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悪徳領主になりたい名誉子爵、なぜか領民に愛される

作者: ヤブサメ
掲載日:2026/10/03

 この話は、悪徳領主を目指す名誉子爵の領地経営物語。


 +++++++++++++++++++++++++++++++++


 私はヴァルター・グラーデン、三十一歳。

 南部王国の一角に広がるグラーデン領を治める、名誉子爵

である。


 朝。

 ヴァルターは鏡の前に立ち、自分の顔を確認していた。


 金色の髪。

 長身。

 鋭く吊り上がった目。

 高い鼻梁。

 口元には、不敵な笑み。

 そして左頬には、五センチほどの傷跡がある。

 鏡で自分を眺めてみると、どう見ても悪役だった。

「ふっ……完璧だ」


 鋭い目。

 冷たい表情。

 頬の傷。

 そして、少しだけ口角を上げた笑み。

「これなら誰が見ても、悪徳貴族にしか見えまい」

 ヴァルターは満足そうに頷いた。


 私には貴族の血など、一滴も流れていない。

 元は平民の兵士だったのだが、隣国との戦争の際、戦場での

数々の功績により部隊長などを経て、戦争終了後には王国から

名誉子爵の爵位と領地まで与えられた。

 だからこそ、古くからの貴族たちからは、

「戦場上がりの成り上がり者」

「剣しか知らない野蛮人」

 などと陰口を叩かれていた。

 ヴァルターは気にしなかった。

 むしろ、こう考えた。

 ――ならば、本物の悪徳貴族になってやろう。

 善良な領主になりたいなど、一切思わない。

 領民から恐れられ、商人から警戒され、貴族たちから嫌われる。

 そんな悪役こそ、自分には似合っているさ。


 +++++++++++++++++++++++++++++++++


 グラーデン領は農業が盛んな土地だ。

 しかし、用水路は古く、雨が少ない年には水不足が起きる。

 逆に大雨が降れば堤防が崩れ、畑が水浸しになることもあった。

 農民たちは何年も修繕を願い出ていることを家臣のグスタフ

から聞いていた。

 領地に着任して1週間が経った日の朝。

 ヴァルターは執務室で領地の地図を広げた。

「まずは水だ」

 家臣のグスタフが尋ねる。

「修繕を必要とする堤防は広範囲にわたるため、かなりの費用が

かかります。

 どの地域から始められるのでしょうか?」

 ヴァルターは地図を指差した。

「全部、一斉に始めろ」

「……全部、ですか?」

「一本残らずだ」

「しかし、費用が……」

「構わん」

 ヴァルターは不敵に笑った。

「水を握れば、農民は私から逃げられない」

「……」

「この領地の水を私が支配する」

 数日後。

 グラーデン領では、大規模な用水路改修工事が始まった。

 崩れかけていた水路は掘り直され、堤防は強化された。

 水門も新しく作られた。

 工事の様子を見に来た農民たちは、不安そうにその光景を

眺めていた。

「こんなに大きな工事をして大丈夫なのか?」

「税が上がるんじゃないか?」

「ヴァル様ならやりそうだ」

 そこへヴァルターが現れた。

「何をこそこそ話している」

 農民たちが一斉に振り向く。

「ヴァ、ヴァル様!」

「工事について何か文句があるのか?」

「い、いえ!」

 ヴァルターは水路を指差した。

「この水路は私の管理下に置く」

「はい」

「勝手に土を掘るな」

「はい」

「水門にも勝手に触るな」

「はい」

「水が欲しければ、決められた時間に使え」

「はい!」

 ヴァルターは満足した。

 これでいい。

 これこそ支配だ。

「そして、水が足りない場合は私に言え」

「え?」

「水路の順番も私が調整する」

「……ヴァル様が?」

「そうだ」

 一人の老人が、おずおずと手を上げた。

「ヴァル様」

「何だ」

「これなら、うちの畑にも水が届きますかの?」

「当然だ」

「去年は水が足りなくて、半分しか植えられませんでした」

「今年は全部植えろ」

 老人の顔が明るくなった。

「ありがとうございます」

「礼を言うな」

 ヴァルターは睨みつける。

「お前たちの収穫量が増えれば、私の税収も増える。

それだけだ」

 老人は目を細めた。

「なるほど」

「分かったか」

「ヴァル様は本当にお優しい」

「なぜそうなる!」

 農民たちから笑い声が上がった。

「笑うな!」とヴァルターは叫ぶが、その顔はどこか

楽しそうだった。

 それからヴァルターは、頻繁に農村へ足を運ぶように

なった。

「水門は問題ないか?」

「はい!」

「畑は?」

「順調です!」

「困っていることは?」

「特には」

「ならいい」

 ヴァルターが帰ろうとすると、農民の一人が声をかけた。

「ヴァル様」

「何だ」

「わざわざ見に来てくださって、ありがとうございます」

「勘違いするな」

 ヴァルターは振り返る。

「私はお前たちの収穫を確認しに来ているだけだ」

「はい」

「収穫が減れば税も減るからな」

「はい」

「だから、お前たちの畑が気になっているわけではない」

「はい」

「……本当に分かっているのか?」

 農民は笑った。

「はい。よく分かっています」

「ならいい」


 +++++++++++++++++++++++++++++++++


 翌年、グラーデン領では過去最高の収穫量を記録した。

「今年は水が安定していたからな」

「去年まで枯れていた畑まで作物が育ったぞ」

「今年は冬を越せる!」

 農民たちは大喜びした。

 町を歩けば、あちこちから声がかかる。

「ヴァル様!」

「今年は麦が三割増えました!」

「うちもです!」

「娘を学校へ通わせられそうです!」

「そうか」

 ヴァルターは腕を組む。

「ならば来年は四割増やせ」

「無茶を言わないでくださいよ」

 農民たちが笑う。

 ヴァルターも一瞬だけ笑いそうになった。

 慌てて顔を引き締める。

「……私を甘く見るな」

「はいはい」

「はいはい、ではない!」

 農民たちはまた笑った。

「なぜだ……」

 ヴァルターは小さく呟いた。


 +++++++++++++++++++++++++++++++++


 グラーデン領では、穀物を買い占めて価格を吊り

上げる商人たちが問題になっていた。

 ヴァルターは商人たちを呼び出した。

「お前たちの穀物を、すべて私が買い取る」

 商人たちは喜んだ。

 だが、次の言葉を聞いて青ざめた。

「そして、今後この領地で穀物商をすることを禁止する」

「なっ……!」

「私の領地で私より儲けようなど、百年早い」

 商人たちは泣く泣く去っていった。

 ヴァルターは買い取った穀物を市場へ放出した。

 価格は一気に下がった。

 市場を歩いていると、老婆が麦袋を抱えていた。

「ヴァル様」

「何だ」

「今年はパンが安く買えます」

「そうか」

「孫に毎日食べさせてやれます」

「……」

「ありがとうございます」

「礼などいらん」

 ヴァルターは顔を背けた。

「私は商人どもから利益を奪っただけだ」

 老婆は微笑んだ。

「それでも、ありがとうございます」

「……好きにしろ」

 その横から、パン屋の主人が声をかけてきた。

「ヴァル様、うちも助かってます」

「何がだ」

「麦が安いので、パンを安くできます」

「なら、もっと売れ」

「はい!」

「ただし、質を落とすな」

「もちろんです」

「客を騙すな」

「はい」

「儲けすぎるな」

「……それは難しいですな」

「ならば私が監視する」

「お願いします!」

 店主は笑顔で頭を下げた。

 ヴァルターは眉をひそめた。

「……私は嫌われているはずなんだが」

 それからというもの、ヴァルターが市場を歩けば、

必ず誰かに呼び止められるようになった。

「ヴァル様、今日は魚が安いですよ」

「そうか」

「ヴァル様、うちの新しい菓子です」

「いらん」

「試食だけでも」

「……一つだけだ」

「ありがとうございます!」

「なぜ私がお礼を言われる」

 ある日、ヴァルターが露店の前で足を止めた。

 年老いた商人が、古い木箱を並べている。

「何を売っている」

「農具です」

「古すぎるな」

「申し訳ありません」

「こんな物では農民が困る」

「ですが、新しい物を仕入れる金が……」

 ヴァルターは黙った。

「明日までに仕入れ先を探せ」

「え?」

「私の領地の農民が使う」

「しかし……」

「金が足りないなら、領主の信用で借りろ」

「ヴァル様が保証してくださるのですか?」

「勘違いするな」

 ヴァルターは鋭い目を向けた。

「農具が壊れて収穫が減れば、私が損をする」

「……」

「だから投資だ」

 商人は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「だから礼を言うな」

「はい」

「……なぜ笑っている?」

「ヴァル様が来てくださると、町が明るくなるんですよ」

「……」

 ヴァルターは何も言えなかった。

 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 そんなある日のことだった。

 執務室にグスタフが飛び込んできた。

「ヴァル様!」

「どうした」

「孤児院の件ですが……」

 領都の外れにある孤児院が老朽化し、危険な状態に

なっていた。

 しかも、その土地はヴァルターが新しい倉庫を建て

ようとしている場所だった。

「立ち退かせろ」

 即答だった。

「孤児院など、もっと狭い場所へ押し込めればいい」

「……」

「空いた土地に倉庫を建てる」

 数日後、孤児院は移転した。

 新しい場所は領都近郊の丘。

 老朽化した兵舎を改修し、食堂と厨房を新設。

 庭まで整備されていた。

「なぜだ」

 ヴァルターが尋ねる。

「ヴァル様が『最低限の改修はしろ』とおっしゃったので」

「最低限だぞ?」

「職人たちが張り切りまして」

「なぜ張り切る」

「子供たちが喜ぶと思ったそうです」

 ヴァルターはため息をついた。

 その日の夕方。

 新しい孤児院を訪れたヴァルターは、子供たちに

囲まれた。

「ヴァル様!」

「ありがとうございます!」

「ベッドがふかふかです!」

「ご飯もいっぱいです!」

「庭も広いです!」

「……」

 ヴァルターは必死に悪人らしい顔を作った。

「勘違いするな」

 子供たちが静かになる。

「私はお前たちを助けたわけではない」

「はい!」

「この土地に倉庫を建てたかっただけだ」

「はい!」

「だから感謝するな」

「はい!」

「私を恐れろ」

 子供たちは顔を見合わせた。

 そして、一番小さな女の子が手を上げた。

「ヴァル様」

「何だ」

「怖い顔をしています」

「そうだろう」

「でも、怖くないです」

「なぜだ」

「だって、孤児院を新しくしてくれたから」

「……」

 別の少年が笑った。

「ヴァル様、また来てください!」

「来るものか」

「明日も?」

「来ない」

「明後日は?」

「来ないと言っている」

「じゃあ来週?」

「……」

 ヴァルターは腕を組んだ。

「仕事のついでなら寄る」

「やったー!」

「喜ぶな!」

 だが、翌週。

 ヴァルターは本当に孤児院を訪れた。

「ヴァル様、また来た!」

「仕事のついでだ」

「今日は何を持ってきたんですか?」

「……菓子だ」

「わあ!」

「勘違いするな。お前たちが空腹だと騒ぐと

仕事にならんからだ」

「ありがとうございます!」

「礼を言うな」

 子供たちは笑いながら菓子を受け取った。

 そのうち、ヴァルターが孤児院へ来る日は、

子供たちの楽しみになった。

 ヴァルターも、子供たちの名前を覚えていった。

「リーナ、今日はどうした?」

「風邪を引いちゃいました」

「医者に診てもらったか?」

「はい」

「薬は?」

「飲みました」

「なら寝ていろ」

「ヴァル様が心配してくれた!」

「違う。病人が騒ぐと周囲に迷惑だ」

「はい!」

「……本当に分かっているのか?」

「はい!」

 ヴァルターは苦笑した。


 +++++++++++++++++++++++++++++++++


 さらに領民との交流は増えていった。

 職人の工房へ行けば、

「ヴァル様、ここの屋根が完成しました!」

「見せろ」

「どうでしょう?」

「悪くない」

「本当ですか?」

「ああ」

 職人は嬉しそうに笑った。

「ヴァル様に認めてもらえると自信になります」

「……」

 ヴァルターは困った。

「私はお前たちを働かせているだけだぞ」

「それでも、ちゃんと見てくださるじゃないですか」

 そう言われると、反論できなかった。

 町の老人たちからも声をかけられる。

「ヴァル様、最近は腰の痛みがひどくてのう」

「医者に行け」

「金が……」

「診療所の費用を確認する」

「助かります」

「死なれると税収が減るからな」

「ははは!」

 老人が笑う。

「相変わらず口が悪い」

「私は悪徳領主だからな」

「はいはい、悪徳領主様」

「……」

 誰も怖がらない。

 それどころか。

 ヴァルターが町を歩けば、あちこちから声が飛んでくる。

「ヴァル様、おはようございます!」

「おはよう」

「今日は市場へ?」

「ああ」

「うちの店にも寄ってください!」

「忙しくなければな」

「ヴァル様、昨日教えていただいた水路ですが!」

「後で見に行く」

「ヴァル様、猫が!」

「どこだ!」

「……」

「……今のは違う」

 領民たちは笑った。

 ヴァルター自身も、少しずつ変わっていた。

 以前なら、領民から話しかけられると面倒だと思っていた。

 今では。

「ヴァル様!」

 と呼ばれると、自然に足を止める。

「何だ?」

「娘が学校に合格しました!」

「そうか」

「ありがとうございます!」

「私が何かしたか?」

「学校を増やしてくれたじゃないですか」

「……」

「娘も喜んでいます」

「なら、しっかり勉強させろ」

「はい!」

「……卒業したら、領地に戻って働いてくれると私も

助かる」

「きっとそうします」

 ヴァルターは頷いた。

「そうか」

 その顔は、満足そうだった。

 本人だけは、それが領民の幸福を喜んでいる顔

だとは気づいていなかった。

 そんな日々が続くうち。

 グラーデン領は、王国内でも有数の豊かな領地

へと変わっていった。

 農業は安定。

 商業は発展。

 治安も良好。

 税収も増加。

 そして何より。

 領民たちはヴァルターを心から慕っていた。

 王都から視察に来た役人まで驚いた。

「素晴らしい領地ですね」

「そうでしょう」

 グスタフが胸を張る。

「すべてヴァル様のおかげです」

「違う」

 ヴァルターが即座に否定した。

「私は悪いことしかしていない」

「しかし、領民との交流も多いと聞いております」

「交流ではない」

「では?」

「領地を効率よく支配するための情報収集だ」

 グスタフが微笑む。

「なるほど」

「何だ、その顔は」

「いえ」

「言いたいことがあるなら言え」

「ヴァル様らしいと思っただけです」

「……」

 ヴァルターには、一つだけ誰にも知られたく

ない弱点があった。

 猫である。

 彼は猫が大好きだった。

 屋敷の裏庭には、いつの間にか数匹の猫が

住み着いている。

 ヴァルターが庭を歩いていると、

「にゃあ」

「……!」

 ヴァルターの顔が一瞬で変わった。

「お前、今日も来たのか」

 しゃがみ込む。

「よしよし」

 猫の背中を撫でる。

「かわいいなあ」

 鋭い目は完全に緩んでいた。

 頬の傷をつけたのも猫だった。

 まだ領主になる前。

 戦場から戻ったばかりのヴァルターが宿屋の

裏で猫と遊んでいたところ、突然引っかかれた。

「……」

 五センチの傷跡を撫でる。

「この傷も、悪くない」

 猫は知らん顔で尻尾を振った。

 その姿を見たメイドが微笑む。

「ヴァル様は本当に猫がお好きですね」

「違う」

 ヴァルターは立ち上がった。

「私は悪徳領主だ」

「はい」

「猫を甘やかすような善人ではない」

「はい」

「これは領主としての威厳を保つためだ」

「はい」

 猫がヴァルターの胸元で丸くなる。

「……かわいい」

「はい」

「ものすごくかわいい」

「はい」

「……誰にも言うなよ」

「はい」

 だが翌日には、領内中に広まっていた。

『ヴァル様は猫にだけ甘い』

 という噂が。

 さらに困ったことに。

 猫好きの領民たちが、次々と猫を連れて

くるようになった。

「ヴァル様、この子を見てください!」

「ヴァル様、うちの猫が子供を産みました!」

「ヴァル様、この猫は足を怪我していて……」

「……」

 ヴァルターは猫を見た。

 怪我をしている。

 小さい。

 震えている。

「……医者を呼べ」

「はい!」

「治療費は私が出す」

「ありがとうございます!」

「ただし!」

 ヴァルターは鋭い目を向けた。

「これは私が猫好きだからではない」

「はい!」

「領内の動物を放置すると衛生上の問題が……」

「はい!」

「だから仕方なく……」

「ありがとうございます、ヴァル様!」

「だから違うと言っている!」

 そんなある日のこと。

 ヴァルターは市場を歩いていた。

 いつものように領民たちが声をかけてくる。

「ヴァル様、おはようございます!」

「おはよう」

「ヴァル様、こっちです!」

「何だ」

「新しいパンを焼きました!」

「またか」

「食べてみてください」

 ヴァルターは一口食べる。

「……うまい」

「本当ですか?」

「嘘をつく必要がない」

 パン屋の主人が嬉しそうに笑った。

 その横から農民が声を上げる。

「ヴァル様、今年はもっと麦を作ります!」

「なら、水路の使用計画を出せ」

「はい!」

 孤児院の子供も駆けてくる。

「ヴァル様!」

「走るな」

「はい!」

「転ぶぞ」

「はい!」

「……怪我をしたら医者に行け」

「はい!」

 職人まで手を振っている。

「ヴァル様、橋が完成しました!」

「後で見に行く」

「ありがとうございます!」

 ヴァルターは立ち止まった。

 自分の周囲には、いつの間にかたくさんの

人がいる。

 誰もが彼に話しかける。

 誰もが彼の言葉を待っている。

 そして誰もが、笑っている。

「……私は」

 ヴァルターは小さく呟いた。

「いつから、こんなに領民と話すように

なったんだ?」

 グスタフが答えた。

「ヴァル様が領民の暮らしを知ろうと

された時からです」

「違う」

「はい?」

「私は支配のために聞いていただけだ」

「それでも、領民は嬉しかったのでしょう」

「……」

 その日の夜。

 王都から正式な使者がやって来た。

「ヴァルター・グラーデン名誉子爵」

「何だ」

「国王陛下よりお言葉を預かっております」

 ヴァルターは背筋を伸ばした。

 ついに来た。自分の悪名が王都まで届いたのだ。

 これは、子爵をはく奪か!


 使者が書状を開く。

「グラーデン領の発展、民政の安定、治安維持、

商業振興、農業改革に対する功績を称え……」

「……」

「ヴァルター・グラーデン名誉子爵に……、

王国功労章を授与する!」

「……」

「おめでとうございます」

「待て」

 ヴァルターは手を上げた。

「私は何もしていない」

「何をおっしゃいます」

「私は悪徳領主だ」

「はい?」

「領民から税を取り、商人を追い出し、

孤児院まで移転させた」

 使者は困った顔をした。

「しかし、その結果として領民の生活は

向上しております」

「違う!」

「?」

「全部、偶然だ!」

 その場にいたグスタフが静かに呟いた。

「ヴァル様らしいお言葉です」

「お前まで言うな!」

 その日の夜。

 ヴァルターは執務室で一人、机に

突っ伏していた。

「なぜだ……」

 二年間。

 彼は悪役になろうと努力してきた。

 領民を支配しようとした。

 商人から利益を奪おうとした。

 孤児院を邪魔だから移した。

 街道を自分の利益のために整備した。

 医者を労働力確保のために呼んだ。

 犯罪者を自分の領地から追い出した。

 そして。

 領民と話をするたびに、なぜか距離が

近くなった。

「なぜ全部、善政になる……」

 そのとき。

 窓の外から、

「にゃあ」

 と声がした。

 ヴァルターが顔を上げる。

 窓辺に、一匹の白い猫が座っていた。

「……お前か」

 ヴァルターは窓を開けた。

 猫が部屋に入ってくる。

「仕方ないな」

 抱き上げる。

「今日だけだぞ」

 猫が喉を鳴らす。

「……」

 ヴァルターは目を細めた。

「お前だけは、私のことを悪徳領主だと

思ってくれるか?」

 猫は答えない。

 ただ、ヴァルターの胸元に顔を埋める。

「……そうか」

 その瞬間。

 扉がノックされた。

「ヴァル様」

 グスタフだった。

「何だ」

「明日の予定についてですが」

「聞こう」

「午前中に農民代表が参ります」

「何の用だ」

「新しい農具を購入したいとのことです」

「……補助金を出せ」

「はい」

「午後には孤児院の子供たちが来る」

「お菓子を用意しておきます」

「……ああ」

「それから市場の商人たちが、新しい祭りを

企画しているそうです」

「祭り?」

「ヴァル様にも来てほしいと」

 ヴァルターは眉をひそめた。

「断れ」

「承知しました」

 グスタフが扉へ向かう。

「……待て」

「はい?」

「祭りは何時だ」

「夕方からです」

「……仕事が終わったら、少しだけ顔を出す」

 グスタフが微笑んだ。

「はい」

「勘違いするな」

「はい」

「領主として、領民の様子を見るだけだ」

「はい」

「領民が騒ぎすぎていないか確認する」

「はい」

「……猫も来るのか?」

「おそらく」

「そうか」

 グスタフが退室する。

 ヴァルターは猫を抱いたまま、窓の外を

見ると領都には明かりが灯っていた。

 市場では商人が働き、農村では収穫を喜ぶ

声が聞こえる。

 また、子供たちが走り回り、街道には

夜遅くまで馬車が行き交っている。

 そのすべてが、自分のせいだ。

 ヴァルターは拳を握った。

「私は悪徳領主になるはずだった」

 猫が、

「にゃあ」

 と鳴いた。

「違う」

「にゃあ」

「私は善人ではない」

「にゃあ」

「絶対に違う」

「にゃあ」

 ヴァルターは猫を見つめた。

 猫もヴァルターを見つめ返す。

「……お前まで私を馬鹿にしているのか?」

 猫は尻尾を揺らした。

 翌日。

 領都の中央広場では、小さな祭りが開かれていた。

 ヴァルターが姿を現すと、領民たちが一斉に声を上げた。

「ヴァル様!」

「来てくださった!」

「約束しましたからね!」

「私はそんな約束をした覚えはない」

「でも来てくれました!」

「……」

 農民が酒を差し出す。

「ヴァル様、一杯どうです?」

「仕事中だ」

「じゃあ水を」

「それならもらおう」

 子供たちが駆けてくる。

「ヴァル様、一緒に遊びましょう!」

「断る」

「少しだけ!」

「……少しだけだぞ」

 商人が笑う。

「ヴァル様、こちらの菓子もどうぞ」

「またか」

「うちの新商品です」

「では一つ」

「お口に合いますか?」

「悪くない」

「やった!」

 職人たちが遠くから手を振る。

 老人たちも笑っている。

 そして、足元には猫がいる。

「……」

 ヴァルターは猫を抱き上げた。

「お前も来ていたのか」

「にゃあ」

 その光景を見て、広場から歓声が上がった。

「ヴァル様、猫を抱いてる!」

「かわいい!」

「ヴァル様も猫もかわいい!」

「私はかわいくない!」

 笑い声が広がる。

 ヴァルターは困ったように眉を寄せた。

 しかし。

 その顔は、ほんの少しだけ笑っていた。

 彼は悪徳領主になりたかった。

 領民から恐れられたかった。

 誰もが自分を恐ろしい人物だと思うことを

望んでいた。

 なのに。

「ヴァル様!」

「何だ」

「また明日も来てくださいね!」

 ヴァルターは少し黙った。

 そして、いつもの不敵な笑みを浮かべる。

「……仕方がない」

 領民たちが笑う。

「領主として、領民の様子を確認してやる」

「はい!」

「私がいないと、お前たちは何をするか

分からんからな」

「はい!」

「だから、明日も来てやる」

「ありがとうございます、ヴァル様!」

 歓声が上がる。

 ヴァルターは空を見上げた。

 悪名は善名となり。

 恐怖は信頼となり。

 支配は交流となった。

 自分が望んだものとは、何もかもが違う。

 それでも。

 足元では猫が尻尾を振り。

 目の前では領民たちが笑っている。

 ヴァルターは両手で頭を抱えた。

「私は……私はただ、悪い領主になりたかった

だけなのに……」

 領民たちの歓声が響く。

 猫が、

「にゃあ」

 と鳴く。

 ヴァルターは空を見上げた。

 そして、心の底から叫んだ。

「なぜだ~」


 終わり

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