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17 邂逅

 用場(厠)から溜間にもどると、全員すでに集合完了。


 しんと静まりかえる室内。


 きっちり正座する能面のオッサンたち。



 あわてて入室し、一礼。


「遅参いたし、申しわけございませぬ」


 小声で詫び、井伊とヨリタネさんの間に着座する。


 ジジイら御三家さまは、悪意ばりばりの目でにらんでくる。


 その他の諸侯オッサンどもは妙な上目づかい。



「どうなされた?」


「また、迷ったか?」


 心配そうに聞いてくるふたり。


「面目次第もございませぬ」


 トイレの帰り、迷ったのはたしかだ。


 ただ、予想外のハプニングが勃発し、さらに遅くなったのも事実で……。


 相当ヤバい、想像を絶するハプニングが。



 

 さて、江戸城本丸御殿は、三つのエリアにわかれている。


 官邸・官庁の『表』


 将軍公邸の『中奥』


 将軍の家族が住む私邸『大奥』だ。




『表』は江戸城の公的スペースで、官邸部と官庁部からなる。


 官邸は表御殿の西側。


 ここには、儀式・行事を行う大広間やふたつの書院、各大名旗本の伺候席がある。



 御殿東側は幕府の官僚たちが働く、いわば官庁街。


 老中のような大名兼官僚は両サイドを行ききできるが、一般の大名は官邸部分にしか入れない。


 しかも、家ごとに指定された場所以外は、みだりに立ち入ってはならない決まりだ。



 そして、表御殿にはトイレが少ない。


 溜間から一番近い厠は黒書院東側の厠だが、これは官庁内。

 老中ら官僚用トイレで、幕閣以外の諸侯は使えない。


 東側の官庁は職場なので、職員用便所の数も比較的多い。



 大名用は、白書院東の厠、玄関に近い蘇鉄之間南西の大雪隠、檜之間東の小雪隠等。


 溜間から一番近いのは、白書院のトイレ。



 休憩時間も終わる間際、俺は顔を洗いに、急いで厠に立った。


 往路は問題なくすんなり到着。


 ところが、復路でみごとに迷った。



 それで俺は悟った。容さん迷子の謎が。


 あれは、容さんが人並みはずれたぼんやりだからじゃない!


 江戸城内が、やたら複雑だからいけないんだっ!


 とにかく、なんでもいいから、ヘルプミーッッ!!



 しかし、こういうときにかぎって人影はゼロ。


 溜間までのルートを聞きたくても、無人状態じゃ、もうお手上げだ。



「井伊かヨリタネさんについてきてもらえばよかった~」と思ったが、すでにあとの祭り。


 うろおぼえの記憶をもとに、帰り道を模索するが、テンパればテンパるほど、おもしろいように深みにハマった。



 江戸城はムダに広いうえ、廊下も部屋もどこもかしこも似た造りなのだ。


 廊下のようで、廊下じゃない。


 部屋なのか、廊下なのか?


 なんで廊下に畳が敷いてあるんだ?


 ホントまぎらわしいよぉーっ!


(実際、行事のときは、廊下を仕切って控え室用小部屋として使ったりもするらしい)



 そして、ご立派な屋根の庇は深く、照明器具もあまりないので、城内は昼間でもうす暗い。

 遠くも見通せないため、もときた方も見失いがちになる。



 場所を特定する目印は襖や壁に描かれた障壁画で、『○○の間』と名付けられている部屋はそこに描かれた絵に由来した名なのだが……いたるところ見おぼえのない障壁画だらけ!



 しばらくウロウロさまよった末、小さな中庭前でいきづまった。


 奇石の石組とモスグリーンのミニ築山を配した、趣味のいい坪庭。



 ねぇ、ここって、御殿のどのあたりーっ?



 異世界の江戸時代の、異世界の江戸城。


 絶体絶命とは、まさにこのこと。



 さっき、ジジイどもをやりこめておきながら、評定に遅刻なんかしたら……情け容赦なくボコボコにされるっっ!!


 会議終了後には井伊・ヨリタネの高濃度説教大会もプラスなのは標準仕様(デフォ)


 いまから必死に戻っても、溜間そこには地獄の責め苦が待っている。


 確実に。



 ………ぐっすん。もう、やだ……こんなところ。


 おやじ、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃん。


 誰でもいいから助けにきて!


 丸の内上空がごちゃごちゃでもいい。


 一日十五時間以上勉強漬けになってもいい。


 じいちゃんの、クドい会津戦争グチグチ話が毎日展開されても、もうキレない。


 母ちゃんの、栄養学的には満点でも、おおざっぱな味つけで見た目もイマイチな料理に、これからは絶対文句なんか言わない。


 単身赴任中で、存在感のうすいおやじに「髪もうすいよね?」は一生禁句にする。


 会津訛りのキツイばあちゃんに「外国語?」とか言ってからかったりもしない。


 だから……助けにきて……。


 帰りてーーーっ!



 容さん憑依後、はじめての切望。


 いきなり放りこまれたSF的世界。


 意外すぎる状況に幻惑され、無我夢中だったこの十日間。


 完全な思考停止状態のとき、にわかにうかんだ家族の顔。


 ふとわれに返り、いまさらのように愕然。


 俺、なんで、こんなとこにいるんだろ?


 なんで、こんなことになっちゃってんだよ?


 家族のところに帰る方法も、帰れる見こみも、現在のところ一切不明。


 今できるのは、畳廊下にぺたんとすわり、なすすべもなくひとり忍び泣くことだけ。



 いっそ、死にてぇ……。


 …………ん? 俺、もう死んでんのか?


 死んで楽になることすらできないとは。


 ホント、救いようもねーな。



 エンドレスの絶望感。


 洗ったばかりの顔もべちゃべちゃに逆もどり。


 さっきあんなに泣いたのに、容さんの貯水量はハンパなく、俺は心おきなく涙にしずんだ。



 タイムスリップ物の主人公って、すごいよな?


 突然異世界に放りこまれても、あんまり凹んだりないし。


 自分のもってる未来知識をいかして、めちゃめちゃポジティブに生きていけるなんて、ほんとエライよ。


 でも、俺はダメだ。


 メンタル、すげー弱いし。



 そういえば、玄関で大野に注意されたな、「今日は泣くな」って。


 さっきは、容さんのこと、思いっきりバカにしてたけど、結局、俺も泣いてるし。


 ……そうだ、思いだした。


 俺、あっちでも、よく泣いてたかも。



 秋の高校駅伝県予選。


 いつも俺がブレーキになって、チームに迷惑ばっかかけてた。



 一年目。

 襷リレーで失敗し、七区で失格。


 チーム順位・総合タイムさえでなかった。



 二年目。

「去年の雪辱戦だー!」と前夜気合入りまくって、睡眠不足。

 体調最悪で、全然足が動かなった。


 うちの長距離部員は、エントリーギリギリの七人。


 短距離からの補欠メンバーはいるが、それはよほどの時にしか使えない。


 結局、自己ベストよりはるかに悪いタイムでフィニッシュ。


 順位も下から数えた方が早いくらい。



 三年目。最後の駅伝大会。


 ラスト一キロで、左ふくらはぎに違和感。


 それまでみんなが上げてきた順位をずるずる下げる結果に。


 なさけなくて、申しわけなくて、泣いてあやまることしかできなかった。


 なのに、駅伝仲間あいつらときたら、誰ひとり、俺を責めなかった。


「おまえのダメダメっぷりが、オレらのモチベーションになってんだよー♡」


 やさしいのか、いたぶってんのか、よくわかんないようなこと言ってくれるもんだから、よけいに泣けて泣けて……。



 あ……あぁぁぁーーーっ!!!


 一番思いだしちゃいけないこと、思いだしてんじゃねぇかよっっ!


 三年間襷をつないだ、俺の大事な仲間()


 いま、この状況で、絶対ダメだろう、あいつらのことはーーっ!


 もっと泣けてくるじゃねぇかーーーっ!



 と、気づいたときには遅かった。



(みんなぁーーーーっ!)



 容さんを、バカにできないレベルの大泣き。


 会いたいよぉ! 


 おまえらにもう一度会いたいよーぉっ!


『身も世もなく嘆く』をはじめて体現する俺。



 

「肥後か?」



 背後に声がした。


 ふり返った瞬間、容さんの秘められたポテンシャル発動!


 電光石火、容さん、がばっと平伏。



 …………あんた、こんなに高速で動けたのか!?



「久しいの」


 頭上から降ってくる声。


「はっ」



 だ、だれっ?



「迷ったか?」


 ふわっとした声だった。

 若干、笑いをふくんだような。



「相かわらずじゃな」


「はっ」



 容さん、さっきから「はっ」しか言ってねーぞ?



直答じきとう許す。面をあげよ」


 ゆっくりと上体を起こす容さん(ハードウェア)



 眼前にいたのは三十歳くらいのラフな着流し姿のニイチャンと、その背後に立つ八人の裃くんたち。



 そのニイチャンの下に浮かんだ字幕はただ一語。



 ――《公方くぼうさま》――



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