バカラは勝てん
「次、プレイヤーに10,000Gや。倍プッシュ、入るぜ」
イグニスはチップをテーブルに叩きつけるように置いた。〈ゴールデン・フェニックス〉のバカラテーブル、VIP No.3。空気が張り詰める。
「1万G、プレイヤーに確認いたしました」
ディーラー・エミリの声はいつになく静かだった。
監視室では職員たちが騒然とし、オーナーに連絡が入る。…それほどの大勝負だった。
カードが配られる。
プレイヤー:4 → ドロー:3(合計7)
バンカー:7 → ドローなし(ナチュラル)
「……っ!」
沈黙。
ディーラーが、淡々と結果を告げる。
「バンカーのナチュラル7により、バンカー勝利。申し訳ありません、イグニス様……」
イグニスは、目を見開いたまま、動かなかった。
重く、チップケースを開ける。中は空。
「……う、うそやろ。いや、まだTIEボーナス……いや……」
どこにも救済措置はなかった。ただ破産しただけだった。
「ッハハ……これが、運命のキス……ね。はは……はぁ……」
彼は頭を抱え、椅子にもたれかかる。
イグニス=イッシュバーン、所持金ゼロ。
こうして、夢と絶望が交差するカジノ〈ゴールデン・フェニックス〉に、また一人、敗者が刻まれた。
――数日後。
サンライズシティのカジノ〈ゴールデン・フェニックス〉に、またしても赤いオーラを纏った男が現れた。
「帰ってきたぜ、運命さんよ。今回は“理論”で勝つからな」
懲りない男の名はイグニス=イッシュバーン。
冒険者ランキング上位にして、カジノのランキングでは圏外。
前回の全ツッパ勝負では奇跡の8倍TIEを当てたものの、後半で見事に大敗。現在、所持金ゼロ。
だが、今日は違う。イグニスは、禁断のギャンブル理論を引っ提げてきた。
「その名も、“マーチンゲール法”。負けるたびに賭け金を倍にしていけば、いつか必ず勝てる。で、取り返してプラス。完璧すぎる理屈だろ?」
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【マーチンゲール法】
それは、一種の損切り回避戦術である。
たとえば100G賭けて負けたら、次は200G。さらに負けたら400G。そして800G、1600G……と、負けるたびに倍賭けしていき、どこかで1回勝てばすべてを回収できる。
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「つまり、金さえ尽きなければ、勝率は100%ってことや!」
その日、イグニスはいつもと違い、低姿勢でチップを積み上げた。
所持金は命懸けの採取依頼で得た6,300G。まさに背水の陣。
第一戦目――100G、プレイヤーへBET。
→負け。所持金:6,200G
第二戦目――200G、再びプレイヤー。
→負け。所持金:6,000G
第三戦目――400G、バンカーへ。
→負け。所持金:5,600G
第四戦目――800G、バンカー。
→負け。所持金:4,800G
「いや、これは流れを溜めてるだけや……問題なし」
第五戦目――1,600G、プレイヤー。
→負け。所持金:3,200G
第六戦目――3,200G、バンカー。
→負け。GAME OVER
「……………………」
静寂が流れた。チップケースは空。
ディーラーのエミリも、今日は何も言わなかった。
「なあ……これ、運が尽きたんじゃなくて、資金が尽きただけなんやんな?」
その問いに、誰も答えない。
マーチンゲール法の最大の弱点。
「無限の資金があること」を前提にしていること。
そしてもう一つ。
テーブルには、賭け上限があるという事実。
「バカラってのはさ……理論で勝てるように見えて、結局“運”なんだよな」
カジノの外に出たイグニスの背に、夕焼けが刺さっていた。彼はまた、無一文になっていた。
バカラはやっぱり、無理ゲーである。