ACT 1
黒塗りの高級車が一台、静かな山間の道を走っている。
その道は完璧に舗装された路面と、舗装が崩れた路面とが断続的に続いている為、振動が車体をガタガタと揺らし、走りにくい事この上ない。
「酷いもんだな……もうここまで手が回らなくなってるのか」
ウェーブのかかった金髪をかき上げながら、青年は軽く舌打ちをした。
やがて、ろくに整備もされていない道の前まで来ると、青年は車を停めて外へと出た。
巨大な岩塊が幾つも立ち塞がるように、青年の眼前に聳えている。
「ここからは徒歩か……まったく!」
ネクタイを忌々しそうに緩めると、青年はぶつぶつとボヤきながら、遠くに見える山小屋のような造りの家に向かって、大股に歩き始めた。
やがて家の前まで来ると、青年はそれが当たり前であるかのように、ノックもせずに重そうな木のドアを開けた。
自然の破壊が極限まで進んだこの時代において、木造の家に住める人間は限られている。
つまり、ここに住んでいる人物は相当の地位にいるものと思って間違いない。
「こんにちは。 今日こそは良い返事を聞かせて頂きたいですね」
青年は、この家の主であろう老人に向かって言った。
「……君もいい加減しつこいな」
こういう訪ね方をする人物が誰なのか知っていたからだろう、驚いた様子も無い老人は不快感を隠そうともせずに、金髪の男に言い放った。
「何度来てもワシの答えも考えも変わらんよ。 もう充分に務めは果たしたんだ……これ以上は何もしたくないし、出来ん」
「僕の裁量で出来る内に頷いた方が身の為だと思いますがね?」
「一人前に、ワシに向かって脅しをかけるか……それで、君にはどの程度の裁量があるんだね? 公用車を自由に乗り回せるくらいか?」
「皮肉ですか? これは手厳しいな」
青年は軽く笑うと、手近に合った椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
そう簡単には帰らないという意思表示だろう。
「あの、シロタさん……お茶を」
「茶など出す必要は無い。 もうお帰りだそうだ」
孫娘だろう娘が青年にお茶を勧めるのを、老人は遮った。
老人の強い調子の声に驚いたのか、娘の赤く長い髪が身体の揺れと一緒に靡いた。
「これはまた、随分と嫌われたものですねえ」
シロタは老人の言葉などまるで意に介さず、娘がトレーに乗せて持ってきた紅茶のカップを手に取ると、その柔らかいウェーブのかかった髪を弄りながら一口啜って、ニヤリと笑った。
「貴方がどう言おうと、これは政府の決定ですからね。 従って頂けない場合、処分が下りますよ?」
「何が政府の決定だ……そんな物に従っていたから事態がここまで悪化したのだという事に、何故気付かんのだっ!」
老人がバン! とテーブルを叩くと、老人の足下で眠っていた犬が片目を開けて老人を見た。
蒼い瞳を持つその犬は、記録に残っている犬と比べて四肢が太く、身体もかなり大きい。
艶やかな漆黒の体毛は、きちんと手入れされているのだろう、キラキラと輝いているようだった。
データベースで見たシベリアンハスキーというのに少し似ているな……と、シロタは思った。
「僕は宮仕えの身ですからね、上の命令には逆らえません。 逆らって貴方のようになるのも嫌ですしね」
「とにかく協力はせん! 帰れ!」
「やれやれ、解らない人だなあ」
シロタは長い足を組み直すと、椅子の背凭れに肘をかけてニヤリと笑った。
「僕は物事を穏便に済ますのが好きなんですけどねえ……」
「ふん……!」
「貴方は婚約者の祖父でもあるし、手荒な事はしたくないんですが……事と次第によっては手段も考えますよ?」
そう言ってシロタが立ち上がると、今まで大人しくしていた犬が急に立ち上がり、シロタに向かって牙をむき出して唸り声を上げた。
「お……おいおい、何だよ急に」
「君……もしかしたら、その服の内ポケットに何か物騒な物を持っているんじゃないか? ガイは君がそれを使うと思ったんだよ」
老人がチラリと視線を落すと、ガイはそれを肯定するように再び唸った。
「はは……まさか。 そんな物持ってませんし、持ってたとしても使いませんよ」
シロタは自分の前で手を広げて大袈裟に振って見せるが、ガイの唸り声は大きくなるばかりで、収まる気配を見せない。
それどころか、今にも飛び掛らんばかりに四肢を踏ん張り、その視線は的確にシロタの腕を捉えている。
「……それは嘘だと、ガイは言っておるが?」
「ガイ! お止め!」
「リセル、こういう時には叱ってはいかん。 ガイ、もういい、落ち着きなさい……」
老人がガイに静かに語りかけ、節くれ立った手で背中を優しく撫でると、多少不服そうにではあるが、ガイはまた静かに床に伏せた。
しかし、その目は開いたまま、依然としてシロタを射程に捕らえている。
「……僕が今日このまま帰ったら、次には政府の役人が来ます。 そうなったらタダじゃ済みませんよ?」
シロタは忌々しそうにガイを睨みながら言った。
「最初からそのつもりだったのじゃないかね? 第一、君は単なる折衝係で何の権限も無かろう? 言われた言葉をそのまま伝えるだけの伝書鳩だ……もっとも、その伝書鳩も今では絶滅しているがね」
「……僕を愚弄するんですか……!」
「自分の意志も考えも持たん輩が一人前の口をきく……世も末だな」
シロタは少しの間老人を睨んでいたが、やがて力を抜くと、踵を返して出口に向かった。
「君の上役とやらに伝えておけ。 この星の海は昔、蒼かったのだと」
「伝えますよ……だが! その色を赤く染めたのは僕等の世代じゃない! 貴方達の世代ですよ、ノイ博士!」
シロタはそれだけを言うと、扉を乱暴に閉めた。
リセルは、すぐにその後を追って外へ出て行った。
「お爺ちゃん……昼間のあれは言い過ぎよ?」
食器を片付けながら、リセルは祖父に言った。
夕食の席でのリセル話題は、ノイの青年への態度を批判する物ばかりだった。
「ワシは別に間違った事は言っておらんつもりだが?」
旨そうに煙草の煙を吐き出すと、同じ言葉を繰り返すリセルに、ノイもまた同じ答えを返す。
「良い悪いじゃなくて、物には言い方があるって事よ」
「言い方を変えても、伝わらん奴には伝わらんものだ。 なあ、ガイ?」
ノイがガイに向かって言いながら頭を撫でてやると、ガイは気持ち良さそうに目を細めた。
リセルは、その光景を苦々しく思いながら続ける。
「いくら彼の事を気に入らないからって、あれじゃ言いがかりだわ。 彼だって必死に頑張ってるのよ?」
「己が保身と出世と金の為にな」
「そんな事ないわ! この星に住む人の為になるんだって言ってたもの!」
だが、ノイはその言葉に何も言い返さず、リセルの顔も見ずにガイを撫で続けている。
こうしている時、ノイはとても穏やかな顔をする。
そして、撫でられているガイも目を閉じ、じっとされるがままになっている。
「ガイ、ガイって……希少生物だから大事にするのは解るけど、叱る時には叱らなきゃダメなのよ? 人間の言葉なんて、ラボにいる特別種じゃなきゃ解んないんだから!」
「お前も奴と知り合う以前……いや、子供の頃にはガイと話せたのにな……可哀相な事だ」
「何それ、私が変わったって事?」
リセルは片付けの手を止め、ノイに言った。
その言葉には多少険が含まれている。
「ああ……。 それも、悪い方にな」
「私は何も変わってないわよ!」
「では訊くが、今、ガイが何を考えているか解るか?」
「犬の考えてる事なんか解る訳無いじゃない。 馬鹿な事言わないでよ」
そう言うと、リセルは食器を持って、キッチンへと消えて行った。
ガイは、それを悲しそうな目で見送っていた……。