冷やし中華始めました。
最近「冷やし中華始めました」っていうのをよく見かけて、何となく思いついた作品です。
「ラーメン一つ~!」
「は~い」
威勢のいい声が店中に響き渡る。
ここはどこの町にもあるようなパッとしない普通のラーメン屋さん。
「チャーシューメン大盛り2つ~!餃子3皿ですね」
今は近くの会社員の多く集まるお昼時。オーダーが右から左へと止めどなく流れ続ける。
「ありがとうございました~!」
ピークが過ぎお店に誰も居なくなると、お店のオーナー…藍川裕也はふぅ…と息を吐き、店を掃除し始めた。歳は25歳くらい。中肉中背で、どこかパッとしない男性。彼は一人でこの店を経営している。
掃除が終わり、仕込みをしていると、カラ~ンとドアの開く音が鳴った。
「いらっしゃいませ~」
お客さんは20代くらいの女性だった。髪は長く、金髪ながら絶対に自毛だと思うほど透き通っている。顔も綺麗に整っていて、格好もお金がかかっていそうな毛皮のコートを羽織っている。どう考えてもこんなお店には似つかわしくないような女性だった。
その女性はカウンター席に座ると、
「冷やし中華一つ」
と、言った。
「申し訳ありません。只今の期間は冷やし中華はやってないんですよ」
それもそのはずだ。今は1月10日、まさに冬の真っただ中だ。
「そこを何とか!作ってください!」
「具材とか仕込みとかができてないので…すみません」
「そっか~。残念だな~。じゃあラーメン一つください」
それを聞き、藍川はラーメンをつくり彼女に出す。
「おいしそ~。いただきま~す」
彼女はそれを本当においしそうに食べた。
「ごちそうさまです。じゃ」
彼女はそのまま帰ろうとするので呼び止める。
「あ、ちょっと待ってください。お代…」
「あ、そうでしたね。すみません…。……あ」
女性がまずい…という顔をした。
「どうしましたか?」
「え~っと……。言いにくいんですが。お金……無かったの忘れてました」
「えぇ!?」
藍川は素っ頓狂な声を上げる。
「あの!すみません。タダ働きでも何でもしますから!」
「あ~…う~ん。仕方ないですね。…じゃあうちで働いてもらいましょうか」
彼女の服装などから、お金がないなんてちょっと不思議に思ったが藍川は彼女を雇った。
「ありがとうございます!私、眞白エリスって言います!あと…あの、住み込みって駄目でしょうか?」
「いや、構わないけど…」
この時俺はどうかしていたのだろう。
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「店長!1番テーブル、ラーメン一つと餃子一つ!あと3番テーブルは半チャーハンセットひとつで~す!」
エリスは本当によく働く子だった。すぐに仕事も覚え、テキパキとこなしてゆく。更に言えば、容姿が良く、いつも笑顔で元気な彼女は看板娘的な感じで、彼女目当てのお客さんも多くなっていった。
「エリスちゃん。今度の休み一緒に遊びにいかな~い?」
一人の客が言った。
「行きませ~ん」
そんな感じのおふざけにも付き合ってやってたりと、とても良い子だった。
ある日のお昼過ぎ、ピークの時間も過ぎて、藍川は仕込みをエリスは掃除をしていた。
エリスを雇ってから既にひと月が経つ頃だった。
「そういえば、何であの時冷やし中華を頼んだんだ?」
不意に藍川はそんなことを聞いた。確かに、あんな冬に冷やし中華を頼む人なんてそうそういないだろう。
「え~っと…話さなきゃ駄目…ですか?」
「そんなに言いにくいことなのか?なら言わなくてもいいぞ?」
こんな躊躇うような反応は藍川にとって予想外の反応だった。
「いえ…そういうことじゃなくてですね。あの…母が言っていたんです。『ここの冷やし中華はおいしい』って」
「君のお母さんが?」
意外だった。まだお店を出して2年程だから、冷やし中華を出したことがある回数はそんなに多くない。
それを食べていて、そんなにおいしいと思ってくれているなんて思いもしなかった。それに彼女母親だ。相当なお金持ちであると予想される(あくまで予想だが。)そんな人においしいと言ってもらえていたなんて…と藍川が感激していると彼女はつづけてこう言った。
「それで…ここに食べに来たんです。夏にしかやってないっていうのはすっかり忘れてました(笑)」
「そうだったのか~」
と、ここでお客さんが入ってこられたので会話は中断された。
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「エリス。これがお前の食べたラーメン代を引いた今月の給料だ」
「あ、ありがとうございます!」
夜も遅くなり、閉店した店で俺はエリスに給料を渡していた。
今時茶封筒にお金を入れて渡すなんて、誰もやってないが、彼女の口座とかも知らなかったから、手渡しすることにした。そしてこれは…
「これで、私がここで働く理由は無くなりましたね」
そう。彼女がこの仕事を辞めることを意味する。
「そう…だな」
俺は覚悟してたとはいえ…胸が苦しかった。
「あっ!あのさ!」
「え?」
俺はエリスの方を向き、呼び止めた。
「こ、これからもここで働いて…くれないか?お前がいるととっても楽なんだよ」
「え?でも、それなら他のバイトの人とかでも務まりますよね?」
「う…そ、それは……」
その通りだ。だから、俺が…俺が彼女を引きとめたい理由はそんなんじゃない。
「お…俺は」
この一ヶ月、エリスと過ごして、俺は…。
「俺はお前が好きなんだ!頼む。一緒にこの店を手伝ってくれないか?」
俺はエリスに惚れていたんだ。
「え…っ!?」
エリスの頬が紅く染まる。言った…言っちまった。
暫くの間沈黙が場を支配する。
そして、エリスの口が開く。
「わ…私も……貴方の事…その…嫌いじゃ…ない…です」
「!…じゃ、じゃぁ!」
「でも、ごめんなさい。私、ここで働き続けるのは…無理なんです。もう…時間がないから」
「…ど、どういうこと?」
俺は告白を受け入れてもらった事と、働き続けるのは無理という彼女の言葉の両方で、嬉しい反面残念な感情があった。
「私…もう帰らなきゃいけないんです」
「え?それはどういう…」
俺が言うが早いか閉店後にも関わらず店のドアが開き、そこから数人の黒いスーツとサングラスをかけた集団がやってきた。
「…わたし、眞白企業の一人娘なんです」
眞白企業…この辺では有数の大企業だ。
「ひと月の間だけ…外の世界を体験してくるってことで、外に出てきたんです。そして前、お母さんの言っていたここに来たんです。だから…もう駄目なんです」
「え…ちょっ!?」
俺が混乱しているうちに彼女は黒服の男たちが「さぁ、お嬢様。早く行きましょう」と行って彼女の手を引く。
それに対し彼女は、「少し待って」と言い、俺に近づいてきた。
俺の目の前に来ても止まらず進む。ぶつかる!と、俺は目を瞑った。
直後唇に柔らかい感触が感じられた。目を開くと彼女の顔が目の前にあり、その唇は俺の唇に触れていた。そして……
「最後に…冷やし中華…食べたかったな」そんな言葉を残してエリスは黒服の男たちと店を後にした……。
時は流れて…夏。
俺は店の前に夏になるとよく見かける旗を置いた。
『冷やし中華始めました。』
「冷やし中華一つと餃子1枚くれ!」
俺は、相変わらず一人でお店をやっている。
しかし…さすがにきつい。求人ポスターでも貼るか。
お昼のピークも過ぎ、掃除も仕込みも終わった頃、ドアの開く音がした。
「いらっしゃいま…せ…?」
そのお客さんは髪が長く金髪ながら絶対に自毛だと思うほど透き通っていて、顔も綺麗に整っていてどう考えてもこんなお店には似つかわしくないような女性だった。
その女性はカウンター席に座ると、微笑を浮かべながら、こう言った。
「冷やし中華一つ」
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