Epilogue
僕は逃げた……暗い森の中を。
闇に視界を遮られる事など無い。
僕は、そう造られたのだから……。
別に不満があったとか、そんなんじゃ無い。
ただ、僕は見てみたかったんだ。
父さんと母さんが暮らしていた 『自然』 って物を……。
でも、小さな僕は遠くまで走れない。
例えどんなに強く造られたとしても、例えどんなに賢く造られたとしても、僕はまだ子供だったんだ……。
そして……僕は力尽きて倒れた。
深い闇が僕を包んで放してくれなかった……。
お願いだ……せめて……せめて一目だけでも……。
「おじいちゃん! 仔犬がいるよ!」
「ん? ……こりゃあ犬じゃない。 ちょっと変わってるが、狼だよ」
「おおかみぃ?」
「純粋種では無さそうだな……だが、こいつはもうダメだ。 こんなに傷付いていたのでは助からんだろう」
……誰?
「わたし連れて帰る!」
「駄目だ。 自然の中に生きる者は、自然の中で死ぬべきなんだ。 人が手を出すべきじゃない」
「ヤダ! 絶対に連れて帰るぅっ!」
「やれやれ……まったく、強情なのは誰に似たのやら。 ……仕方ない。 その代わり、お祖父ちゃんの言う通りにするんだぞ?」
「うん! ……あ、目が開いた!」
……この人間は……?
ラボの人間じゃない……?
「わたし、リセルっていうんだよ。 よろしくね、ワンちゃん」
……りせる?
……この子の名前……?
「ワンちゃんではおかしかろう? こいつは誇り高き狼だ、相応しい名前を付けてやらんとな」
「う〜ん……じゃあ、ガイ!」
「ガイ?」
「うん! この前読んだご本に出て来た騎士の名前なの」
「そうか、騎士か。 それはいいな」
ガイ……?
僕をそう呼ぶのか、この子は……。
「さあ、ガイ。 おうちに帰ったら手当てしてあげるから、それまで我慢するんだよ? 騎士なんだから、それくらい強くなくちゃね」
そう言って、リセルは小さな手で、僕を優しく抱き上げてくれた。
それは10年前の事……。
僕とリセルが初めて出逢った時の事……。
「……そして救助隊の人達に助けられたリセルは、大きな病院で手当てを受けて、無事にお家へ帰ったの」
小さな山小屋のような家の暖炉の前でロッキングチェアに揺られながら、老婦人は静かに囁くように話した。
「おばあちゃん! そのあと、リセルはどうなったの?」
老婦人の足元に纏わりつくようにして、期待に瞳を輝かせながら小さな女の子が言った。
その話しには、まだ続きがありそうな気がしたのだろう。
「普通に結婚して、普通に暮らして……幸せな一生を終えたのよ」
「ふうん……」
物語りの結末としては面白味に欠けたせいか、女の子は多少不満そうな顔をした。
だが、もう話しが続かない事を理解すると、それ以上何かを言う事はしなかった。
「さあ、もう遅いからお休みなさい」
「うん。 明日もまたお話してくれる?」
「ええ、勿論」
老婦人の答えに満足して、女の子は 「お休みなさい」 と言って、自分の部屋へと歩き出した。
その後ろ姿を見送ってから、老婦人はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓際へと歩いた。
そこから見える景色は、あの頃とは全く変わってしまった。
木々は生い茂り、星明りに照らされた緑の大地は、草花をその腕に抱えているかのようだ。
まだそれ程の力強さは無いものの、そこには確実に明日へ繋がる景色が広がっている……。
「お祖父ちゃん……海は、空は、限り無く蒼い色をしています。 あの頃とは何もかも違ってしまって……けれど、これが本当の姿なのかしら?」
ふと視線を落とすと、外の闇の中に微かに動く影が5つ見えた。
「……元気そうね、ガイ」
そこには外の闇と同じくらいに黒い体毛を持った犬が5匹、リセルをじっと見つめていた。
野犬と思われるその犬達に、老婦人は 『ガイ』 という名前を付けていた。
みんな同じ名前……けれど、何故か別々の名前を付ける気になれなかったのだ。
それ程に、その5匹は似ていたのだ……。
「あなた達にも聞かせてあげましょうね……ガイという名の騎士の話を……」
5匹の犬達は暫くの間、老婦人の話しに耳を傾けているかのように、その場を動かなかった。
その惑星の海は昔、赤かったのだと云う……。