25 奥御医師世継 松本良順
漆黒の闇。
一条の光もない暗黒。
「※☆‰★@」
声が聞こえた。
なまりのある老人の声が。
「じいちゃん?」
「……は……?」
あ、じいちゃんだ!
……だよな?
だよな!?
だよなっ!
やっぱ、夢だったんだよな、アレは!?
だって、憑依とかマジありえねーし。
それに、タイムスリップ?
んなの、アニメか小説の中だけだろ?
「☆気づ□◆○▼△た」
じいちゃんがつぶやく。
うは、なに、どうしたの?
声、めっちゃうるんでんじゃねーか(笑)。
それに、とぎれとぎれで、なに言ってるか全然わかんねぇ。
「夢、見てた。すごくヘンな夢」
じいちゃんを安心させたくて、目を閉じたままつぶやく。
「どのような?」
聞きかえす声音が、いつになくやさしい。
ああ、なるほどね。
きっと俺は、皇居前で突然倒れて、救急治療室に搬送されたんだな。
で、学生証とかで身元確認後、家族に連絡が入り、会津からじいちゃん上京――的な?
要介護のばあちゃんがいるから、母ちゃんが会津に残ったってわけね?
うん、要介護2じゃ、預け先も急には見つからないだろうし。
でも、おやじは?
あいつは都内在住なんだから、ふつうはおやじが付き添うはずだけど。
てことは、また出張か?
だから、すぐにはもどれなくて、じいちゃんがわざわざ東京に来たのか。
「どのような夢を?」
もどかしそうにうながすじいちゃん。
心配そうな気持がビンビンつたわってくる。
「うん、幕末の大名になった夢」
「ばく……まつ?」
たじろぐような口調。
「俺がね、よりにもよって松平容保になってる夢なの」
「…………」
あんた、幕末ネタ好きだろ?
いつも頼みもしないのに、しつこく語ってんじゃん。
なのに、なんでスルーなの?
「ねぇ、松平容保だよ? マジヤバくね?」
「……や、やば……?」
「なんでそんな夢、見たのかな?」
「……夢……」
ありゃ? なんかテンション下がってない?
なんで?
「でね、駕籠とかに乗って、江戸城行くの」
「え、江戸城?」
「そこで、将軍や井伊直弼なんかに会ってさ」
「な、なにを言って……?」
当惑したようにだまりこむじいちゃん。
あ、ごめん。
だよね、話ぶっ飛びすぎだよね?
孫が倒れたって知らされて、急いで駆けつけたら、こんな意味不明な話されて……たしかに困惑するわな。
にしても、なんで暗いままなんだ?
病気のせい?
え、まさか失明しちゃったとか!?
うわ、それは勘弁してほしいな。
そういえば、夢の中で覚醒したときみたいに、全身がひどく重くて超だるい。
…………。
深刻な病気……なのかな?
原因も治療法もわからないとかじゃないといいんだけど。
だって、せっかく今度こそまじめに生きようって決めたのに。
だから、死にたくない! 余命何年とか、ホントにムリ!
「おわかりになりますか?」
突如、ちがう声が割りこむ。
若い男の声だ。
「夢では、ほかにはどのようなことが?」
だれ?
―――― ああ、医者か。ERの。
じゃあ、これは意識レベルの確認ってやつね?
夢の話をさせて、ろれつがまわるかとか、言ってることが支離滅裂じゃないかとか、いろいろチェックするんでしょ?
はいはい、了解です。
「えーっと、夢では、パレスホテルも新丸ビルも読売新聞本社ビルもなくて」
「ほぅ?」
「でね、日比谷通りに和田倉門跡ってところがあるでしょ?」
「和田倉門【跡】?」
「ほら、箱根駅伝往路でスタートした直後、和田倉門交差点のちょい手前あたりで、横に交番がある橋のところ」
「箱根……駅伝?」
おや、先生、まさか箱根駅伝知らないの?
陸上に興味なくても、日本人ならふつう知ってるでしょ?
もしかして、先生、子どものころからひたすらお勉強ばっかやってて、一般常識に欠けるタイプなの?
あらら、そうなんだ。
まあ、それにERのドクターはかなり激務らしいからね。
正月も平日もかわらずにお仕事じゃ、駅伝どころじゃないのかもね。
「んー、つまり、その和田倉門ってところに会津藩の屋敷があって、そこが自分の家だったりするの」
「「「…………」」」
「だれかーーーっっっ!」
とどろく絶叫。
「殿のご様子がおかしいっ!」
と、殿?
ま、まさか……ここは、まだ、あっちなのか!?
弛緩しきった上眼瞼挙筋をムリムリこじ開ける。
すると……、
見えたのは、花の絵の天井!
「ぅっ、そぉーーーっっっ!」
―― 俺は、松平容保のままだった ――
めざめればそこは、十九世紀の江戸。
時間的には、あのブラックアウトから丸一日が経過したころ。
どうやら、病みあがりの身体であちこち歩かされたうえ、昼メシ抜き、ティーブレイクなしの会議。
しかも、ジジイたち御三家とのぎすぎすした舌戦で、心身ともに能力の限界を越え、ぶざまにも会議中、公方さまの御前で意識喪失……したらしい。
意識喪失後、遠侍で待つ大野に「会津侯急変!」の一報が入り、城外で待機中の駕籠が呼びだされ、中ノ口に横づけ。
中ノ口は遠侍棟北の、中ノ口御門の奥。
ここは本来、幕閣候補の雁間大名と本丸勤務職員用出入り口なのだが、江戸城内で急病人がでると非常事態につき、ここまで駕籠を入れることが特別に許可される。
ブッ倒れた会津侯は、担架がわりの戸板に乗せられ、中ノ口まで回送。
そこで、速攻駕籠に突っこまれ救急搬送。
上屋敷へ収容された松平容保は、再度、昏睡状態におちいった。
これをうけ、しつこく登城要請してきた井伊は強い自責の念にかられ、搬出される青年のかわりはてた姿に色を失い、いまだかつて見せたことのない狂態を演じたとか。
(……どんなだよ?)
ということで、俺の枕元には、またもや複数の人間が集結中。
じい
会津藩御殿医・磐田玄斎(この前もいた茶筅髷のやつ)
大野他、小姓三人
そして、知らないニイチャン一名
磐田玄斎は、容パパが町医者から抜擢した異色の御殿医で、農民階級出身ながら子供のころから学問好きで、刻苦勉励苦学のすえ医者になった男だ。
基本は漢方医だが、儒学者である儒医という肩書も持ち、会津若松城下で開業すると、親切丁寧な診療が好評を博し、城下町一行列のできる開業医となった。
その噂は、藩主の耳にまで達し、開明派の容敬は身分の低いこの町医者を御殿医として採用し、それ以来、玄斎はおもに病弱な容さん・利ちゃん担当ホームドクターとして仕えてきた。
それはいいが、で、このもうひとりのニイチャンは?
「堀田さまより仰せつかりました」
男はそう言って、青ぞり頭をペコリと下げた。
「奥御医師・松本良甫さまお世継、良順さまでございますぞ」と、じいが未知の坊主を紹介する。
……ん……?
この声は……さっきのじいちゃんの声!?
あれは俺の祖父じゃなくて、容さんの傅役だったのか。
会津なまりの老人の声だったから、そう聞こえたんだな。
やっと、二十一世紀に帰れたと思ったのに……。
なまじ、よろこんだあとだけに、しばらく浮上できそうもない。
「……はぁ……」
失意のなか、ボーっと見あげると、青ぞりニイチャンと目が合った。
(……松本良順……)
なんか聞いたことあるような、ないような?
「ご実父の佐藤泰然さまは、堀田さまのご城下で医学塾も開いていらっしゃる高名な蘭方医。そして、ご養父良甫さまは、漢方医として将軍家の奥詰医師をつとめておいでです」
プロフィール紹介はまだつづいている。
親父が佐倉藩での開業・私塾主催という関係で、堀田とも懇意にしてる、だと?
今回は堀田からの往診要請?
ああ、それで来てるのか。