Junk-MAN
現在問題となっている環境破壊。そんな人類全体の危機とはまったく関係のない、ある男の死と再生の話。ジャンルは文学となっていますが、肩肘を張らずに、まったりと読んでいただければ幸いです。
溜息を一つ。
足の踏み場もないとはよく言ったモノである。床一面を埋め尽くすポリエチレン製のゴミ袋。限界まで詰め込まれた廃棄物によってはちきれんばかりに肥大化したソレの大群が俺の部屋の全て。
ポリ袋の中身はこの三ヶ月間に俺が食べたコンビニ弁当の空き容器、地味な配色のプラスチックだ。食べ終わった後に水洗いをしてあるので臭いは無いが、不衛生な感は否めない。もっとも、これから死のうという人間には関係のない事なのだが。
中途半端に沈み込んだ体。ゴミ袋の大海原の中心に横たわり、俺はゆっくりと瞼を閉じる。外界から遮断された虚空に、つい五分前にたいらげた特上鰻重が浮かび上がる。税抜き千四百円のソレが、俺の最後の晩餐だ。
心地よい満腹感。抗い難い眠気が湧き上がる。これからの数日は、ただ死ぬ為に眠る毎日となるだろう。ならばその最初の一日目だけは気持ち良く眠ろうと、俺はその衝動に身を任せた。
◇ ◇ ◇
両親が死んだ。突然の事だった。交通事故らしいが、よく解らない。警察だか消防だかの人から何やら話しを聞いた気もするが、憶えていない。ただただ漠然とした喪失感に体中が蝕まれて、事件の些事など胸の穴から零れ落ちたのだろう。両親の事を思い出すと辛いので、詳しく知ろうとも思わなかった。
天涯孤独となった俺は、それまで住んでいた家から木造のアパートに引っ越した。権利云々の関係らしい。幸い、いくらかの貯金と保険金があったので暫くの生活には困らなかった。節制し、アルバイトをすればこれまで通り大学に通うことだって出来ただろう。奨学金という制度もある。一見どん底に見える状況だが、そういう意味では、まだ『救い』がある方なのだろう。
だが、俺は駄目になった。理由は解らない。あまりにも突然に両親が死没した為だろうか、それとも、そもそもそういう質だったのか。今となってはどちらでも良い事ではあるのだが、ともかく俺は駄目になった。
全ての事に無気力になった。この世の全てが無価値に思えた。生きている事すら億劫だったが、かといって死ぬのも面倒で、結局俺はずるずると惰性で日々を過ごした。
食事はコンビニ弁当か店屋物。食べ物を買う時以外は外出せず、大学の講義も全て欠席した。
空に近づく預金口座と引き換えに増えていく半透明のゴミ袋。無為に時間を浪費して築いた無価値の山。その頂点に埋もれる山の主たる俺は、果たしてどれ程無価値なモノなのか。そんな事ばかりを考えて、今日の今日まで生きてきた。
勿論、そのような人間がのうのうと暮らしていけるほど、社会というヤツは甘くはない。支出ばかり一人前で、収入の無い現状を維持できたのは三ヶ月までであった。
空になった口座が俺に死刑宣告をする。被告人である筈の俺はけれども、無表情にソレを聞き入れた。当然だ。無価値な世を生きる無価値な人間が死んだところで何があるというワケでもない。余分が減るぶん、むしろ喜ばしい事である。
もっとも、人類の生産力は恐るべきモノであるから、暫くは無価値なモノ共がセカイを跋扈するのだろうが……まぁ、そんな事、死んでいく俺には関係が無い。
◇ ◇ ◇
目が覚める。部屋には時計の類が一切無いので、今は夜だと勝手に決め付けた。
いったい人間は、物を食べないでどのくらい生きられるのだろう。ゴミ袋に沈み込んだままぼうっと考える。一週間か、一月か。胃の中に何も無い時に感じる痛みにも似たあの感覚を、俺はどの位味わっていなければいけないのだろうか。長く苦しむ事になるのなら、別の方法に切り替えようか……そこまで考えてから、俺は否、と瞼を閉じる。俺は死にたくて死ぬのではない、生きる事が出来ないから死ぬのだ。だから死に方を考える必要はない。ただ、その時を待てば良いのだ。苦しいから、などといった思考は無駄である。
無価値の海に揺蕩う。肉体とポリエチレンの境界が揺らいで、自分が果てしなく拡散していく錯覚。俺がゴミなのか、ゴミが俺なのか。瞼を閉じれば俺はゴミ袋と一体になれる……ソレはとても心地よい感覚だった。俺の全てを無条件に受け入れてくれる。或いはソレは、同属愛護とでも言うべきモノなのかもしれなかったが。
この上ない楽園。自己に満たされた部屋。不安なんて無い、完全な聖域。この中で眠る様に死ぬ事が出来るのならば……ソレはどんなに幸福なのだろう。俺はその瞬間を夢想し、再び瞼を閉じた。
次に瞼を開けた時―――楽園は失墜した。
もうもうと立ち昇る黒煙。恐るべき速度で拡がる凶々しい赤色の悪魔。冷や汗とも脂汗ともつかぬ液体が俺の額を濡らし、濡らしたそばから蒸発していく。
俺は絶叫した。迫る死の恐怖に、ではない。部屋中に拡がる俺自身が燃えていくその様にだ。
そうして、一頻り大声をあげた後、俺は倒れた。恐らく酸欠であろう。視界が赤から白に切り替わり、そこで俺の意識は途絶えた。
◇ ◇ ◇
どうやらタバコの不始末であると、俺は病院のベッドの上で聞いた。救助が早かった事と一階に住んでいた事が幸いして、俺は一命を取り留めたのである。 一ヶ月程の入院を経て、俺はまた別のアパートへ引っ越した。前回とは違い、家具一式が用意された上等な部屋。火災保険のおかげだ。
一通りの手続きを終え、真新しい部屋に入る。そこは現代風な、六畳間ロフト付きの小奇麗な空間だった。
とりあえずソファに腰を下ろし、さて、と天井を見上げる。死を控えた無気力な人間が偶然から生きながらえただけで、行き着く先は同じである。引越しと入院費で俺の口座は殆ど空なのだから、前の部屋に居るのと状況は変わらない。違うとすれば、うずたかく積まれたゴミ袋の山か。
そこにきて、自分が知らぬ間に爪を噛んでいる事に気が付いた。そんな癖があっただろうかと考えていると、今度は右足が貧乏ゆすりを始める。気を紛らわせる為にとテレビをつけるものの、一向に落ち着かない。
―――あぁ、なんだよ、此処は。
空っぽの部屋。その中心に、無価値な人間が居る。
その衝動は突然だった。ゴミ袋が無いという現状は俺に孤独を刻み込み、無価値なモノに囲まれていないという孤独は、恐怖となって俺を蝕む。
恐ろしさから頭を抱え込む。怖い、怖い。何で此処には、ゴミ袋が無いんだ。
耐え切れなくなって立ち上がる。部屋をぐるぐると歩き回るも意味は無く、俺は血が滲む程に爪を噛んだ。テレビの音でさえ俺の孤独を煽り、俺は必死で思考した。
一刻も早くゴミ袋を作らなければ。けれどどうする、ゴミも無ければ袋もない。
物がなければ買えば良い。
物を買うには金が要る。
金が欲しけりゃ―――。
そこに気が付いて、俺は一目散に飛び出した。
……
男の居なくなった部屋。つけっぱなしにされたテレビのモニターに、若い女性が映し出されている。ゴミのポイ捨てを止めよう、という旨のコマーシャルだ。女性の持つ白いボードには、ポイ捨て減少による環境問題の変化の予想グラフが記されている。小難しいデータを述べた後、女性が「ゴミはリサイクルへ」と言ってコマーシャルは終了した。
無価値に思われるゴミにでも、多少の価値はあるのだと、男は果たして気付いたのだろうか。
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