競艇しか勝たん
朝の競艇場。開場して間もないというのに、観客席にはすでに熱気が漂っていた。水面に射す朝日が反射してきらめき、時折鳴り響くモーター音が胸をざわつかせる。
「ここが……競艇か」
腕を組んだイグニスの視線は、水面に釘付けになっていた。隣でロマーリオがパンフレットを広げ、にやりと笑う。
「おう、ここが日本の“水上の戦場”よ。奈落で矢を放つお前が、今日は舟券で的を射抜く番だ」
ロマーリオは出走表を指差しながら続ける。
「まず大事なのは“枠番”。基本的に1号艇が有利だ。インから走る分、勝率は五割を超える。だがな、外枠でもモーターの調子やスタート力次第で簡単にひっくり返る」
「ふむ……つまり、選手の腕だけじゃなく、ボートやエンジンの力次第というわけか」
「その通り。どんな強豪選手でも、ハズレのエンジンを引かされりゃ、思うように走れん。……しかも初日は特に荒れやすい。調整不足、慣れ不足で波乱が出やすいからな」
「なるほど……奈落で言うなら初陣。緊張と不慣れが勝敗を左右する、か」
イグニスは戦場を思い起こしながら深く頷く。確かに、戦いは道具の性能や環境に左右される。ここも同じ理なのだ。
「舟券はシンプルだ。固いのは“1-2-3”みたいな組み合わせ。だが、配当は低い。逆に“2-4-6”とか崩れると、配当は跳ね上がる。要は、堅実か、夢を見るかだな」
「……俺は後者を選ぶだろうな」
「だと思ったぜ」
挑発めいた笑みに、イグニスはニヤリと返す。
やがて第一レース。
スタートで一号艇がわずかに出遅れ、三号艇が勢いよく差し込む。観客席がどよめき、声が飛ぶ。
「おおおおっ!! 三号艇まくったぁ!」
イグニスの舟券は“3-2-1”。直線で二号艇が追い上げるが、三号艇が粘り勝ち。
「やったぞ……!」
払い戻しを受け取ったイグニスは、手にした札束を見つめて目を輝かせた。
「これが……競艇の勝ちか!」
水面を渡る風に、イグニスの笑い声が響いた。ロマーリオは肩をすくめる。
「今日はツイてるな。だが競艇は“水物”だ。勝ちも負けも、波に乗れるかどうかは時の運だぞ」
「ふん……ますます面白ぇ」
イグニスの胸は高揚感で満たされていた。奈落での戦闘に似た緊張と熱気。ここには確かに「戦場」がある。
そんな時、観客席の一角で初老の男が声を張り上げた。
「よっしゃあ! 今日も1256ボックスでいくぞぉ!!」
耳慣れぬ言葉に眉をひそめ、イグニスはロマーリオに問う。
「おいロマ。……1256ボックスってなんだ?」
「舟券の買い方のひとつさ。数字は艇番。1256ボックスってのは、1・2・5・6号艇の3連単を全部買うって意味だ。効率は悪いが、戦法の一つだな」
「だが……外れ続けてるぞ。あの男」
実際、男はレースのたびに「1256!」と叫んでは外し、悔しがり、次も同じ買い方を繰り返す。まるで狂信的な執念。
「フハハ、愚か者だな」
イグニスは鼻で笑った。
…だが最終第12レース。
実況が叫び、観客席がざわめきに包まれる。
「6号艇が先頭に立ったぁぁ!!」
さらに5号艇、2号艇が追随し、ゴール直前は大混戦。そして決着。
「決まった! 6–5–2! 大波乱ッ! 超高額配当です!!」
その瞬間、あの初老の男が両手を突き上げ、狂喜乱舞した。
「うおおおおおっしゃああああ!! 6–5–2だぁ!! 大逆転大勝利ぃぃぃ!!!」
観客席から驚きと羨望の声があがる。イグニスは目を剥き、拳を震わせた。
「な、なんだと……!? あの買い方で……大勝ちだと!?」
ロマーリオは肩をすくめ、苦笑混じりに言った。
「言ったろ。外れ続けても、一発当たれば破壊力は桁違いなんだ」
イグニスは呆然と、その狂気じみた執念の勝利を見つめていた。
胸の奥で燃え上がるのは驚愕、そして未知の世界へのさらなる渇望だった。
こうしてイグニスの競艇初日は、衝撃と興奮に包まれて幕を下ろした。




