24 暗転
「肥後っ!」
ホラー青年の呪縛をものともせず、ジジイが叫ぶ。
「その方、わしを愚鈍と申すか!」
「天下の英主であられる水戸さまが愚鈍などとは滅相もない。これは一般論として申しあげたまで。なにしろ、攘夷と唱えれば、すべての懸念も雲散霧消すると信じる【愚か者】が、ちまたではすくなくないと聞きおよんでおりますゆえ」
「だまれっ!」
うーん、この展開はまずいな。
誹謗中傷合戦になると長引く。
……それはちょっとダルい。
じゃあ、ジジイの好きな帝ネタでだまらせるか?
「なんでも、メリケンは帝どころか貴族階級もない四民平等の国だとか。そうなりますとひとたびメリケンの虜囚となった暁には、おそれ多くも帝であろうと漁師であろうとただの一異教徒。かの国の者が万世一系の天皇という尊い存在を理解できようはずもございませぬ」
「不敬であろうっっ! 帝と下人どもを並べ称するとはっ!」
……あれ?
ジジイの顔色がやけにどす黒くなってるけど、帝ネタが強烈すぎた?
このままいくと脳の血管ブチ切れて、ここで突然死したり……しないよな?
そんなことになったら、歴史がかわっちゃうし、さすがにそりゃマズイっしょ?
そうね、ジジイ、血圧も高そうだし、すこし配慮してやるか?
「いたしかたありませぬ。かの国とは国の成り立ちも考え方も異なるのです。しかもそれを異人にうまく説き聞かせることのできる通詞が皆無とあってはなおのこと」
「だまれっっ!」
唇をふるわせ、かろうじて絞りだす。
見ると、唇だけじゃなく手も体も全身ぶるぶる。
さっきからまともに反論もできないくらい頭もまったく回転してないごようす。
これは高齢者にとっては、かなり危険な状態だ。
もしや……もう何本か切れちゃった感じ?
これ以上刺激したら、マジで死んじゃうかも?
ヤバそうだから、そろそろおしまいにするか。
「伝え聞くところによりますと、いま列強の工場では多くの労働力を欲し、戦に敗れた清の民が奴隷として連れ去られているとか。祖国では貴人として敬われていた者も、牛馬のごとく働かされているのでしょう。いやはや、決して対岸の火事などではございませぬな、ははははは」
妙なテンションで笑う会津侯を前に、全員目が点。
ばかやろう!
これは『笑ってごまかす』って高等戦術じゃねーか!
個人的には、
「目先の攘夷にこだわったあげく、帝に艱難辛苦を味わわせる結果になったら、てめー責任とれるのか? それでも尊王家か!」
くらいブチかましてやりたかったけど、それ言ったらジジイの息の根完全にとまるよな?
そうとわかっててやったら未必の故意。さすがに寝ざめも悪い。
と、そのとき、
「肥後守」
自陣からまったりよびかけてくるやつが。
(……堀田?)
「申していることはまちがっておらぬが、いますこしおだやかな物言いをしてはいかがか?」
一瞬で熱が冷めた。
「たしかに、おおせのとおりにございます。配慮が足りずご不快な思いをおさせいたしました。申しわけございませぬ」
そう言ってかるく頭をさげると、堀田はテディベアのようなかわいい顔をほころばせた。
「若い者は言葉詰めがきつくなりがちでいけませぬなあ」
堀田は若い会津侯をやんわりたしなめる形で、この不毛な論戦に終止符を打った。
俺も終わりにするつもりだったが、ジジイのかわりに元気な新戦力――尾張侯・水戸慶篤がでてきたら論戦はさらにエスカレートするのは必至。
御三家対会津の溝はさらに深くなり、収集のつかない泥沼化の様相におちいる。
ヘタしたら、そのまま幕府内を二分する政争に発展する可能性すら……。
堀田はそれを察知し、俺たちに引き際を暗示した。
会議全体を見て的確に場の空気をコントロールしてくるこの手腕。
堀田さん、俺、惚れましたぜっ!
じゃあ、このあとは堀田に任せよう。
どうしても発言しなきゃいけなくなったら、堀田がなにかシグナル出してくるだろう。
「さて」
いまや会議の主導権は、堀田備中守のもとに完全移行。
「通詞はどういたしますかな?」
「それがしは英語のたくみな者をこそ用いるべきかと存ずる」
『あうん』の呼吸で井伊が受ける。
堀田と井伊は以前から親しくしているらしい。
このふたりが評定を仕切ってくれれば、現実路線にもどるだろう。
「さよう。それがよろしかろう」
溜詰重鎮ヨリタネさんも賛意。
「こたびの交渉、戦を避けることが第一義。
第二義としては通商の求めをできうるかぎり拒むこと。
ゆえに、これは極めて厄介な談判となりましょう。
肥後守の申すとおり、一言一句もおろそかにできぬかけひきとあっては、通詞はかの国の言葉に精通した者でなければつとまりますまい」
堀田はタマリノマクラブの総意に沿って、自論を展開。
「両国のあいだに複数の通詞が介在すれば、話に齟齬が生じ意図も伝わりにくくなる。ここはひとつ、英語がたくみな中浜万次郎に任せてみようではないか?」
堀田は同意をもとめるように座を見まわす。
もちろんこれに反対する者は皆無。
プッツン寸前から引き返してきたジジイすら、いましがたの論戦に全部もっていかれたらしくぐったり口をとざしたまま。この意見に異をとなえる気力もないようす。
親分が沈黙しているためか、ほかのふたりも終始無言。
「しからば、通詞は中浜万次郎に申しつけてよろしゅうございますか?」
阿部が全員に再度確認。
「よきようにせい」
御三家サイドからも思いっきりなげやりなGOサインが出た。
通詞問題がめでたく落着すると、
「肥後守、ほかに意見具申などはございませぬか?」
なにやら含みのある視線を投げてくる阿部。
その誘蛾灯っぽいまなざしに、ついついゆるむ自制心。
「ひとつございます」
うっかり出しゃばる俺。
「急ぎ長崎に使いを出し、オランダ商館長らを応接所に呼んでみてはいかがでしょう?」
清水先生ウンチク集・付録『禁断のIF編』からパクったネタをポロリ。
「「「オランダ商館長を?」」」
首をひねるオッサンたち。
むふふふ。じゃあ、ちょっとばかり未来人的秘策を披露してやるか?
「メリケン初来航の折、長崎に回航するよう、いく度申してもかの者はまったく聞き入れなかったのは、長崎には蘭人がいるためにございます。要するにオランダに交渉を妨害されぬよう、あのように強硬な態度で江戸周辺での交渉にこだわったのです」
開国前、日本の外交はただ一カ所、長崎でのみ行われていた。
去年、ペリーは合衆国大統領の親書をたずさえ来日したが、幕府は長崎で対応すると言ったのに、ペリーは江戸での会見をもとめゴネまくった。
なかなかOKが出ない中、アメリカ艦隊は臨戦態勢をとったまま江戸湾内の測量を開始。
これは他国の領土内における違法行為で、十九世紀の国際法上もアウトな暴挙だった。
ここに最新鋭兵器よる数十発の砲撃(空砲)もくわわり、徳川幕府開闢以来初の外国戦艦による示威行動――いわゆる『砲艦外交』を見せつけられた。
結局、幕府は、これ以上民心をおびやかされるのを惧れ、ペリーの要求どおり長崎ではなく江戸に近い久里浜での親書受け取りを受諾せざるをえなくなった。
こんなふうに日本に対して強硬姿勢を見せていたペリーだが、内実はかなり苦しかったようだ。
たとえば、
・アメリカ本国がこの遠征にあまり協力的でなかった
・アジア各地に進出する欧州諸国との国際的なせめぎあいに留意しつつ行動しなければならなかった
じつはペリーも、薄氷をふむ思いでの交渉だったのだ。
だからこそ、本交渉がはじまる前のいまなら、打てる手だてはいくつかあるはずだ。
「ならば、交渉の場に蘭人を立ちあわせればよいのです。メリケンの嫌がる状況を作れば、交渉においてこちらはいささかなりとも有……利…………に…………」
~~~~~~
正面の長押が大きく傾いだ。
「――――」
脳内が……一気に冷たく……なり……畳目が……スローモーションで……接……き……ん…………。
(……な、なに……?)
それを確かめるヒマもなく、つぎの瞬間、
完全に………………ブラックアウト…………。