間奏の便り
【間奏の便り】
大人は全てを知っていて、大人はいつも正しくて、大人は何でもできてしまう。悩みや心配事は皆無で、何一つ怒られることなく完璧に1日を過ごす。僕達にはそう見えている。絶対無敵で全知全能、完全無欠。それこそ神様、仏様と同じ存在なのだ。違いは目に見えるか見えないかの差。見えない神様を見本・手本にすることはない。僕達の最初の教科書がお父さんであり、お母さんである。直接教わる時もあるし、別に教わらなくたって背中から勝手に学んで吸収する。態度から言葉遣い、習慣から食生活。親がいいといったことが正しいことで、ダメといったことが間違ったこと。判断基準は全て親なのだ。だから親が味方す
る者は僕達も味方するし、親の嫌う人間は僕達にとっても敵となる。そこには正負も正誤も善悪も関係ない。
だから僕達は、何でもかんでも、お父さんとお母さんと一緒がいい。同じことをしたい。同じものが欲しい。買い物についていきたい。僕もお茶漬けが食べたい、私もお化粧がしたい。理由なんて知らないしいらない。無条件で同じがいいのだ。だから一緒に笑いたいし、喜びたい。意味なんか分からなくたって別に問題ない。お父さんが笑っていれば楽しくなるし、お母さんが喜んでいれば嬉しくなる。
けれども、恐怖は違う。悲しさも違う。子供は緊張に親しみがない。悲しみや苦しみに慣れがない。お父さんが僕たち以外に起こっていれば、僕達にとっては自分達が怒られている時よりもずっと恐ろしい。お母さんがテレビドラマ以外で泣いていたら、僕達はこの世が終わるよりも悲しくなる。だから、お父さんを怒らせる奴には憎悪を感じ、お母さんを泣かせる奴には殺意すら覚える。今は無理でも絶対に許さない。絶対に忘れない。絶対にやり返す。