11 黒書院溜間
中庭に面した畳廊下。
庭には早春の光がたっぷり。
一面に敷かれた白洲の照り返しがまぶしい。
二十畳以上あるうす暗い広間に入る。
部屋の襖絵は、力強い筆致で描かれた松の古木。
黒書院溜間。
通称、松溜。
ここは『伺候席』のひとつ。
伺候席、または殿席ともいうが、江戸城に登城した大名旗本が、将軍拝謁の順番を待つあいだの待機場所のことだ。
さっきのプライベート契約の坊主部屋とはちがい、こっちは公的に定められた待合室。
ここでは、飲食喫煙禁止。正座で待機。私語は最小限に。
伺候席は大名の家格・官位によって場所も指定されていて、うっかり他所に入ると降格もあるほど厳格に決められている。
溜間は、格式的には御三家用『大廊下上之部屋』、御家門筆頭越前松平家・外様ナンバーワン大名加賀前田家の『大廊下下之部屋』よりワンランク下だが、このふたつは格式こそ高いが名誉のみ。
登城日も式日と月二、三回の総登城日だけ。
幕政にも一切かかわれない。
ところが、この溜間に詰める大名――『溜詰』は、規定の総登城日以外にも五~七日に一度登城し、将軍にあいさつをしたあと、老中から政治上の諮問を受ける役割がある。
つまり、この部屋を殿席とする大名は、幕政にかかわる元老的位置づけなのだ。
『溜詰』の中でも、彦根井伊家・高松松平家・会津松平家の三家は、歴代藩主がここを殿席にする『常溜』という特別待遇で、ほかは、『飛溜』『溜間詰格』という御家門・譜代の数家がちょこちょこ入れかわるシステムになっている。
黒書院は、将軍のプライベート空間『中奥』に一番近い広間。
そこに付随した溜間に詰める諸侯は、将軍近くにいることを許された、信頼のおける家柄といえる。
ほどなく、大名たちが続々と集合しはじめる。
まずは、
《酒井雅楽頭忠顕・播磨姫路藩主》
《松平越中守猷・桑名藩主》
ふたりともまだ若い。
たぶん、十代後半~二十歳で、容さんとタメくらいか?
でも、それほど親しくないらしく、お互いかるく会釈を交わしただけ。
だが、つぎに来た
《松平讃岐守頼胤・讃岐高松藩主》は、ほかの殿様とは別格のようで、四十代半ばのやせたこの大名に、容さんは居ずまいを正して深々とお辞儀をした。
六人くらい集まったころ、
《松平下総守忠国・武蔵忍藩主》の字幕つきオッサンがあわてたようすで飛びこんできた。
「一大事にございます!」
全員の視線が集まる。
「水戸老公が尾張さまと水戸さまを本日の評定に加えるおつもりです!」
「なにっ?」
たった今までおだやかだった井伊の顔が、一瞬で般若に。
げっ!
これが井伊のダークサイドなのか!?
なにかイケナイものを見た気分だ。
とはいえ、ぼんやり座っているのは容さんだけ。
ほかのみなさまはこの一報にかなりエキサイト。
そんなただなかに、うわさのご老公、VIPたちを率いて登場。
「伊勢守っ!」
うなるような井伊の声が場を凍らせた。
井伊は、一行のうしろをついてきたオッサンに噛みつく。
「これはいかなることか? 本日は溜詰と老中たちの話しあいではなかったのかっ?」
怖ぇ~よ~。
脇差とはいえ、刀物を所持してるヤツがすぐ傍でキレると。
伊勢守とよばれた三十代半ばの男――《阿部伊勢守正弘・福山藩主・老中首座》は、困ったような顔でなにか言いかけた。
と、一瞬早く、
「幕政に御三家がかかわらぬというは、泰平の世の決め事じゃ!」
先頭にいた目つきの悪いオヤジがわめいた。
五十代中盤で、《徳川斉昭・水戸藩前藩主》の字幕。
徳川……斉昭……?
あー、あの!?
徳川最後の将軍慶喜の実父で、幕末一のトラブルメーカーとして有名なオヤジ?
こいつのおかげで、政局がぐちゃぐちゃに引っかきまわされ、幕府瓦解が早まったともいわれる、あのオッサン?
それにしても、やけに上からの言いぐさだな。
「いまは国家存亡の危機。国中の英知を集め、国の舵取りをすべき時ではないかっ!」
ぷぷっ。もしかして自分も『英知』に入れてますぅ?
「御三家は、本日ご登城日ではないはず。不時登城であろう!」
松平頼胤、井伊を積極的にアシスト。
「たしかに、本日は御三家の登城日ではない。なれど、われらは公方さまに御用あるとき、登城が許されておる!」
大名は登城する日がそれぞれの家ごとに決められている。
江戸にいる(在府)諸侯が全員一斉に総登城する日は、年に四十日程度。
溜詰など政治上の諮問を受ける大名は、総登城日と登城指定日。
今回のように緊急事態発生時は、在府中、呼び出しがあればいつでも。
反対に御三家は、総登城日以外はオフ。
徳川家光は、将軍に一番近しい親類御三家を、意図的に政治から遠ざけた。
近親者が政治にからむと、将軍位をめぐって骨肉の争いになると考えたから?
徳川政権が二百五十年ももったのは、この深慮のおかげだったのかも。
「偶然にも、本日、尾張侯とわが水戸家には公方さまに御用のむきがあってな」
『偶然』という単語に、そこはかとないウソくささがにじむ。
それが発端になり、大名たちのはげしい口論が勃発。
いや~、圧巻っすね!
斉昭以外の御三家さまは、
《徳川大納言慶恕・尾張藩主》
《徳川中納言慶篤・水戸藩主》
……あれ? 紀州、いなくね?
なになに?
参勤交代の決まりで、尾張家と紀州家は同時に江戸在府にはなんない?
そして、水戸家は参勤交代なし。
いや、待てよ。
数え年九歳の紀州藩主徳川慶福は江戸生まれ江戸育ち。
まだ小さいので、一度もお国入りしたことがないから、いまも江戸藩邸にいるはずだ!
なんで、紀州だけ仲間はずれなの?
慶福ちゃん、御三家内でハブられてんの?
大人のくせに、ガキ相手にイジメ?
あ、もしや……これが噂の南紀派対一橋派?
十三代将軍家定は病弱で、世継ぎとなる実子が望めなかった。
で、十四代将軍候補を誰にするかでモメたのが『将軍継嗣問題』!
この政争では、将軍候補者はふたりいて、ひとりは家定の従弟で、血統的に近い紀州藩主徳川慶福。数え年九歳。
もうひとりは、水戸斉昭の息子で、御三卿一橋徳川家の家督をついだ慶喜。
生母は斉昭の正室。同母兄には現水戸藩主・徳川慶篤がいて、たしか今年十八歳だったはず。
慶福を押す南紀派は、溜詰などの譜代大名と大奥のオネーサンがた。
慶喜の一橋派は、実父斉昭を中心に尾張慶恕や越前藩主松平慶永、外様の島津斉彬、伊達宗城、山内豊信、賢侯とよばれる大名と一部の幕臣たち。
紀州慶福と水戸・尾張の距離感は、これからはじまる将軍継嗣抗争の予兆なのか?
一方、阿部といっしょに登場した老中は三人。
《牧野備前守忠雅・越後長岡藩主》
《松平伊賀守忠優・信濃上田藩主》
《松平和泉守乗全・三河西尾藩主》
老中らはヒートアップする群れからはなれ、収拾のつかない騒動を見まもっている。
とくに、松平ズは苦々しい表情で、その目線は水戸老公に注がれている。
ふいに、阿部がこっちをふり返った。
容さんが、ひとりしずかに端坐しているのがヘンに目立ったのか?
通勤のダメージがデカすぎて、半分気絶してただけなんですけど。
「肥後守」
「はっ?」
急に静まりかえる溜間。
「いかがお思いになられますか?」
阿部は色白のぽっちゃり体型。
もちもちの塩大福を思わせるやわらかそうなお肌。
老中首座は柔和なほほえみをうかべながら、すっと正面に座った。
いかがって……?
別にどうでもいいじゃん?
なんでもいいから、さっさと始めて、ちゃっちゃと終わろうぜ。
早く帰って、今日のトレーニングメニューをこなしたいんですけど、俺はっ!
「わたくしはかまわぬと存じますが?」
「ほぅ?」
阿部のうしろで水戸斉昭が妙な声をだした。
「みなで知恵を出しあい、早急に策を講ずるべきではありませぬか? それより、時が惜しゅうございます」
容さんったら、なんかイイ感じに変換しちゃって、このこのぉ!
…………っ!?
井伊のオッサン、めちゃめちゃこっちにらんでるけど……俺、なんかマズイこと言ったか?
『大獄』『粛清』の文字が脳裡をかすめる。
「肥後守の申すとおり!」
徳川慶篤が声をあげた。
斉昭と慶恕も満足気にうなずく。
「このように不毛な諍いをする暇などない」
はからずも、溜詰最年少の会津侯と御三家が合意したかたちになってしまった。
それ以外の溜詰は超お怒りモード。
阿部はそんな諸侯を手ぎわよく集め、
「では、急ぎ評定をはじめましょう。メリケン艦隊がシビレを切らし、暴挙に出ぬとも限りませぬぞ」
黒船対策会議の開始を宣言した。




