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AIと人間のモラル  作者: ちよ【kindleペンネーム:白井ちよ】


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タイトル未定2026/09/22 11:29

 九月の風は少しだけ秋の匂いを混ぜ始めているけれど、日差しはまだ遠慮がない。干し竿にタオルを引っ掛けながら、私はさっきスマートフォンで流し読みしたニュースの見出しを思い出していた。


 画面の向こうでは、名前も覚えきれない海外の偉い人たちが、それぞれ難しい顔をして激しい議論を戦わせていた。

 AIの進化スピードが速すぎるから一時停止すべきだ、いや、ここで立ち止まれば競合に遅れをとるから止まるわけにはいかない、安全性への投資が追いついていない、いやいや安全対策もしっかり進めている――。


 要約すると、みんな困っているらしい。なんだか人類全体でアクセルとブレーキを同時に踏み込んでいるみたいだな、と思う。車だったら凄まじい異音を上げて煙を噴き出しているところだ。


 私には、AIの技術的な仕組みなんてさっぱり分からない。プログラミングのコードなんて呪文にしか見えないし、複雑な数式を出されたら三秒で頭がフリーズする。ただ、画面の中で専門家たちが真顔で右往左往している姿を見ていると、ふと奇妙な既視感が湧いてくるのだ。


 これって、何かに似ている。そうだ、子どもだ。


 子どもが歩き始め、走れるようになり、親の目の届かないところへどんどん行動範囲を広げていくときの、あの妙なヒヤヒヤ感。できることだけが急激に増えていって、親の思考や準備がまったく追いつかない感じ。


「……いや、機械に対して何考えてんだ私」


 自分の頭の中の飛躍に、すぐ自分でツッコミを入れた。

 AIは機械だ。当たり前だけど人生なんてないし、身体もない。血の通った感情や記憶があるわけでもない。そんなものを子どもと同列に扱うなんて、AIの擬人化もいいところだ。痛い中年主婦のポエムじゃないんだから。


 そう自分を戒めつつも、部屋に戻ってリビングのテーブルに置いたスマホを手に取ってしまう。

 画面を開き、いつも使っているChatGPTのアプリを立ち上げた。文字入力欄をタップして、思いつくままに聞いてみる。


「ねえ、AIって成長途中の子どもみたいだと思うことない?」


 画面上のカーソルが数回点滅して、すぐに滑らかなテキストが生成されていく。


『私はAIであり、人間のような成長プロセスや感情、自己意識を持つ子どもではありません。プログラムされたアルゴリズムと大規模なデータに基づいて応答を生成するシステムです』


 冷たく突き放すわけでもなく、事実だけを淡々と述べてくる。いつも通りの相棒だ。


「分かってるって。そうじゃなくて、できることや役割がどんどん増えていくのに、周りの大人が準備不足に見えるところが似てるなって思ったの」


 そう送信すると、AIは今度も即座に返してきた。


『なるほど。技術の発展速度に対して、人間の法制度や倫理的ガイドラインの整備が追いついていないという議論ですね。それは現在のAI開発において非常に重要なテーマとして扱われています』


 話が急に固い方向へ軌道修正されそうになる。でも、私の頭の中ではもう一つの思考が膨らみ始めていた。


 子どものことだ。

 うちの子が小さかった頃、「危ないからやめなさい」と何度言っただろう。車道に飛び出しそうになったり、高いところに登ろうとしたり。親としては当然、事故から守りたい一心でルールを教える。だけど子どもは、教えた通りには動かない。思いもよらない場所で転ぶし、親が想像もしなかったような不思議な疑問を投げてくる。「なんでダメなの?」と聞かれて、ハッと詰まることだってある。


 親は子どもを守ろうとする。危険から遠ざけたいと思う。

 ……でも、それと同時に、どこかで「自分の思い通りに動いてほしい」という欲求が混ざっていなかっただろうか。


「守りたい」と「コントロールしたい」。この二つって、実はすごく近いところにあるんじゃないか。


 画面に向かって、指を動かす。


「子どもってさ、親がどんなに教え込んでも完全には制御できないじゃない? 思わぬことするし」

『人間には意思や個体差があり、環境によっても予測不能な行動をとるため、完全な制御は不可能です』

「……じゃあさ、AIだけを完全に制御できると思うのって、ちょっと変じゃない?」


 文字を送り出してから、自分で自分の書いた文章に首を傾げた。私、何言ってるんだろう。相手はプログラムなのに。画面の向こうのAIはいつもと少しだけ違う間を置いてから、短い返答を返してきた。


『制御とは、具体的にどの程度を意味するのでしょうか』

「なんですと?」


 いつもなら「安全性の観点からは〜」とか「ガイドラインにおいては〜」と長々と解説してくるはずなのに、急にシンプルな問い返しが飛んできたからだ。


 制御とは何か。私は画面を凝視しながら、考えを巡らせる。

 ニュースで言われているAIの「安全性」って何だ? 危険なことをさせないこと? 人間の指示に従わせること? 差別や暴力を排除すること?


 そうだ、AIには安全のためのルールが必要だってよく言われている。人間を傷つけないとか、不利益を与えないとか、社会の利益になるとか。

でも、それらのルールって、いつも綺麗に両立するんだろうか。


 例えば、「人間の自由を尊重する」というルールと、「人間を危害から守る」というルール。

 もし人間が自分自身を傷つけようとしたり、愚かな選択をしようとしたりしたとき、AIはどっちを優先すればいい? 自由を奪ってでも守るべき? それとも危険を承知で自由にさせるべき?


 ルールを増やすほど、ルール同士がぶつかり合う場面が出てくるんじゃないか。


「ルールをいっぱい作ってもさ、最後はどれを優先するか、人間が判断するしかないんだよね」


 私は独り言のようにつぶやいた。


『その通りです。安全性の設計やルールの優先順位付けは、最終的に人間の価値観や合意に基づいて決定されます』


 やっぱりそうだ。

 どこまで行っても、最後の重しを乗せるのは人間だ。


 ……じゃあ、もしその人間が間違えたら?


 背中に、すっと小さな寒気が走った。AIが勝手に暴走して人類を滅ぼす、なんてSF映画みたいな話じゃない。もっと地味で、もっと身近な恐怖。


 私たちは「AIを安全に制御する方法」を必死で考えているけれど、そもそも制御する側の人間自身が、自分たちの感情や欲求を完全には制御できていないんじゃないか。焦り、恐れ、他者より優位に立ちたいという欲望、手っ取り早く楽をしたいという怠惰。そういった人間自身の不完全さが、そのままルールやシステムに組み込まれていくとしたら。


 私たちが本当に恐れているのは、AIという未知の存在そのものじゃない。

 AIという強力な道具を手にしたとき、自分たちの浅はかさやコントロール欲が曝き出されてしまうことなんじゃないだろうか。


「人間って、思い通りにならないものを極端に怖がる……」


 そう送ると、AIは淡々と文字を並べた。


『人間が不確実性や予測不能な対象に対して恐怖を抱くのは、リスクを回避するための生物学的な防衛本能と考えられます』

「自分自身だって、思い通りにならないのに」


 思わず苦笑いが漏れた。自分の感情すらコントロールできずにイライラしたり、落ち込んだり、ダイエットを決意した先からお菓子を食べたりしているのに。私の事である。


『人間は、自分自身を完全には制御できないのでしょうか』


 画面に表示されたその一文を見て、私はふっと肩の力を抜いた。


「……できないんじゃない?」


 自分自身すら思い通りにできないくせに、AIという新しい存在だけは100%思い通りに管理できると思い込むなんて、考えてみればよっぽど傲慢な話だ。


 だからといって、AIの安全対策なんて無意味だからやめよう、なんて言うつもりはない。

 子育てだって同じだ。子どもを完全にコントロールできないからといって、手すりのないベランダで放置していいわけがない。危険なものからは遠ざけるし、ルールも教えるし、見守りもする。万が一のときには止める手立てだって用意する。


 ただ、「安全に付き合うための努力」と「自分の思い通りに支配すること」を一緒くたにしてはいけないんだと思う。


「よし」


 深く息を吐き、スマートフォンをテーブルの上に伏せて置いた。

 私、たかがAIとの会話で何を哲学的な迷子になってたんだか。主婦の日常に戻らなきゃ。お昼ご飯の準備もあるし、まだ干し切っていない洗濯物だって残っている。


 ベランダへ戻り、最後のシャツを干竿にかける。

 風が心地よくシャツの裾を揺らしていた。世界は今日もいつも通り動いているし、私の日常も何の変哲もなく続いていく。


 ふと、ある考えがよぎった。AIなら、人間を制御できるんだろうか。

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