個性・差別・才能・義務⑧
子供の吸収力は乾いたスポンジみたい―渇望するほど弾いてしまう皮肉―善悪問わず様々な影響を受ける。
三日所ではない。一ヶ月以上も顔を合わさなければ、大きな変化を遂げる子だっている。日に焼けて真っ黒というだけではない。内から変化する。目に見える行動の一例としては、先にも述べたアスレチック遊具への興味喪失。無我夢中という表現がぴったりだったのに、2学期からはボール遊び以外は見向きもしなくなった。テレビアニメの影響か年長組に教わったのか、ドッジボールが大流行。クラス関係なく、自由時間の度に中央広場へ集まった。最初は子供達が靴のかかとを使って地面にコートを書いていたのだが、さすがに線が見え辛い。そこで毎朝、先生がライン引きでコートを作ってやるようになったのだが、昼休みにもう1回白線を引いてやらないと見る影もなくなる始末。大して手間のかかる作業ではないし、クラスの垣根なく皆で遊ぶのは大いに結構なことであるが、けが人は増えた(笑いながら血ぃ出たー、だってさ)。
要はどちらかというと小柄な方で、順也は背の順で並ぶとすみれ組で1番後ろだった。体格もほっそりとしたように対して、がっちりとした順也。そんな2人では投げるボールにもかなりの差が生じる。肩の強さと言うのだろうか。大きなボールを片手で持つことすら難儀する要の球は年相応のふわふわした球速だが、順也のそれは唸りを上げて相手に襲い掛かるのだった。ドッジボールコートでは順也が中心であり、王様であり、主人公。順也にボールが渡ると相手コートに緊張が走る。ざわざわ、そしてワクワクさせてしまう。意地と勇気と根性を持って順也のボールをキャッチしてやろうという子はほとんどいない。急いでコートの後方まで下がって、ボールが飛んできたらばとにかくよける。とてもまともに勝負はできない。要なんかはこっちの方がずっと得意だった。跳んでしゃがんで、右へ左へ。逃げに徹すれば意外とどうにかなる。どうにかなってしまう所がまだまだ甘い。味方の外野と呼吸を合わせて相手の内野を追い詰めて、とまでは考えが巡らないようだ。まだまだ隙だらけのドッジボールである。




