ボスクラス
晴れた視界の先には、頭頂部を赤く染めたゴブリンが憤怒の形相でこちらを睨み付けていた。ブスブスと黒煙を上げ、火傷もそこかしこに見受けられる。ダメージは確実に受けているはずだが、その戦闘力は未だあり余っているようだ。慌てて”デビルツリーの手”を新しくかけ直したにも関わらず、咆哮を上げながらブチブチと半分ほど引きちぎった。
嘘だろ、と一瞬遅れた俺に反し、即座に反応したのがスノウだ。
「アイスランス」
「なんじゃワレ茹で蛸か。おっしゃ! 肴にしてやるわ。覚悟せぇよアホンダラ!」
あのレベルの化け物に嬉々として向かっていくアザラシ。躊躇なく目を狙ったアザラシのランスをゴブリンが素手で弾く。と同時に払った方とは逆の手を振り回して爪で反撃した。
アザラシはそれを見事な体捌きで躱す。
「やるじゃねえかぁ、おお!? コラァ!」
そうか。手下のゴブリンと違って棍棒を持っていないなと疑問には思っていたが、身体能力に自信があるからか。全身をバラバラに解体するぐらいには切れ味の鋭いランスの一撃を無造作に払ってしまうとは。
突きの連続を鬱陶しそうに払うが、急所の顔以外は無視、いやあえて受けつつ反撃に転じている。それでも小傷ぐらいしか負わない硬さも脅威だが、やはり戦い方が野生のそれではないというところに最大限の警戒を覚える。不完全ではあるが、いまだ纏わり付く”デビルツリーの手”があってこれだから、本来のポテンシャルは想像するだに恐ろしい。
スノウはアザラシの顕現維持に集中しているようだ。このまま倒しきればそれに越したことはないが、見るからに決定打に欠けている。他に切り札があるならここで切っているはずだが、スノウに新手を繰り出すような気配はない。……少しは俺の次の手に期待しているのだろうか。フッ、ならば期待には応えないとな。
今出来ること、今なら出来ること。俺の手持ちにラング以外の使役召喚獣はいない。が、一つだけ制限付きだが使役召喚獣のように扱えるカードがある。
名前:マッドマン七号
カテゴリー:マジック
レアリティ:★
コスト:9
属性:土
HP:400
ATK:400
効果:場にモンスターとして配置する。攻撃するたびに80、HPとATKが減少する。解説:マッドゴーレムを人間に進化させようとしたその成れの果て。
『そいつは土塊にも魂は宿ると信じていたのさ。神すら信じちゃいねぇのにな』
魔方陣から鈍重な動きで這い出るようにゴーレムが出現する。レアリティ1の中では最強のステータス。そして、その数値と使い勝手の悪い能力に釣り合っていない、高すぎるコスト。ゲームの中では死にカードだった。というのも、高レア帯のモンスターは同程度のコストでもっと高性能だからだ。
だが、何故かレアリティ1しか引けていない今の俺には間違いなく最強の手札だ。さらに”スケルトンポーンの長槍”を召喚してマッドマン七号に手渡す。
──気が遠くなる。満足したところで。よし。──あれ。
「マツロウ。無理をせずに送還すべき」
遠くからスノウの声が聞こえる。何を言っているんだ。まだ出したばかりじゃないか。準備も済んだ。これからだ。
スノウは返事を返さない俺を横目に、懐から小さい試験管のような容器を取り出した。魔力の奔流というものを何度か視覚で捉えてきたからか、試験官の中身の液体は魔力に満たされているものだというのが感覚的に分かった。栓を抜き、スノウがそれを一息に呷る。容器を投げ捨てながら続ける。
「持久と容量の限界は似ているようで違う。このままではあのドラゴンと共倒れに……!」
俺が強く睨んだのを怒ったと思ったのか、すっかり萎縮しているラングを見ながらスノウが叫んだ。
くそ、意識が朦朧としやがる。ああ、言っている意味は理解しているさ。どれだけ同時に召喚獣を展開させているんだって話だよな。でもな、スノウ。その選択肢はないんだ。
「限界なら何故送還しない?」
……そうだな。その先に続く言葉は分かる。容量を無駄に占有させておく余裕は無い。そういう話だ。
だが違う。ラングを送還すればおそらく……いや、間違いなくラングという存在は消える。感覚的にそう確信している。繋がっているパスがそう思わせるのだろうか。
理屈づけるのであれば思い当たるのは二つ名の存在だ。行使召喚を何度か使用して分かったが、常に同じ二つ名のモンスターが呼び出されている事に気付いたのだ。灰燼に帰した筈のデビルツリーの手であっても、だ。召喚し直した事でまるでリセットされたかのように。
つまり異世界から呼び出すこの世界の召喚と違って、俺の召喚は……只のシステムだ。
ドラモンの世界なんてのは所詮バーチャル上のものだ。あるいは俺の妄想、幻想が生んだものかもしれない。作られた設定であって、実在などしない。
現に今ここに存在するラング以外にはな。喚び直せたしたとしてもそれは恐らく今とは違うラングだ。この子ではない。
もちろん、俺が死んでもラングは──この子は消えるだろうから結局のところ結末は同じだというのは変わらない事実だろう。でもな、スノウ。それもやっぱり違うんだよ。
俺にとってはもう……ラングを手放すなんてことは考えられなくなっている。
だから、これは順番の話じゃないんだ。どうせ死ぬから殺しても良いなんて結論は絶対に下せない。懐いてくれている。胸に抱いて鼓動を感じた。たったそれだけで入れ込みすぎだと断じられても否定は出来ない。この思いをぶちまけても理解はされないだろうが、それでも俺には無理だ。
「スノウよ、限界まで足止めをしろ。マッドマン七号、我を先導し守れ」
返事の代わりにそれだけ指示してマッドマン七号と歩き出す。
「マツロウ!」
スノウも無理をしてくれているのは分かっている。何せ、ドーピングで魔力を補ってまで奮戦してくれているからな。杖に寄りかかって何とか立っているほど疲労しているところ悪いが、もう少しだけ踏ん張ってくれ。
ああ、歩くのがこんなに辛いとは。だが、後、一回だ。後一回でけりを付ける。
「があああああ!」
ゴブリンの拳が空を切る。アザラシの尾が、その拳を踏み台に駆け上がる。真上から自由落下しランスアタックを敢行した。槍がゴブリンの頭部を打ち据え、派手な衝撃音が鳴った。地面へ向かって落ちる自身の頭に追従するようにゴブリンはその腰をくの字に折るが、地に伏すことはない。頭を上げてアザラシを睨み上げる。浮き出ている血管が切れそうな程にブチ切れているようだ。
「ハッハ! ワレもなかなか気合い入っとるやんけボケカス」
アザラシの方は嬉々としていた。近寄りがたいほどの激戦だが、両者共目の前の戦闘に夢中でこっちに意識はないように見える。好都合だ。
マッドマン七号を、間合いに入ったと同時に乱入させた。俺はそれより少し離れたところに位置取る。ジリジリと近づきながら。
アザラシに気を取られていたゴブリンを、マッドマン七号の渾身の一撃が襲う。”スケルトンポーンの長槍”はゴブリンの頬の辺りを痛打しそのまま打ち抜く。マッドマン七号の身体が僅かに崩れた。
頬にザックリとした傷は入ったが、貫くことは適わなかったようだ。驚くべき固さだ。ただし、頭を揺らされるというダメージが続いたせいか、一瞬昏倒したように目を白黒させている。チャンスとばかりに大胆にさらに近づいた。
「うおおおおああああぁぁあああ!!」
ゴブリンがとてつもない音量の咆哮を上げた。思わずすくみ上がる。
視界の先ではゴブリンが腕を振り上げていた。絶対に避けるべきところを反射的に顔を守ろうとしてしまう。だが、それをまるで咎めるような声が上がった。
「しゃらくせえ!」
振り下ろされるゴブリンの腕をアザラシが両手に抱えたランスの腹で受けていた。既に時間切れらしく、身体が消えかけている。それにも関わらず、つばぜり合いを繰り広げながら凄まじい眼力でゴブリンを睨み上げて、今にも飛びかかりそうだ。完全に狂犬のそれで本来なら次の行動は読めないが、後はこのまま消えるだけというのが俺にとっては好機到来だ。
「組み付け。マッドマン七号」
アザラシの消滅に、力比べをしていたゴブリンが体勢を僅かに崩す。それに乗じてマッドマン七号がゴブリンに組み付いた。
「ぐが……ぐがっ! ぐがあっ!」
ゴブリンが必死に振りほどこうとするが、まだ余力を残しているマッドマン七号のパワーを押しのけるには至らない。
さらに一歩踏み出す。完全に俺の間合いに入っている。条件は揃った。まさに完璧だ。ならば食らえ。俺のチート技を。
差し出した手をゴブリンに向けて唱える。
「”スケルトンポーンの長槍”」
光を纏いながら顕れた長槍が俺の手の中に収まる。そして、その穂先にはゴブリンの胸がくっついていた。いや、穂先がゴブリンの胸に埋まっていたというべきか。
呆けたようなゴブリン。こういうのは理解出来るか、お利口さん。