14 第八代会津藩主 松平容敬
「このように弁舌さわやかな容保殿を見たのははじめてじゃな?」
その言葉に、井伊は大きく首肯。
「まことに。あれほど理路整然と話ができるとは。それがしも深く感じ入りました」
掃部頭は、こちらをじーっと凝視し、
「先代会津侯が生き返られたかと、見まごうばかりで……」
「うっ!」
突然目頭を押さえる井伊掃部頭直弼。
「容敬さまぁーっっ!」
「掃部頭殿」
ヨリタネさんは、井伊の肩を抱き、よしよしと慰める。
ぉ、ぉぃぉぃ、どうしちゃったの?
井伊と容さんのパパ、なんかあったの?
もし、重要情報なら確認しておかないと。
あ、いわれてみれば……俺、容パパのこと、なにひとつ知らないわ!
清水のウンチク集にも載ってなかったし、これって、ひょっとしたらマズくね?
だって、容パパの私生活面は家来から聞けるけど、江戸城内での容パパ、つまり公人としての会津藩主松平容敬像は同僚の大名しか知らないはず。
となると、これは逆にチャンスなのか?
じゃあ、いい機会だし……。
「じつは……」
じいに使ったあの手を再現。
「わたくし、あの大病以来、記憶がおぼろげで……両親の顔もあまり思いだせず、まことに心憂く、悲しゅうて……」
オッサンたちの動きがとまった。
「よろしかったら、父のことなど、教えてはいただけませぬか? 在りし日の父の逸話などを……よよよよ……」
涙目で悲壮感たっぷりに訴えたら、ふたりの琴線にふれたようだ。
「それは……まことにおいたわしいかぎり。われらで力になれるならば……」
オッサンたちは目を見かわし、うなずきあう。
「容保殿の父君・容敬公は……」
なぜかウェットな調子で語りはじめる井伊。
「当今の英雄と称すべきお方でありました」
「実に」
ヨリタネさんも感慨深げに同意する。
容パパこと、第八代会津藩主・松平容敬公は、一昨年四十七歳の若さで急死するまで、溜詰におけるリーダー的存在だったとか。
誰もがイヤがる江戸湾岸警護の任務を進んで引き受け、房州海岸を自ら巡検する雄姿。
東北地方に大飢饉がおきたときは、自領にひとりの餓死者も出さず、となりの藩にまで援助の手を差しのべたほどの完璧な領国経営。
五年前、外国船に対する幕府の方針を諮問された際には、「外国船打払令復活は時代に逆行する。開国すべし!」と、堂々と論陣をはった当代一の論客でもあったとか。
そんなエピソードの数々を、オッサンたちは感無量の面もちで語り、しみじみ追憶に浸りまくる。
「それがしは、容敬さまには返しきれぬご恩をたまわって……」
……い、井伊さん? なんか……遠い目になってますけど?
そして語られた井伊直弼の悲惨な過去と容パパとの友情譚。
直弼は、十一代彦根藩主井伊直中の十四男で、生母は側室だった。
父の死後、直弼は居城・彦根城から追いだされ、城下の小さな屋敷に隠棲。三百俵の捨て扶持を与えられ、十七歳から三十二歳まで、部屋住みとして不遇な青春時代を送ったという。
他家との養子話もつぶれ、とにかく希望のない暗い十五年間。自分が譜代の名門三十五万石の名跡をつぐ日がくるとは思いもしなかった。
ところが、運命のいたずらか、直弼が十四代藩主・異母兄直亮の世子になる。
だが、この兄はひどい偏屈で根性悪だったようだ。
さて、大藩の世子というのは、ふつう先代在世中から式日にはともに登城し、作法や慣習を実地に学んでいくものらしい。
家督をついだあと、一大名として大過なくやっていけるよう、徐々に実習を受けさせるための段どりなのだ。
しかし、先代直亮はなにも教えてくれない。
それどころか、この兄、世継ぎの弟・直弼にかける費用をケチり、将軍家供奉イベント参加に不可欠な弟の官服も新調しないまま、さっさと帰国。
しかたなく先々代のお古を使おうとすると、
「そんなボロい装束で人前に出たら、井伊家の恥になるでしょーがっ!」と、兄ちゃんの意をうけた意地悪家臣どもがイビるイビる。
「どーしろっつーのっ?」状態の直弼さん。
結局、将軍家供奉は、仮病を使って欠席。
この間、容パパは、まるでわがことのように気をもみ、ずっと直弼の心配をしていたそうだ。
兄・直亮は溜間でも相当浮いており、みんなにハブられる以前に自分から壁をつくるタイプの真正ボッチ。
その影響で世子直弼までもが、他の諸侯から疎遠にされる可能性は大きかった。
容パパとヨリタネさんは、なにかと直弼をかばい、みんなからハブられないよう配慮し、兄が教えてくれない礼儀作法・城内のしきたりは、全部常溜二家が伝授してくれたらしい。
こうした他家のおせっかいが直亮にはおもしろくなく、皮肉にも弟にさらにツラくあたる一因にもなったようだが。
兄の直亮は、ケチるのは弟だけにではなく、幕命によるお役目も例外ではなかったそうで、会津藩とともに江戸湾沿岸警備を命じられたときには、手間も予算も徹底的に削りまくり、かつて『井伊の赤備え』として勇名をはせた彦根の軍容は、その装備のミミッチさが他藩の笑いものになる始末。
一方、自分自身は特別あつかいで、大量の洋書や外国製品購入など、自分の趣味には惜しげもなくバンバン浪費する自己中さん。
経済・精神両面からのイジメに遭い、栄光の井伊家赤備えを嘲笑され、心折れそうなとき、つねに直弼の前にいたのは慈悲深く凛々しい英雄・容敬公。
そう、まさに兄とは正反対のキャラ!
井伊直弼は容パパを兄とも慕い、死後二年たった今もかわることなく、はげしくリスペクトしているらしい。
そんなご縁で、掃部頭直弼と讃岐守頼胤は、遺児容保の後見役をかってでたという。
このオッサンたちのご指導を、ぎっちり二年間受けつづけたおかげで、ふたりの説教には自然に従順子羊モードに入っちゃうようだ。
それにしても、親父がそんなに偉大だったら、容さんも次世代のリーダー格として、まわりからかなり期待されてるんじゃないのか?
譜代名家が教育係につき、溜詰エース候補だったりして?
だとしたら、ちょっとヤバイよな?
外側は松平容保そのままだけど、中身は脳ミソ筋肉のアホな体育会系高校生にチェンジしてるわけだし。
今後はどうふるまったらいいんだよ、俺?
やっぱ、聞いておいたほうがいよくね?
ってことで、
「父は、わたくしにどうあってほしいと願っていたのですか?」
ヨリタネさんに聞いてみた。
どうも井伊の評価は、容パパをかなり神格化してる気がするし。
「公の願いはただひとつ。容保殿が日々無事に過ごされることのみ」
ヨリタネさんの声が湿り気をおびた。
「容敬さまは、待望の男子誕生をことのほかお喜びになられておいでだった。病弱な容保殿を心から案じられ、『勇名をはせるより、心身ともに壮健に育ち、おだやかな一生を送ってくれたら、ほかにはなにも望まぬ』と、常々仰せになられていた」
なに、それ? すんごくいい話じゃん。
今風に言うと、
「おまえさえ元気でいてくれたら、無理して難関大学・一流企業になんて入らなくてもいいんだよ」みたいな?
うちのおやじに聞かしてやりてーわ!
容さん、めちゃめちゃ愛されてたんだなぁ。