21 論戦
「では、逆におうかがいしたい。いまの軍容で、まことに攘夷戦に勝てるとお思いなのですか?」
毛穴のひとつひとつが、ぎゅっと締まる感覚。
これは……レースの号砲が鳴る直前の、あのゾクゾクくる緊張感っ!
「多くの藩においては、火器はいまだ戦国期の火縄銃が主力。また、大筒も鋼鉄製ではなく、飛距離が短く命中率も低い青銅製ばかりではありませぬか」
「知ったようなことを申すな!」
水戸老公が、いきりたった。
「わが藩は昨年のメリケン艦隊襲来の折、大砲と弾薬を鋳造し、公儀に献上しておるわ!」
「はは、旧式青銅砲が何千門あったとて、弾が敵艦に届かぬのでは、ただの飾りにすぎませぬ」
「な、なにっ!?」
「機械工学や理化学の進歩をうながす最大の要因は兵器開発にございます。
ところが、わが国では三百年近く泰平の世がつづき、銃・大砲・軍船――兵器はすべて改良することすら禁じられてまいりました。
それに比し列強の歴史はつねに戦続き。他国より優れた武器を持たなければ、国家を存続させることもかないませぬ」
凛として、声をはる容さん。
「ゆえに、いま戦端を開かば、三百年おくれた武器で最新兵器をたずさえた敵と戦うこととなりまする」
「わしの問いの答えになってはおらん!」
っせぇんだよ。
てめぇの理解力が乏しいんだろが?
たしかに機械工学・理化学って言葉がこの時代にあったのかどうかはアヤシイけどさ。
でも、そこは容さんが翻訳できなかったんだからしかたないだろ?
「では、こう申しあげればお気に召しますかな?」
辛辣な口調で、ジジイの言葉を受け流す。
「四方を海に囲まれたわが国における唯一無二の国防戦略は、独自の『海軍』を持つこと。
そのためにはまず、先端技術の集大成である最新鋭艦船を購入し、これを参考にして国内で黒船を建造せねばなりませぬ。
つまり、製鉄所と造船所の建設も急務ということ。
ついては、国中の若い俊才に海外の技術を学ばせる必要があり、欧米諸国への留学生派遣を検討すべきでごさいましょう。
よって『海禁』は即時撤廃。
以上の二点から導きだされる結論は、
『異国と国交を開始し、早急に技術導入を図らなければならぬときに、鎖国など、考慮に値せぬ時代錯誤の愚策である』と言わざるをえません」
溜間、凍結。
ちなみに『海禁』とは、日本人の海外渡航禁止および帰国禁止令、ようするに鎖国令のこと。
……って、ちょっとブチかましすぎたか?
黒書院内に静寂がみちる中、上段之間の方でなにやら人が動く気配が。
マイナスオーラ飛びかうどろどろの論戦にへきえきし、家定が退席しちゃったのか?
「か、海禁は……幕府の祖法である」
やっとのことで蘇生したジジイだが、反論にしては説得力ゼロのうえ、毎度毎度の攘夷論。
「異国との和親どころか、海禁まで撤廃せよとは、そなたに『攘夷』の気構えはないのか!」
「ふっ、おそろしいほど非論理的ですね。メリケンの高圧的開国要求に反発せぬ者など、ひとりたりともおりませぬ。
なれど、水戸さまが口になさるは、現実を無視した狭義の攘夷論。
真の攘夷とは、国の自主独立を守りきること。
目先の夷狄を葬った結果、その後の戦に負け、国土が侵されたらどうなさるおつもりか?
まさに清国の二の舞となりましょうぞっ!」
味方であるはずの溜詰からも、妙な視線を感じはじめる。
たぶん、長期病欠するまでの容さんと、俺が憑依したいまの会津侯のあまりのちがいに呆然としてるんだろ。
意見を求められても、支離滅裂意味不明へどもど状態だったかつての容さんと、狷介固陋な水戸斉昭を完膚なきまでにたたきつぶすいまの会津侯とのギャップに。
(なんか……ちょっとちがくね?)というとまどいが、まわりからビシビシ伝わってくる。
しかし、いまはそれにかまってるヒマはない。
「先刻、水戸さまは『幕政に御三家がかかわらぬというは、泰平の世の決め事。いまは国家存亡の危機』とおっしゃられ、尾張大納言さま、水戸中納言さまの評定列席を主張なされましたな?」
酷薄なほほえみをうかべ、最後の追いこみ。
「ならば同様に、『泰平の世に定められた鎖国の祖法も、国家存亡の危機にあたっては、改変されてしかるべき』ということになりましょう」
はい、チェックメイト。
水戸老公、再度自分の発言を逆手に取られ、真っ赤になって歯ぎしり。
だが、ばっちり筋が通っているので、ひとことも言い返せない。
頬に井伊の熱い視線を感じる。
また容パパの雄姿を重ねあわせ、うるうるしてるのか?
そういえば、さっき井伊は容さんをかばおうとしてくれた。
ヨリタネさんや堀田も。
なんだかんだくどくど説教たれたつつ、溜間のオッサンたちは最年少の容さんをいつもサポートし、守ってきたんだろう。
超ぼんやりな容さんが、重要な将軍諮問機関・溜詰の一員としてなんとかやってこれたのは、たぶんここにいるオッサンたちのおかげ。
いままで容さんは、家定だけでなく、いろんな人から支えられていたのかもしれない。
危なっかしくて、ついつい助けたくなる『ダメダメ系愛されキャラ』として。
じゃあ、そういうことなら、この際、ちょこっと恩返しでもしとくか?
今後、井伊たちがすこしでも楽になるように。
「さて、最後にひとつ、お願いしたき儀がございます」
対面の三人を見すえ、不気味な笑みとともに慇懃に切りだす。
「以後、他人の意見に異を唱えるにあたっては、きちんとした代案を提示した上で行っていただきたい。
反対だけはするものの、ご自分は具体的意見をなにもお持ちでないというのは、はなはだ無責任かつ卑怯でございましょう?」
直後、老中の松平伊賀守が横をむいてクスクス。
きっとここにいる老中たちも、事あるごとに海防参与・徳川斉昭の威圧的口撃をうけ、さんざんイヤな思いをさせられてたんだろう。
そして、やりこめられたVIP三人は怒りマックス。
しかしながら、「代案を示せ」と言われ、なかなか反論できずにイライラ。
そりゃ、そうだ。
こいつらは他人にはケチばっかつけるくせに、自分はなんとかのひとつ覚えみたいに「攘夷!攘夷!」と叫ぶだけ。
御三家の権威をかさに着て、具体的な数字や状況判断に基づいた説得力のある討論なんて、やってこなかったにちがいない。
これで今後は、ジジイどもの言いたい放題発言を、ある程度ブロックできるはず。
溜詰や老中たちも、多少やりやすくなるだろ?
「反対意見はございましょうや?」
空気が読めるのか読めないのかわからない阿部伊勢守さんは、コワい険相で容さんをにらみつづける連中に、無謀にもおうかがいをたてる。
さっきまであんなにやかましかった三人は、当然スルー。
気づまりな数瞬がすぎたあと、
「肥後守の申し分、まこと理にかなっておいでだ。異論など差しはさむ余地もござらぬ」
堀田備中守がゆるゆると口を開き、全面的に俺を支持。
「いかにも」
「それがしも同意いたします」
堀田の発言が呼び水となり、全溜詰が堰を切ったように賛意を述べはじめる。
もともと和親は溜詰の合意事項で、これに反対する者はいない。
ただ……『海禁』は若干フライングだったかも?
「ご一同、和親にご異存なしと決します」
議長役の阿部がノーサイドのホィッスル。
それに対し、VIPたちは苦虫をかみつぶしたような顔で沈黙。
和親にむけた外交交渉開始が決定した。