2.芽生と雫、最初の攻防
転校生、白雪雫が俺の隣の席に座ってからというもの、教室の空気は目に見えて変わった。休み時間になれば、男子たちは遠巻きに雫を眺め、女子たちも遠慮がちに声をかけようとソワソワしている。そんなクラスの視線が、なぜか俺の隣に座る雫、そしてその隣の俺に集中しているような気がして、居心地が悪いことこの上ない。俺は「空気」がモットーなのに、こんなに目立つのは勘弁してほしい。
「ねぇ、相模くん。この問題、教えてくれないかな?」
透き通るような声が、俺の耳元で小さく響いた。
隣を見れば、雫が教科書を指でなぞっている。顔が、やけに近い。白い肌から微かに香る、甘い香りに、心臓がまたドクンと鳴った。
「あ、ああ、いいぞ。えっと、ここか?」
俺が慌てて身を引くと、雫はクスッと小さく笑った。人形のような顔が、少しだけ緩んだように見えて、なんだか妙にドキリとした。
「ゆーま!なにしてんの!私にも教えてよ!」
その時、まるで俺と雫の会話を遮るかのように、芽生が突然、俺の机に両手をバンと叩きつけた。普段よりも一段と声が大きい。
「お、おい芽生、いきなりどうしたんだよ」
「どうしたんだよ、じゃないでしょ!私だってゆーまに聞きたいことあったのに!」
ぷんぷんと怒っている芽生の目は、なぜか俺ではなく、その隣の雫をちらちらと窺っているように見えた。気のせいか?
「桜坂さん、相模君に何か御用ですか?」
雫は、一切表情を変えることなく、静かに芽生に問いかけた。その声音は、どこか冷たい響きを帯びている。
「別に、雫さんには関係ないでしょ!ゆーまとは、昔からこーんなに仲良しなんだから!」
そう言い放つと、芽生は俺の腕にギュッと抱きついてきた。俺は突然の行動に固まり、教室中の視線がさらに俺に突き刺さる。
「え、芽生!?」
「なに?ゆーま、嫌なの?」
芽生が上目遣いで、少し潤んだ瞳で俺を見上げてくる。クラス中の男子からの「お前、いい加減にしろよ!」という無言の圧が、背中に痛いほど突き刺さった。
「そうなんですか。相模君、困ってるように見えますけど」
雫は、芽生の行動にも動じず、ただ淡々とそう言った。その視線は、確かに困惑している俺に向けられていた。
「困ってなんか、ないもん!ね、ゆーま?」
芽生は俺に同意を求めるように、ギューッと腕を締め付けてくる。正直、困ってないと言えば嘘になるが、ここで芽生を突き放すのも、なんだか可哀想な気がして。
「あー……まあ、芽生とは昔からの付き合いだからな」
俺が苦笑いしながらそう言うと、芽生は満足そうにニコッと笑い、雫はフッと何かを諦めたように目を伏せた。
……いや、諦めてない、ような気がする。
放課後。クラスメイトが帰り支度を始める中、俺は日直の仕事で黒板を消していた。
「相模君、手伝います」
後ろから聞こえた声に振り返ると、雫がチョークを手に立っていた。
「え、いいのか?悪いな」
「いえ。私も、少し残っていたかったので」
雫はそう言うと、静かに黒板の半分を消し始めた。その流れるような動きは、まるで一枚の絵のようだった。
二人で黙々と作業を続けていると、教室のドアがガラッと開いた。
「ゆーま!まだいたの?一緒に帰ろー!」
声の主は、もちろん芽生だ。彼女は俺と雫が二人きりでいるのを見ると、一瞬、目を見開いた。
「あ、芽生。ちょうど終わるところだ」
「ふーん。雫さんも、お疲れ様」
芽生は、にこやかながらも、どこか刺々しい声で雫に言った。
「桜坂さんこそ、お疲れ様でした」
雫もまた、感情の読めない声で返す。二人の間に流れる空気が、再びピリッと張り詰めた。まるで、目に見えない火花が散っているような……。
「さ、ゆーま!早く行こ!」
芽生は俺の腕を掴むと、雫に背を向けるようにして、有無を言わさず教室から引っ張り出した。
「あ、おい芽生!ちょっと待てって!」
俺は雫に一言詫びる間もなく、引きずられるように教室を後にした。
夕焼けに染まる帰り道。
「ねぇ、ゆーま。雫さんのこと、どう思う?」
隣を歩く芽生が、突然真剣な声で尋ねてきた。
「どうって……転校生で、美人だし、物静かだよな」
俺が素直な感想を口にすると、芽生はムッと頬を膨らませた。
「それだけ!?他にもっとないの!?」
「他にもって言われてもな……」
正直、まだあまり話したこともないし、それ以上のことはよく分からない。
「ふーん……。ま、ゆーまはバカだから、そんなもんだよね」
芽生は、納得したような、していないような顔で、独りごちた。
俺は釈然としないまま、今日の出来事を思い出していた。芽生と雫、二人ともなんだかいつもと違う。特に、俺を挟んでのあのやり取り。
あれは一体、何を意味していたんだろう?
鈍感な俺には、まだそれが「最初の攻防」だったなんて、全く気づいていなかった。




