被検体三号
考えてもみて欲しい。手の中に忽然と顕れるような武具召喚といった召喚術は、要するに物体が空間に突然顕れているということだ。突き詰めると、顕れるべき空間に存在する物質を問答無用に押しのけて顕れているということになる。それが空気であっても肉体であってもだ。
空間においてその違いはないも同然。何せ、そこに存在するはずの物質を押しのけて瞬時に顕れるという現象がそもそも異常なのだ。おそらく、この世のありとあらゆる物質を無視して顕現するだろう。
最低レベルの武装だった”スケルトンポーンの長槍”が、穿てない物はこの世に存在しない無敵の槍に早変わりだ。現実的に考えればあまりに卑怯臭い。ゲームで言えばバグ技だ。
MMOではこの手のバグや裏技を探すのが日課だったからな。悪用する側ではなく、報告をする側だ。オフラインならそれ込みで楽しむのもあり派だが、この手のバグはオンラインゲームをつまらなくする。確認し次第即行で潰してきた。
チート技と言ったな。すまん、だからあれは嘘だ。いや、口には出してないから謝る必要もないか。
「があああっ!!」
ゴブリンは遅れて己の有様を理解したのか、胸に埋め込まれた長槍を空いている片腕で力任せに引き抜き、長槍ごと俺を放り出した。引き抜いたことでシャワーのように血が舞う。その狂乱振りはかなりの焦りが見て取れる。
マッドマン七号から必死に逃れようと藻掻くが中々離れない。しかし、マッドマン七号も自壊が始まっていた。拘束を抜けられるのも時間の問題だろう。
空中に放り出されながら、妙に冷静にそんなことを考える。その勢いは相当に強い。こんなに豪快にぶん投げられたら、俺みたいな普通の人間は死ぬんじゃないだろうか。流れていく景色を見ながら、ふと、これが走馬灯だろうかなどと他人事のように思う。
いまだに死ぬなんて夢にも思っていないんだろうな、と我がことながら現代人の死生観を垣間見た思いだ。
唐突に、体が木に茂った枝葉をいくつも突き破っていく衝撃に見舞われる。そのまま幹に激突し、背中を激しく打つ殴打感が襲った。
「ぐはっ」
全身に激痛が走り、視界が明滅する。覚悟もないままぶつかってしまったせいか、もろに受けてしまったような感覚だ……。口の中に血の味が広がる。
こいつはマジで……ヤバイ。マジ、ヤバイ。痛すぎてマジとヤバイという言葉しか浮かばない。だが、言葉以外ならもう一つ。その脳裏には先ほどの光景が浮かんでいた。
あのゴブリン。長槍ごと俺を放ったときに、ずっと握り込んでいたらしい小袋を一緒に放っていた。炎撃の中でも、アザラシとの戦闘でも、手放していなかったのか。よっぽど強奪品に執着があるらしい。視界をやるのも億劫だが、俺の手元辺りに転がっているようだ。
ぼやけた視界でゴブリンを見やる。マッドマン七号が体をボロボロと崩しながら限界まで組み付き──ついに吹き飛ばされた。”デビルツリーの手”もその形を保てなくなって消滅していく。
口から流れる血を拭いながら、ゴブリンが荒い息を吐く。毒づきつつ胸の傷口を確かめている。かなり深手を負わせたはずだが、その膝は折れない。心臓や肺辺りを狙ったつもりだったが、よく見るとかなり脇の方に逸れてしまっていた。
くそっ。そりゃあ、俺みたいな素人に、想像上の長槍を正確に指し示せるわけがないか。冷静に考えれば、そんな完璧な間合い取りが感覚で出来れば間違いなく達人だ。あれでもかなり良い線をいっている方だろう。
苦痛と復讐の怒りに満ちたゴブリンの視線が刺さる。その視線だけで殺されそうだ。だが、不思議と気圧されることはない。苦痛か疲労のいずれかが限界を超えたのか、全てが希薄だ。周りの風景が目に入らなくなっていく。
木も、土も、森の匂いも、痛みも、血の臭いも、血の味も、何もかもそぎ落とされていって──。
俺と、ゴブリンと、小袋から覗く石。
世界はそれらで構成されている。何もない空間にそれしか存在していないような感覚。近づいてくる足音だけがやけにハッキリと聞こえる。
ああ、これは本当に終わりなのかも知れない。
……すまん、ラング。出来れば共に過ごしたかったがここまでのようだ。何より、俺の死に付き合わせるような形になってしまうのが堪らなく申し訳ない。
そう思いながらふと違和感を覚えた。この状況下で、石の存在感があまりに大きい事に気が付いたのだ。それこそ不自然なほどに。
と、その時、ゴブリンの脇腹にラングが体当たりを決めていた。俺にとってもそうだが、ゴブリンにとっても完全に予想外だったらしく、その巨体が大きく揺らぐ。が、すぐさまカウンター気味に腕でなぎ払った。余裕のない大雑把な一撃だったからか当たりは浅いようだが、矮躯なラングにとっては十分すぎるほどのダメージになっているに違いない。数メートルは吹き飛んでぐったりとしてしまった。
その瞬間、脳が沸騰するような熱が身体を迸る。同時に状況を打開するための計算を始めている自分がいる。ぶち殺してやると言いながら、そいつが指し示した。石を使えと。
そうだ、元からそれが目的でここまで来たんだ。”召喚に使える”可能性に賭けるのは当然だし、石が手元に転がっているのはもはや必然だろう。
さあ、クリスタルの代わりだ。さあ、ガチャを回せ。さあ、出てきやがれ高レアカード!
『ゲットセット、レディ、ゴー!!』
意思をくみ取ったように、俺の雄叫びとシステムコールがシンクロする。
唐突に空間が暗転しゴブリンが狼狽える。まるで漆黒の宇宙空間へ放り出されたような感覚に陥る。そこに現出した魔方陣を中心に光が渦巻き、宇宙にちりばめられた星々となっていく。石が光りに溶けるように消滅した。明らかにいつもとは違う特殊演出だ。そして、これに俺は覚えがある。つまり”当たり”だ。
<鬼婦人>ローズ
カテゴリー:モンスター
タイプ:魔人
レアリティ:★★★★★
コスト:10
HP:1200
ATK:1000
属性:闇
スキル:攻撃時にコストを10支払う事により、ATKを2倍にする。
解説:魔神に至った魔人。鬼と呼ばれるのは種族的なものか、その所業ゆえか、もはや知る者はいない。
『血の色だから赤い服を好むらしい。殺戮のドレスコードってやつさ』
解説通りに血のように赤いドレスで着飾ったブロンド髪の童女が魔方陣から現れた。そう、スノウと大して背丈の変わらないちみっ子である。顔も幼顔で、これで婦人とはこれ如何に。とは定番のネタだ。
そう思ったところ、じろりと睨んできた。……まさか読心術とか持っていないだろうな。重いコストがずしりとくるのを感じながら、気分的にも少し重くなる。だが、それも湧き出てくるゴブリンへの殺気に覆い隠された。
暗転が解かれ風景が戻ってくる。ゴブリンが目を白黒させているが、気にも留めずローズが口を開いた。
「ふぅ。茶でも飲みながら挨拶の一つでもしたいところじゃが殺気に迸っておるのう、主様よ。取りあえずアレの鏖殺がオーダーということでよいのかの」
「……頼む。我はラングの元へ」
「やれやれ。ここは眷属として嫉妬すべき場面なのかのう。まあ、そういう事じゃ。そこな緑色よ。存分に殺し合おう」
息を整えたスノウがラングの手当をしてくれているのを目にしながら、少し捻ったらしい足を引きずりつつ向かう。ようやく辿り着いてラングを覗き込む俺の隣に、同じように覗き込むローズが立っていた。
「うぉっ。おい、ローズさ……。あな、貴様の相手はゴブリンだろ」
そう言って指さした先には首を無くした棒立ちのゴブリンがいた。……マジか。
「見立てではそこそこやりそうな奴だったんじゃが──瀕死過ぎて相手にならんかった。格好良さげな口上を決めたのにちと恥ずかしいのう。この子がラングかえ」
そう言って照れ笑いを浮かべているが、顔面はともかく行動は可愛くない。とんでもなく強いなこのお方。いや、知識としては知っているが改めて実感したというか。さすが当たりと言われるカードだ。初期に実装されたにも関わらず、いまだに型落ちしていないと謳われるレジェンドなだけはある。
本当は初対面の人間相手にいきなりタメ口で接するというのは結構抵抗があるし素直に礼を言いたいのだが、スノウの手前、キャラは崩せないので仕方ない。スノウに抵抗はないのか? アレは別枠の眼鏡だ。まずはこっちを人間扱いして欲しい。
「……うむ、よくやった。手元のカードが尽きていたので正直助かったぞ。転移直後とは言え、我にとっては極めて珍しい事だ。千載一遇の機を逃したゴブリンの奴めは、運が良くもあり悪くもあったな」
この世界に来たばかりで少しばかり弱体化してるだけですよアピールを欠かさないマメな俺。
「それでどうだ。ラングの怪我は」
一通り身体を見て回ったスノウが応える。
「見た目より頑丈でほんの少しのかすり傷しかない。骨や内臓にダメージもないようだし、気絶しているだけだと思う」
「そうか。まあ、弾き飛ばされたような当たり方だったしな。いや、本当に良かった」
そう言って、ラングを胸に掻き抱く。スノウの言うとおり、しっかりと、それでいて穏やかな呼吸を感じ取り、安堵の息をついた。……しまったな。これは底の知れない強キャラ的にはあんまり良くないか? 我ながら慈愛に満ちすぎな態度だったような気がする。
少し焦るが、スノウはさっさと帰るぞと言わんばかりに既に歩き出していた。こっちを見てすらいねえ。
「ゴブリンの仲間が来ると鬱陶しい……いえ、ほぼ間違いなく寄って来るだろうから撤収する。石についての詳しい話は家で聞かせて貰う」
かなりの早歩きだ。ゴブリンがヤバいのか早く話を聞きたいのか──は言わずとも分かる。うん、まあ君は後者な三つ編み眼鏡だよね。短い付き合いなのにこの通じ合ってる感。フフッ……これからも舐められないように気が抜けないぜ!