パチンコは勝てん
【奈落 第六層 深海エリア】
深海の世界・アビスネレイダ。
その中で人が暮らす都市・ルメナリア最大の賭博施設。
魔導の光と音楽が渦を巻く奥の一角に、ひときわ異彩を放つ台がある。
台上に鎮座するのは、神々しき狼の像。牙を剥き、今にも吠えかかりそうな気配を放つ――その名は『七光神フェンリルMAX召喚ver.』。
イグニスは迷うことなく、その前に腰を下ろした。
袋から青銀の硬貨――スケイルを取り出して投入する。地上の金貨一枚に対し、およそ十五スケイル。冒険の報酬で得た金貨が、瞬きの間に砕けていく計算だった。
玉を打ち込む。
魔導ビジョンに蒼炎の狼が駆け抜け、竜や星々を伴う壮大な演出が展開する。
長い。無駄に長い。だが、それこそが熱狂を生む理由だった。
召喚陣が輝き、狼の姿が現れる――しかし、幻影は掻き消え、硬貨は虚しく失われる。
イグニスは額の汗を拭いもせず、再びスケイルをつぎ込んだ。
外れ、また外れ。
それでも続ける。
袋の中身が半分を切ったころ、ついに赤い光が画面を染めた。
《真・フェンリル召喚チャンス》
狼像が咆哮し、場の空気が張り詰める。
蒼炎の狼が画面を突き破った瞬間、硬貨が滝のようにあふれ出す。
受け皿を埋め尽くすスケイル。歓声とともに、イグニスは拳を天へと突き上げた。
勝利の輝き――しかし、それはほんの一瞬。
再び硬貨は台へと吸い込まれていき、やがて袋は空となる。
大勝の余韻は虚しさに変わり、頭上の狼像だけが静かに牙を剥いていた。
イグニスにとって、『七光神フェンリルMAX召喚ver.』は栄光と破滅を同時に刻む魔導台である。
勝利の咆哮を一度でも聞いてしまえば、誰もがもう後戻りはできない――そういう宿命を秘めた、危険な魔法の装置だった。
受け皿を埋め尽くしていたはずのスケイルは、再び台へと吸い込まれていった。
最後の一枚が投入され、虚ろな音を残して消える。
――カラン。
無情な響きが、終わりを告げた。
袋は空。懐も空。何も残っていない。
イグニスは椅子にもたれ、しばし天井を仰いだ。
頭上の狼像は、まるで嗤うかのように牙をむいていた。
「……ああ、やっちまった」
かすれた声が喉から漏れる。
その頃。
同じ任務でルメナリアを訪れていた後輩、マーテルはすでに帰路についていた。
最初は忠告を繰り返した。
「報告書はどうするんですか」
「時間を無駄にしていますよ」
――しかし、耳を貸す者はいなかった。
彼女は痺れを切らし、ついにイグニスを置き去りにして帰ってしまったのである。
気づけば、イグニスは独りだった。
ルメナリアの街路は水が入らぬよう、魔導の結界によって外界と隔絶されており、魔法を使えぬ者が自力で出ることはできない。
魔導師に同行してもらうか、迎えを待つしかないのだ。
しかし――肝心のマーテルはもういない。
「……帰れねぇ、のか」
ようやく理解した現実に、イグニスは苦笑した。
空になった財布を振り、からからと虚しい音を確かめる。
街のネオンは今日も眩しく、パチンコ屋からは絶え間ない魔導音楽が響き続けていた。
イグニスはその入口を一瞥し、ふらりと踵を返す。
――金がなければ打てない。
ならば魔法使い無しでも可能な依頼を待つしかない。
ルメナリアの片隅に取り残された男の背に、蒼い光が淡く降り注いでいた。




