幽霊になった極悪令嬢が最期に伝えたかったこと
「許さないわ、絶対に。呪い殺してやろうかしら」
女は美しい顔を憤怒で歪めた。陽光を閉じ込めた金の巻き毛は不気味にうねり、赤褐色の瞳は暗く淀んでいる。悪鬼も裸足で逃げ出す禍々しいオーラを放ちながら呪詛を吐き出す。
「どうして?私はその程度の女だったというの?」
「片道切符をお持ちの方は、こちらで二列になってお並びくださーい。ほら、貴女も後ろに並んで」
「お黙り!高貴な私に命令するつもり?この無礼者め!お前なんて串刺しにしてやるんだから」
「串刺しにされた貴女が何を仰いますか。ほら並んで並んで」
白い翼を忙しなく動かす金の輪っかを頭に載っけた案内人は女の背中を軽く押そうとして、胸までぽっかり空いた孔から手が突き抜ける。「おっと失礼」と今度は肩を押して最後尾に連れて行こうとして、女はたまらずブチキレ、
「失礼なんてものじゃないわよこの妙ちきりん仮装野郎!というか何で私が粗末な布きれを着ているのよ、シルクのドレスはないの!?宝石は!?」
あまりに大声で叫びすぎて肩で息をしながら、古典的幽霊しか付けないであろう白の三角巾を砂利道に叩きつけた。
◇◇◇
死者の国へ向かう客船の甲板で、女——レヴィアは転落防止に付けられた柵に寄りかかってつまらなさそうに呟く。
「人生って呆気ないものね」
河面は波のひとつもないほど穏やかで、ごつごつした灰色の岩肌が続く代わり映えのない景色ははちっとも気分が上がらない。こうも暇だと余計なことばかり思い出してしまうもので、レヴィアはふと人生最期の記憶を思い返した。
「私、肉盾にされて殺されたんだわ」
レヴィアはかつて高位貴族の令嬢であった。
父は宰相を務め、母は社交界の華と謳われていた。その娘たるレヴィアは蝶よ花よとちやほやされ我が儘放題に育ち、十を超える頃には立派な極悪令嬢として同世代のご令嬢方の頂点に君臨していた。
レヴィアの人生の転機は彼女が花の盛りを迎える齢のこと。
今年のデビュタントの主役は私に決まっているわと意気揚々王城へ乗り込めば、注目を集めたのはレヴィアではなく名ばかり貴族のド田舎芋娘だった。
聞けば、王都で流行りの薔薇の香油を発明した娘らしい。他にもテリヤキソースというこれまた流行りの調味料を発明したり、領地で発生した人から人へ伝わる病の被害を最小限に抑えたりと話題に事欠かない娘であった。
しかしどれだけ功績を残していようと、世界の中心はレヴィアである。
のこのこ王都へやって来た垢抜けないカピバラ女がやれ才女だの聖女だのと持て囃されていたのが気に食わなくて、私のほうが偉くて美しくて凄いのよと教えてやっていたら、あれよあれよと言う間に父の汚職が発覚しお家取り潰し、さらにはレヴィア自身が王家を侮辱した罪その他諸々重なって国外追放となってしまったのだ。
これには流石のレヴィアもびっくり仰天、あまりの手際の良さに敵ながら天晴れと言う暇もなく、着の身着のままで森に放り出された。
そんな哀れな乙女を悪い大人が放っておくはずもなく、質の悪い奴隷商人に攫われたのであった。
貴族から一転奴隷へと身を落とし、レヴィアはすっかり気落ちしたかと思えば、まったくそうではなかった。
どん底に落ちた彼女を奮い立てるのは、富と権力への渇望。甘やかすばかりの環境がレヴィアを高飛車極悪令嬢にさせたのではなく、根っからの傲慢だったのである。
そんじょそこらの性悪とは格が違う。自己中心的な性格と天より高い自己肯定感は、この世に産声をあげた瞬間から備え持った天賦の才であった。
今まで心折れたことがなかったから分からなかっただけで、実は七転八起ど根性精神を有する彼女の真価は、幸か不幸か奴隷になってから輝きだした。
レヴィアは手始めに己が置かれた環境の改善から着手する。
埃っぽい馬車にぎゅうぎゅうに詰められた奴隷達のなかで一際辛気くさかったのは、猫耳に鳥の羽、人でありながら人ではない特徴を有した者達——半魔族であった。かつての人間の敵、とうの昔に勇者に滅ぼされたとされている魔族は、人間と混じり血を繋いでいた。その子孫は半魔族と名乗り、山林の奥深くで世を忍び生きていたという。
そんな重たい事情を話されても、壮大すぎてレヴィアにはよく分からない。
人種などレヴィアにとっては些事である。人間か魔族か半魔族かなんてことはどうでもよく、彼女にとって重要なのは、傍に居るお前が己の気を損ねないこと、それだけだ。
もう終わりだ、見世物にされるか実験体にされるか、奴隷として扱き使われて死ぬんだと嘆く彼ら彼女らは喧しいったらありゃしない。レヴィアまで暗い気持ちが移りそうで嫌気が差し、少しでもしみったれた空気を払拭するべく、全力の変顔を披露しては馬車内を湧かしていた。
何故変顔かというと、己の身体しか持ち物がないなか、色々と試行錯誤を重ねた上で一番ウケたからだ。道化師の真似はレヴィアが好んで行うことではないが、下々に笑いという施しを与えるのは高貴なる者の務めである。
そんな涙ぐましいレヴィアの努力は道中の至る所で発揮されたが、奴隷のオークション会場に着く頃には皆意気消沈し、ピクリとも笑わなくなってしまっていた。
一人変顔に励む姿は滑稽で、「ありがとう。もういいよ」と言われて「感謝をするくらいなら笑いなさいよ陰気くさい平民が」と返し、「もう平民じゃなくて奴隷だ」と力無く首を横に振られるやり取りを何度繰り返したか。
明日が来るよりも早い死を望むばかりの奴隷達を救ったのが、新進気鋭の商会の頭領たるサモンだった。
サモンは若い半魔族のリーダーでもあった。捕らわれた同胞を救うべく奴隷が集められたオークション会場を襲撃し、解放してみせたのだ。
嬉し涙を流しながらそれぞれ住み処へ帰るなか、一人困ったレヴィア。なんせレヴィアには行く当ても帰る当てもない。困った果てに「責任取りなさいよ」と押しかけ嫁の如く、サモンが仕切る商会に転がり込んだのだ。
レヴィアとサモンの仲は良好だった、と思う。日頃から軽口を交わし、距離感も近かった。二人きりの時には構成員にも見せない笑顔や子供っぽいところもたくさん見てきた。商会の頭領かつ半魔族のリーダーと、重い肩書きを一身に背負うサモンは、レヴィアの前でだけはごく普通の、意地っ張りで見栄っ張りの男だった。
なのに、死んだ。
あれは風が涼しい夜。星を見ながら一杯呑もうとサモンをベランダに誘い、談笑していた時のこと。何かに引っ張られるようにして、気付いたらサモンの前に立っていて、胸に凶器がぐっさり刺さっていた。
断言しよう、あれは間違いなくサモンを狙った攻撃だった。そして確信した。レヴィアはサモンに肉盾として使われたのだ。
薄れゆく意識のなか、何の感情も宿していない瞳でレヴィアを見つめるサモンをが脳裏にチラつき、レヴィアは血が出そうなほど唇を噛み締める。
「このままで良いわけないでしょう。だって私まだ、あの無愛想クソッタレ男になにも伝えられていないもの!」
荒ぶる感情のまま柵から身を乗り出して、三途の川へ飛び込んだ。
◇◇◇
「それで、現世に戻ってきたというわけ」
「それはそれは。恨みの力は世界を越えるというわけじゃな。我が孫がすまんことをした」
「本当よ!謝っても許してやらないんだから」
幽霊になってから気付いたことだが、この世界には思ったより幽霊が居る。
今レヴィアが話している相手も、サモンの祖父の幽霊だ。レヴィアのように生前の姿をしているわけではなく、光の玉のような存在だが会話はできる。曰く、サモンを陰から見守っているらしい。
「それにしても、幽霊って何にもすることがないのね。折角戻ってきたのにぼーっと見ているだけじゃない」
レヴィアがつうっと壁をなぞると、透けた指が壁を突き抜けた。
物には触れないし、生きている人間には声が届かない。ただ世界を見守るのみ。これでは幽霊になった意味がないと嘆くレヴィアに、光の玉はぴょこんと跳ねた。
「いや?幽霊でも現世に干渉出来るぞ」
「出来るの!?」
「出来るとも。巷で心霊現象とされることは念じれば一通り。ただし、相当な精神力が必要で」
「なーんだ!そうと分かれば後はサモンを恐怖の渦に突き落としてやるだけよ!」
高笑いしながらサモンの元へ飛んでいくレヴィアを、光の玉はピカピカ光りながら呟いた。
「あまり力を使いすぎると現世に居れなくなるぞ、と言いたかったのじゃが。しかしサモンはお嬢さんに遠くから見守られるよりは、一時でも傍に居てもらった方が良かろう。愛の力は世界を越える、か……」
こうして、レヴィアからサモンへの嫌がらせの日々が始まった。
恨みを晴らすため、まずはサモンに「此処に居るわよ」と己の存在を意識させることが先決である。
レヴィアに与えられていた部屋を、今もサモンが休憩するときに使っているのは下調べ済みだ。壁に大きく「レヴィア参上」とでも書けば猿でも分かるだろうと思ったが、生憎この部屋にはインクになりそうなものがない。なので、取り敢えず幽霊屋敷のようにボロボロのめちゃくちゃに荒らすことにした。これで、何者かが此処に居るということは伝わるはずだ。
夜更け、主をなくした部屋に一人の青年がやって来た。
橙色の髪は綺麗に整えられているが、深緑の瞳には深い陰が落ち、薄ら隈が出来ている。彼こそレヴィアの待ち人であり復讐対象、血も涙もない冷酷薄情すっとこどっこいクソ野郎のサモンその人である。
またこの人は性懲りもなく仕事を詰めて睡眠時間を削っているのかと呆れたが、冷静さを欠いている状況はレヴィアにとって都合が良い。
なかなかバイオレンスに仕上がった力作の部屋の中、ダメ押しとばかりにふんっと気合いを入れてクッションを浮き上がらせる。
どうよ凄いでしょ、と見えもしないのにサモンの前で威張ってみせれば、サモンは目にも止まらぬ速さで扉を閉め、眉ひとつ動かさずに構成員へ指示を飛ばした。
「拠点を変えるぞ」
「なんでそうなるのよ!」
こうしてレヴィアの七時間の努力が消えた。
それからというもの、レヴィアはあの手この手でサモンに嫌がらせを続けた。
しかし、物を動かせば「間者か」と破壊される。
枕元に立って「レヴィアが来たわよー」と囁けばすぐに目を覚まして執務室へ向かう。あまりにも睡眠を取らないので可哀想になって、寝ている間に嫌がらせするのは止めた。
これら全て行っても、サモンの表情を爪楊枝ひとつぶんも動かせないので、あまりにもレヴィアの苦労が報われない。悲しくて悲しくて、レヴィアの胸にぽっかり孔が空きそうだ。もう空いているが。
思うようにいかない現状に苛々が爆発し、怒りのままに拳を振り下ろす。
「なにか反応しなさいよこの朴念仁人参!私には、もう時間がないのに」
半透明の己の手を見つめる。自慢のシミひとつない白い肌は、その色すら分からないほどに消えかかっていた。
ふらふらと当て処なく漂い、気付けばサモンの執務室の前へと立っていた。
生前は専ら自分の部屋か人が集まる食堂や談話室に居て、サモンの仕事場へ入り込んだことは一度もない。入ってはいけないと言い含められていたし、入ろうとも思わなかった。幽霊になった今もそれは同じだ。しかしレヴィアは最早引くに引けない状況にある。
レヴィアがサモンに言い忘れていたことを伝えるためには、何としてもレヴィアの存在に気付いてもらわなければならない。ちまちま嫌がらせしていては百年経っても無反応を貫かれるだろう。尻込みしてしまうが、サモンに最も近い場所——執務室で心霊現象を起こすのが手っ取り早いように思えた。
「ええい、私は幽霊なのよ。死ぬ前の約束なんて知ったこっちゃないわ」
えいやと扉に飛び込み、不可侵だった場所の光景に、レヴィアはぱちくりと瞳を瞬かせた。
「懐かしい。商会のみんなでサモンの似顔絵大会をしたときの絵だわ。散々コケにされたのだっけ」
あの時は最悪だった。サモンの特徴を完璧に捉え描き上げた傑作だったのに「混沌を統べる王」だの「地底からの侵略者」だの好き放題に言われ、しばらくの間レヴィアのあだ名が画伯になったことを思い出し「腹が立ってきたわ」と壁に掛けられた額縁から目を逸らす。
「げっ、このコースター、私が編んだものだわ。何でサモンが持ってるのよ」
重厚な机の上に置かれているのは、白い手編みのレースコースター。編み方が悪いのか端がヨレている。商会の仕事を手伝いたいと言ったときに任されたレース編みは、到底売り物にならないものが完成したため諦めた。失敗作は廃棄したものとばかり思っていたが、サモンがこっそり回収していたようだ。
さらには錆び色に染まったハンカチーフを見つけ、レヴィアは眉にしわを寄せて口をひん曲げた。布端に小さく入れられた線がガタガタのイニシャルは刺繍を施した本人であるレヴィアが見ても下手くそだ。
「何で汚れたハンカチなんか残してるのよ。捨てなさいよ……」
「レヴィア」
ふと声の方向を見ると、両開きの扉の前、薄明かりに照らされてサモンが立っていた。
レヴィアは息をしていないのに息が詰まって、胸に孔が空いているのに胸が苦しくなる、不思議な感覚に襲われた。
サモンはレヴィアの方へつかつかと歩み寄り、頬へ手を添える。輪郭をなぞろうとして空を切り、長い睫毛を伏せた。
「夢でもいいか」
「よくないわよ!」
レヴィアは反射的に叫んだ。
「夢じゃないわ、何で私が見えているのよ」
「知らん」
「知らんで済まされちゃ困るのよ!私の努力、私の時間を返しなさい!貴方に気付いてもらうために私がどれだけ頑張ったことか!……まあいいわ。貴方が鈍感で頓珍漢なのはよぉく知ってるもの。期待してないわ」
サモンは姦しく喚き立てるレヴィアに僅かに目を見張り、そっと髪に触れようとする。まばゆいほどに輝いていた彼女の金の髪は、今は古びた壁のくすんだクリーム色を映していた。
「私、幽霊になったのよ。サモンに伝えられていなかったことがあって」
「そうか、俺もだ」
「あらそう。でも私の話のほうが先よ。ねえサモン、」
「レヴィア、なんであの時俺を庇った」
時が止まったように静まり返った部屋で、レヴィアの肩がぴくりと跳ねた。
「俺を庇って死んだだろ」
「ハア?私がそんな殊勝な真似するわけないじゃない」
「ああ、俺もそう思う」
「なんですって!?」
「でも、そうなったんだ。俺のせいで殺された。俺の代わりに犠牲になった。痛かったろ、ごめんな」
何も感情も宿していないような瞳で真っ直ぐ見つめられて、レヴィアはやっとあの夜のことをはっきりと思い出した。
事の真相は、何てことはない。
サモンが殺されかけたところを、レヴィアがサモンの前に躍り出て、庇った。自分の意思で。いや無意識に、助けたいと思ったから。
サモンは意地っ張りで見栄っ張りの男なので弱い自分を見せたがらない。辛いことがあればあるほど内に渦巻く感情を隠して、自分は大丈夫だと気丈に振る舞ってみせるのだ。
今レヴィアの目の前に居るサモンのように、何とも思っていない顔をして人前に立つ。彼の格好良いところであり、悪い癖でもあった。
「サモン、私のことが嫌いで殺したのではなかったの」
「俺がレヴィアを殺すとしたら、跡を残さない方法でもっとうまくやるな」
「ロマンチックさの欠片もない返答をどうもありがとう」
それでも、サモンに嫌われても故意に殺されてもいなかったと分かっただけで、それだけで良い。ふよふよ浮き足立ちながら、ぱちぱち瞬きを繰り返す。
「サモンは私が死んで寂しい?」
「……いや。ただ、部下にうるさいと叱る回数と、働けと叱る回数が減ったな。あと、誰かさんのうっかりをフォローする時間と誰かさんの我が儘に付き合う時間がなくなった」
「それは毎日つまらなさそうね。『レヴィア愛してる~』って泣きついてくれたら戻ってきてあげないこともないわ」
「誰が泣くか」
額の位置で中指をピンと弾かれ、思わず目を瞑った。レヴィアが我が儘を言ったときや強い言葉を吐いたとき、反省しろという言葉と共によくこれをやられた。これが、容赦がなくてなかなか痛いのだ。
待ち構えていたのに痛みがやって来ず、恐る恐る目を開くと、珍しく眉を下げたサモンが苦しげに微笑んでいた。
レヴィアを大地に縛り付ける肉体はもう無いのに何故だか身体が軽い。今すぐに身体が重くなって、地に足つけて、サモンに抱きつきたいくらいなのに。
きっと、勝手に現世へやって来たレヴィアに許された時間が迫っているのだろう。
「は~何だかスッキリしたわ。うっかりあの世からサモンを呪い殺すところだったもの」
「そうか、死に方までうっかりに振り回されなくて良かったよ」
「ああ、そう、大切なことを伝え忘れるところだったわ。ねえサモン」
「なんだ」
「好きよ」
サモンの頬に手を添え、唇を重ねる。
レヴィアは幽霊なので、振りでしかないその行為は、けれどサモンの意識を奪うには十分だった。
言い遺した言葉。レヴィアはただ、サモンに好きだと伝えたかった。
走馬灯のように人生を思い返して、好きな人に好きだと言わないまま死んだことに気付いたのだ。例え嫌われていようと殺されようと——これは結局レヴィアの勘違いだったけれど、怒りはあっても好きに変わりはなかったから。命を賭しても守りたいと思った唯一の人だったから。
最期に悪戯が成功したと満足げに微笑むと、現世への未練がなくなったレヴィアは光の粒になって消えていった。
「返事は聞かないのか」
人の話をまるで聞かないせっかちで頭でっかちなのはよく知っているから期待していなかったが、と一人残されたサモンは苦笑いと共に溜息を溢し、
「愛してるよ、レヴィア」
なにもなくなった宙に、そっとキスを落とした。




