時間割りと時間泥棒⑪
「家の中の時計は全て隠してあります。それと、画面に時計が表示されるのでテレビも禁止。寝る時間も起きる時間も、ご飯の時間もお風呂の時間も自由。好きなだけ遊んで、好きな時におやつを食べていいぞ。」
異変を探し当てた2人に、朝食を食べながらお父さんがルール説明。それを訊いた要と進からはパチパチと拍手が起きた。非日常と自由という響きに、にわかに盛り上がりながらゴールデンウィークが始まった。
会社も学校も幼稚園も休みで、外出の予定も取り消せば時計の有無に関わらず、時の流れは緩やかになる。時の流れが緩やかになれば自由が増し、自由が増せば迫られることが少なくなる。迫られることが少なくなった時が―有益な時間が増えるのか、無駄な時間が増えるのか―各人の分岐点である。
朝食後、お母さんはいつも通りの洗い物と洗濯の時間。時計がないからと言って特に困ることはない。変わることはない。止まることはない。いつも通りのいつものやり方で片付けていく。時計があろうとなかろうと、平日も休日もお母さんは大変なのだ。
お父さんはじっくり、普段よりも時間をかけて新聞に目を通す。お母さんが淹れてくれた熱々のお茶をお行儀悪く音を立てて啜りながら、のんびりとした連休初日の滑り出しを満喫していた。騒がしくなるはずだったから、肉体的には嬉しい誤算。何ならもうひと眠りできそうだ。
要はエライぞ、勉強中。この1ヶ月で浮かんできたことは、要は机に向かうことが性に合うようだ。漢字が好きで計算が楽しくて、学校から配られた『かんじ』と『けいさん』のドリルを毎日こなしていた。宿題云々は関係なし。自分の意思でドリルも教科書もどんどん進めていた。まだ予習という意識はなかろう。捗り具合によってはこの連休中に終えてしまいそうな勢いだった。何も考えずにと書くと語弊が生じそうだが、知の吸収を無条件に楽しめるものはひとまず強い。




