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98 間宮海峡


[この儀、プチャーチン閣下もご異存はありますまい!?]



 ―― ! ――



 大野の声でわれに返る。


 その三白眼から放たれる(こら、なにボケっとしてんだ!)の叱責光線。


 っと、いかん、いかん!


 ここに至るまでの裏工作プロセスが、われながらあまりにもすんばらしすぎちゃって、たっぷり一話分、うっとり回想してたわ~、はっはっは!



[し、しかし……]


 プチャーチンは、俺には目もくれず、滝汗状態。


(お、プーちゃん、俺の遠い目に気づいてない?)


 想定外のオランダ領事官登場に、プーは知覚の全部をもっていかれちゃったようだ。


(よしよし、セーフ!)


 あの業突ごうつく帝国ロシアとの交渉中に、なにやってんだよ、俺!


 もうちょいまじめにやらないと。


 大野あいつの目、マジギレっぽかったし、このままじゃ、いつものように朝まで説教コース……(ぶるぶる)……。




[これは、ロシアと日本の折衝だ! オランダは関係ない!]


 こっそり反省する俺の前で、憤激プーさんは大音声で猛抗議。


[だからよいのではありませぬか? クルチウス領事官は、公平な判断ができる局外中立のお立場。立会人として、これ以上の適任者がございましょうか?]


[……くっ……]


 大野のパーフェクトな反論に、くちびるをかむプー提督と、


[立会人の件は、納得いただけたようだな?]


 沈黙するロシア使節団にトドメをさす日本側全権()


[では、交渉再開といこうか?]


 その言にうなずく外国人はクルチウスのみ。


[さて、さきほどは樺太領有につき、わが国の存念を申し述べたが、じつはほかにも主張したいことがあってな]


 はい、ここからが本番っすよっ!


[わが国の史書・古文書・古地図にもとづき考察した結果、樺太はもとより、撫島うるっぷとうをふくむ千島列島および勘察加カムサツカ(カムチャッカ半島)までが日本古来の領土と判明した。ゆえに、このたび日本政府は、樺太・千島列島にくわえ勘察加の領有権をも主張する!]


[[[――――]]]


[よって、一片の権利も根拠もなく日本に侵略し、その際わが国民を大量に虐殺し、いま現在もわが国土を不当に占拠しつづけるロシア帝国に対し、領土の即時返還および相応の賠償金を請求するものであるっ!]


[[[…………]]]


 白くまたちのメンタルは、成層圏のかなたに飛んでいったもよう。



「又一」


「はっ」


「例のものを」


「はっ!」


 ロシア側が真っ白になっているすきに、つぎの攻撃の準備に入る。


 又一は持参した包みから書類の束と筒状の紙を取り出して、卓上に広げた。


 テーブルにうず高く積まれたのは、大量の古書の写しコピーとオランダ商館から借り受けた地図数点。



[これはわが国の史書から抜粋した北方領土に関する記述。そして……]


 ヤンおじさんとのあいだに交わされるアイコンタクト。 


[クルチウス領事官]


[はい]


[ここはなんという地名だ?]


 余裕のほほえみとともに、地図の一点を指し示す。


[ここは……ふむ、マミヤ海峡でございますな?]


[さよう、マミヤ海峡。間宮……間宮林蔵。幕命により樺太とその海峡の先 ―― 黒龍江一帯をも調査し、報告書を書き記したわが邦の官吏の名である。ゆえに、少なくとも樺太全土はわが領土であることをここに宣言する!]


[[[バ、バカなっ!!!]]] 


 ロシア側は、われを忘れて大絶叫。


[[[そこはマミヤ海峡ではない! タタール海峡だっ!]]]


[む? いま、なんと?]


 秀麗な眉を上げ、ひややかに追及。


[いま『バカ』と、このわたしを『バカ』と申したな? こともあろうに、このわたしに!]


 ここぞとばかりに、失言をしつこくリピートしてやると、


[[[……ぁ……ぃゃ……]]]


 激高していた白クマどもは、一気に青ざめる。


[ふっ、これはずいぶんな…]


 絶対零度の笑みをうかべ、恐怖に引きつる四つの顔を熟視まじまじ


[わたしは日本国宰相にして、日本国王の血族。また国内有数の大領主であり、国内最強軍の総帥。そのわたしに対しなんたる侮辱っ!]


 この一喝に、全員総立ち。


 幕臣には大野がたえず通訳していたので、全員、状況を完全に把握している。


 しかも、空気を読むのにたけた日本のオッサンたちは緊張がはしったとたん、一斉に立ちあがってくれたのだ。


[わが国では主君が辱められしとき、その臣たる者は自らの命を賭して、仇敵を誅伐することになっておる]


 ドスをきかせてすごむ副官。


[武士にとって名誉は命よりも重い。覚悟いたせ!]


(あんた、相かわらずいい芝居するねぇ)


 ふたたび柄をにぎるムダのない構えにほれぼれ。


[われら国王親衛隊もご助勢つかまつる]


 すっと進み出るアルカイックスマイルの旗本一名。 


 なぜか、シナリオにない出演者まで登場する事態に。


(『国王親衛隊』? あぁ、旗本のことね?)


 てか、なんかめちゃくちゃ楽しそうだな、岩瀬?


「「「魯戎ろじゅうめっ!」」」


 又一をはじめ、ほかの幕臣連中も臨戦態勢に入る。


「「「大老格の参与に対し、無礼千万っ!!!」」」


[はやるな! この場で誅するは容易たやすいが、さようなことをいたしては、諸外国から蛮風とのそしりを受ける。ここはひとつ、国際的慣例に従おうではないか?]


 ノリノリの一同を制して、人垣の外に目を転じる。


[のう、クルチウス領事官?]


[はい]


[欧州において、他国の王族に対する侮辱行為は、宣戦の理由にるであろうか?]


[十分なりえますな]


 しかつめ顔のヤンおじさんに、吹き出しそうになる俺。


[相わかった。ならば、この非礼については後ほどあらためてただすとしよう]


 そこでいったん場を収め、全員に着席するよう指示を出す。


 ガクブルしながら腰を落とすプー一行と、それを陰険な目つきでガン見するサムライ軍団。


[さてと、露国全権はわが国の主張に得心がいかぬようす。ここは少々説明が必要かもしれぬな?]


 こんどは腹心にちらりと目配せ。


[冬馬、とくとご説明申しあげよ]


[御意]


 えーっと、全部列挙すると長くなるので、ザックリ簡単にいうと、



 樺太の歴史:


 七世紀半ば、天皇の命をうけ、阿倍比羅夫が樺太に遠征


 十三世紀末、日蓮宗の坊さんが樺太にわたり布教活動


 その二年後、蝦夷代官・安藤氏が樺太アイヌを引きつれて黒龍江流域に侵攻し、元軍と戦闘


 十五世紀、樺太アイヌのボスが蝦夷管領の代官(松前氏祖)に従う


 十六世紀、豊臣秀吉が松前氏にアイヌの保護と支配を命じる


(※ これ以降の対露領土紛争については、四十五章『乖離』をご参照ください)



 千島列島・カムチャッカ半島:


 十七世紀前半、松前藩が千島列島・蝦夷地の地図を作製


 その九年後、幕府が『正保御図絵図』作成の際、松前藩領として『クナシリ』『エトロホ』など三十九の島嶼とうしょが記載される


 十七世紀末、カムチャッカにロシア軍が侵攻。アイヌと戦闘し、住民を虐殺

 その際、集落にいた和人・伝兵衛がロシア本国に拉致られる


 1700年、幕府が松前藩に、勘察加・千島列島入り地図と郷帳(戸籍)作成を命じるが、数年後、カムチャッカがロシアに占領される


 だが、千島ではアイヌが居住をつづけ、幕吏が調査・日本領をしめす標柱をたてる



 ようするに、


「ある日突然ロシアが侵略してきて、居座ってるんです! それに樺太だけじゃなく、カムチャッカまでが日本の領土うちのなんです!」


 ―― を資料を提示しながら懇切丁寧にくどくどと説明してやった。




[といった経緯なのだが、どうであろう、領事官?]


 フリーズ中のプーどもをシカトして、ヤンちゃんにふる。


[ふむ、どうにもロシアに分が悪うございますな]


 もったいぶって判定を下すオランダ外交官(サクラ)


[日本側は過去の記録を丹念に調査し、領有の根拠をきちんと示したうえでの主張であり、その内容もまことに信頼にたる妥当なもの。

 それに対しロシアは、武力を背景にその領有権を追認せよなどと強弁するのみ。

 これはいささか正統性に欠ける乱暴な主張と申しあげねばなりません]



 ヤンおじさんは、(期待どおり)日本側に有利な意見を述べてくれた。



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