおろうのう(シクシク)」
「……殿……」
じつは、この『会津藩財政危機問題』はじいが俺に訴えたもの。
覚醒後、寝たきりだった俺に、まず最初に『会津藩御家訓十五ヶ条』を仕こんだじいは、ミッションクリアとみるや、次はさくっとこっちに移行。
「困った」
「苦しい」
「家臣に禄が払えない」
「もうどこも金を貸してくれない」
「財政破綻だ」
「参勤交代費が捻出できない」
「だから今月からおこづかいカットね」などなど、俺の枕もとでグチグチグチグチ。
なんでも、海のない会津藩は、なぜか長年にわたって沿岸防衛業務を命じられつづけてきたうえ、今回のペリー来航でも現在進行形で多くの藩士が海上警備に出動中だ。
幕命による経費全額自腹の出兵のせいで、膨大な累積赤字が会津藩の財政を圧迫しているのだ。
第八代容敬公の治世では、パパの手腕で長年の累積債務を処理し、なんとか赤字解消に成功したが、藩財政がわずかながら黒字化した矢先、パパがポックリ。
そのショックに追いうちをかけるように、天災による二年つづきの不作。
容さんが藩主になったとたん、藩財政は再度赤字に転落した。
とはいえ、これは容さんの能力うんぬんではなく、運が悪かっただけなのだが、いずれにせよ、会津藩がビンボーなのはまちがいない。
「近年わが藩は、毎年のように不作つづきではないか。わたしばかりぜいたくはできぬ。民と苦しみをともにしたいのだ」
老人ウケしそうな、おりこうさん発言で一芝居。
すると案の定、
「な、なんと」
じいの両眼から滝涙。
「金之助さまが……金之助さまがーっ!」
「……じい?」
予想以上のリアクションにビビる俺。
呼称もなぜか「殿」から幼名の「金之助」に変わっている。
(あとでわかったことだが、じいは容さんへの愛がマックスになると、無意識のうちに昔の呼び名を叫んでしまうらしい)
「金之助さまが、かようにご立派なことを!」
懐から紙を出し、盛大に鼻をかむじい。
感動しすぎてテンション上がりまくり。
「そ、それにのう、神君家康公も、飯は玄米や麦であったのだぞ?」
「まことにございますか?」
「うむ。白米を食すようになったのは元禄のころからだ。わたしは、尊敬する家康公にあやかって玄米を食し、かの御方のごときすぐれた武将になりたいと思う」
「き、金之助さまーっ!」
感動の嵐どころか、超大型台風なみ。顔中大洪水のじい。
「よくぞ申されましたっ! お任せくださいっっ! これより賄方に談判し、今宵の御膳から作らせることといたします!!」
傅役山川兵衛、あっけなく陥落。
(じい、おまえ、どうして毎度毎度こうも簡単にだまされる? 二十一世紀に生きてたら、モシモシのお兄さんたちに絶対カモられるぞ?)
その日以降、会津藩江戸屋敷ではめでたく主食はアワヒエ入り玄米ご飯となり、甘味嗜好品も一切禁止となったのであった。
にしても、御老公、どっからこの話、聞いてきたんだ?
賄方が雑穀炊飯をはじめたのは、ほんの数日前。
まさか……屋敷内にスパイでもいるのか?