16 容さん追加データ
昔語りをはじめたオッサンたちは、どうやら記憶の連鎖がとまらなくなったもよう。
「そういえば、容保殿は脇差をよく厠に落としておりましたなぁ」
(……よ、よく……?)
「そうじゃ、そうじゃ。近いところでは先日の具足祝の式日(一月十一日)に、家伝の業物を台無しにしたと嘆いておったのう」
(落としたんだ……)
「人日(一月七日)には、厠に行く途中迷い、あやうく大廊下上之部屋に入りかけ、あわてていさめましたぞ」
(いい歳して、迷子?)
「ほかの殿席に入るは御法度。下手をすれば、降格減封になってもおかしくはない。危ういところであったな」
降格、減封ーっ?
ごく最近まで、いろいろやらかしてたのかよっ!?
やっぱ、恐れてたとおりじゃねーか!
容パパの心配は『杞憂』じゃなく、すごく現実的な『予測』だったわけだ。
「慎徳院(家慶)さまに何度さらわれかけても、一向に警戒心ももたず、ほんに困ったお子じゃった」
将軍に……さらわれ……?
ええーーーっっっ! どーゆーことぉーっ???
「あやうく寵童とされるところでござったな。かろうじて容敬さまが取り返され、事なきを得たものの」
ち、ち、寵童!?
青少年に対する強制わいせつ罪!?
白昼堂々、公の場で、拉致未遂事件!?
超ーヤバイ事態じゃねーかっ!
江戸時代、怖ーっっっ!
どうやら男色女色両刀づかいで、大の美童好きだった前将軍・家慶公(あのポットン事件もあるし、家慶さんって、ちょっとどうなの?)
中身はちょっと●●でも、子供のころからキラキラの美少年だった容さんは、十一歳のとき、会津藩世子として幕府に公式認定してもらうセレモニー出席のため、パパといっしょに初登城した。
初御目見で家慶公とご対面した容さんを、将軍さまは即ロックオン。
それからというもの、容さんが登城するたび、パパの目を盗んでのストーキング行為。
お菓子やおもちゃを餌に、容さんを本丸御殿・中奥におびきよせようと何度も画策。
(いまどき幼稚園児でも引っかからないような手で?)
ところが、ぼんやりの容さんはまったく教訓が生きない子。
パパからくりかえしきつく注意されているにもかかわらず、いく度となく悪いオジサンについていきそうになる。
その都度、容パパや井伊・ヨリタネさんら、固いディフェンス陣により死守されるが、一度だけ、表と中奥の最終防衛ライン・御錠口で、パパが身柄を奪還したこともあったという。
「あのときは悪鬼のごときすさまじい形相で、奥に突進して行かれたのう」
ヨリタネさんが当時を思い出しながらしみじみ述懐。
「公のあまりに恐ろしい激怒ぶりに、慎徳院さまもそれ以降はさすがにお手をお出しになりませんでしたなあ」
井伊も深々と追想の中にしずむ。
「…………」
なんか、もう、いろいろありすぎて……なんて言ったらいいか……。
「おぼえておいでですか? その折に、容敬さまがおっしゃられたことを?」
石化する俺をよそに、オッサンたちは思い出話に花をさかせる。
「たしか、『こののち、わが嫡男に指一本でもおふれあそばしたら、全藩挙げてお相手つかまつるっ!』であったかのう?」
「さよう。『御家訓など破り捨ててくれるわーっっ!!』とも叫んでおられましたなあ」
「公らしからぬ、お茶目な冗句よの」
「まったく」
「「はっはっはっはっ」」
えっっ!?
あの……それ、本気じゃない!?
(だって……)
覚醒後、まわりのやつらから、記憶喪失と判断された俺。
その俺に、じいがまっさきにレクチャーしてきたのが、この『御家訓』だった。
こっちはまだ寝たきりで、一切抵抗できない時分、しつこくしつこく、耳元でぶつぶつぶつぶつ、目を開けるたび、朦朧とする俺にあやしい呪詛のようにじいが唱えつづけた『会津藩御家訓十五ヵ条』。
イヤでもおぼえちまったじゃねーか!!
じい、いわく「コレは、会津松平家における藩是」
まぁ、会津オリジナル憲法のようなものらしい。
「病のためとはいえ、会津藩主たるもの『御家訓』を忘れるなど、あってはならぬことにございますーっっ!」
と、完全にイッちゃってる目でせまってきたじい。
とくに大事なのが第一条だとか。
「大君の義、一心大切に忠勤を存ずべし。
列国の例をもって自ら處るべからず。
もし二心を抱かば、すなわち我が子孫にあらず。
面々決して従うべからず」
要するに、
「とにかく将軍が第一! よその藩がバックレても、会津だけはまじめにやれ! 将軍に逆らう藩主がいたら、そいつは俺の子孫じゃねー! みんなシカトしろっ!」って内容。
とにかく、カタイ。
どの項目もカタイ。
十五ヵ条、全ー部カタイ!
こんなの、子供のころからブツブツ唱えてたら、完璧に将軍への忠誠心を刷りこまれてるはずだが、その『御家訓』を破り捨てるって、容パパが叫んでたとしたら……。
そりゃ、ガチの戦意だったんだよーっっ!
容さんを溺愛してたらしいパパ。
かわいい坊やをヘンタイから守るためだったら、『御家訓』にそむいてまで反乱もやむなし……って思いつめて……ギンギンの殺気を感じたからこそ、将軍も懲りたんじゃないの?
にしても……、
なぁ、容さん、あんたって人は、いったい……?
【容さん追加データ】
人物:ちょっと(いや、超)残念なお殿さま
英雄とよばれた賢侯の実子とは思えないコワイくらいのぼんやり君
父親が、トイレで溺死する息子の姿をリアルに思い描けるほど真正
父親はいろいろ心配すぎて、自分の死期がせまったとき、
同僚ふたりに息子の後見を依頼
登城のたび、オッサンたちから指導・警告を出されているもよう
容姿:抜群のルックス
両刀づかいの将軍に拉致られそうになった過去あり
小姓頭・大野冬馬とはなにやらアヤシゲ
身体:ただいまリフォーム中
ひどい………ひどすぎる。
いくらなんでも、ここまでとは。
そうか………ここ以外では大野たち家臣団にフォローされて、なんとかやってこれたのか。
遠侍より先、大名ひとりの力でやらなきゃいけない江戸城内では、容さんの実力が悪い意味でいかんなく発揮されてしまったんだろう。
でも、これでよかったんじゃね?
容さんが、パパ似の賢侯で、俺なんかよりはるかに優秀だったら、俺のストレスはハンパなかったろう。
だって、俺がこの環境下で生きていくには『松平容保』になりきるのが前提なのだ。
つねにデキた人物としてふるまいつづけるなんて……確実に、メンタルもってかれる。
(ってか、別の意味で合わせるのがたいへんだけど……)
でも、容さんがそんなレベルだったら、大名業の方もそこそこイケそうだな!
あの程度のロジックでオッサンたちが感心するくらいなら、ぼちぼちやってりゃ十分こなせるだろ?
あとは、ヘンに熱くなって敵を作ったりしなけりゃ完璧!
ヘンに………熱くなって………。
ん………待てよ?
いままでのモビルスーツは、俺の意思より自分にふさわしい言葉・表現を優先してたはず。
大藩の嫡男として育ってきた容さんは、俺の下品かつ乱雑なイマドキ日本語で形成された想念を、上品・マイルド・無害・無難な表現に自動変換していた。
でも、さっきの嫌味は?
特権意識のカタマリで、具体的構想なんかないくせに、他人の意見には平気でノーを突きつけるジジイども。
それにキレたのはもちろん俺だったんだが……。
あのイヤミ発言は、俺の考えを武家言葉にそのまま直訳しただけのもの。
しかし、朝、井伊に会ったときのあいさつの言葉は、
『あ、ども』が、「長らく登城をひかえ~」に変わっていた。
俺の原案とは、まったく別物に。
しかも、皮肉った相手は、幕末一の大御所・徳川斉昭だ。
あの場面、いつもの容さんなら、もっと婉曲な言い方とおだやかな態度に変換するところなのに、あんなトゲだらけ毒だらけの超過激な内容を、思いきり皮肉たっぷりな口ぶりで、モロおみまいしてた。
井伊・ヨリタネ仕こみの『将軍家御三家を守護し奉る親藩精神』が、ニューロン内にがっちりインストールされてるはずの容さんが、『尾張水戸玉砕』なんて、ためらいもなく口にするのは、なんか不自然な感じ………。
もしや……俺と同じことをずーっと考えてたのか?
溜間で意見を求められても、なかなか考えがうまくまとめられず、いつもしどろもどろになってたらしい容さん。
もしかすると、動機はちがっても、本当はさっきみたいなこと、前々から言いたかったんじゃないのか?
それがうまく言えなかっただけで。
ジジイのあの居丈高な態度や、万人を見下すような言い方に、容さん自身もキレそうになったことが何度かあったんじゃないだろうか?
そう思うと………井伊やヨリタネさんに対する態度もそうだったりして?
容さんの態度は一見従順そうだが、謝罪のセリフはけっこう機械的だった。
日々似たような説教をくらいながら、心の奥底では若者らしい反抗心もくすぶってたんじゃないのか?
ただ、そうした感情を表出するには、あまりに上品に育ちすぎてしまったから、出せなかっただけで。
そう、俺とはちがって。
……むむむむ。
容さん、まだなんかありそうだな?