リセマラ
今、流行りの異世界転生。どうやら、ついに俺も異世界に転生してしまったらしい。
横断歩道を歩いてたらトラックが突っ込んできて、というところまでは覚えている。ヘッドライトの光が異様に強くて……そう、あれはコンビニに買い出しに出かけた夜だった。闇に際立つ白光に晒されて俺の意識は途切れた。
そして、気付けば目の前にはローブを纏った女の子だ。顔立ちは間違いなくエルフ。サイドに結わえている二房の銀髪の三つ編みから覗く尖った耳が、それを確証づけるように主張している。身長は小柄だが、翠色の瞳は俺を凜々しく見つめている。そこに掛かる眼鏡の組み合わせは、どことなく眼鏡っ子委員長を思わせた。第一印象から抱くイメージ的には、ちんちくりんだけど何事にも一生懸命に頑張る系。
さらに魔女っ子帽子で固めたその出で立ちは如何にも魔法使いといった風情で、もちろんと言わんばかりに杖らしき物も持っている。いっそ、あざといぐらいだ。
チラリと周りを見回せば、如何にも中世な雰囲気の石造りの室内ときた。ぱっと見た感じ、何かの祭壇だろうか。うん、間違いなく異世界だ。
となれば、まず確認したいのは自分の身体なのだが、さしあたって手足を確認する限りは何も変わりは無いようだ。格好も、着ていたジャージそのままだ。ということは、転生系ではなく転移系だろうか。鼻も特に低くも高くもなっている感じはしない。社会人三年目といった感じのフレッシュな若者の顔がそこにはあるはずだ。
次に気になるのは言語だが、果たして通じるかどうか。いや、この手のは自動翻訳が働くのがセオリーだから大丈夫のはずだとは思うが、結構不安でドキドキする。それと、第一声をどうするかというのも重要だ。
状況が全く見えない今、目の前の委員長はどういう立ち位置で俺の前に立っているのかとか何も分からないので、どう対応するかはもう少し状況を見てからにしたい。幸い、向こうも沈黙を保っているし、もう少しこのまま考えながら態度を保留しつつ──
「……チッ、ハズレ」
などと思っていたらハッキリと日本語で、いや、自動翻訳が働いているのかも知れないが、吐き捨てるような言葉が委員長から聞こえてきた。
このヤロウ、ハズレとはどういう了見だ。頼むから内訳はツンとデレでお願いしたい。俺の精神の繊細さを舐めてはいけない。
……ん? いや待て。ハズレって何だ?
「ここまで魔力ゼロはちょっと……。ゴブリンのような外観だからちょっとは期待したのに。……それにしても変な格好。戦闘要員が欲しいのに、この細い手足で魔法の素養がないとか、使えないにも程がある」
そして、ジト目で怒濤の俺ディスである。そのまま興味を失ったように椅子に座って瞑目してしまった。ゴブリン顔ってどういうことだコラ。自慢じゃないが、俺は昔からあの子は極めて平均的な顔ねって言われてきたんだぞ。まあ、そんなお人形さんみたいな顔で言われたら、ぐうの音も出ないんだけどな。
ちんちくりんだけど何事にも一生懸命に頑張る系なんて言ったのは誰だ。そんなイメージは吹き飛んだわ。如何にも顔の美醜には無頓着なクール系美少女といった雰囲気の女の子から、顔でダメ出しされると心の底から悔しい。
後、魔力が感じられないってそんなはずはない。異世界人として呼ばれたのであれば神様的な何もかも超越しているような存在からチート能力を貰っているはず……だ!
そう思って、手に魔力的な何かが集まるように力を込めてみたが、何も起きない。それはもう見事に何も起きない。うんうん唸って、必死に炎だの氷だの回復だの脳内イメージを色々と巡らせてみるが、何も起きない。
そんな馬鹿な、とすぐそばにあった台に拳を振り下ろすと、意外すぎるほど強烈な痛みが返ってきた。良く見たらこれも石造りだ。軽く拳をぶつけた程度では音も立たないぐらいどっしりと鎮座している。え、この程度の当たりでこんなに? というぐらい地味に効いて非常に痛い。超が三つ付くぐらい痛い。
感情的についやってしまったとはいえ、まさか石作りとは思わなかった、という後悔と、肉体も普通に弱いという事実に打ちのめされる。もちろん台にヒビなんか入っていない。こっちの手にヒビが入りそうだ。少なくともメンタルにはヒビが入った。
ついに来た。来てしまったのだろうか。俺の時代が。などと一瞬でも思った俺が馬鹿だったのか。
そう、俺は異世界転生を夢見ていたのだ。
何せ、物心つく頃には俺の心は異世界へ移住していたのだから。絵本から始まったそれは、小説、漫画を経てコンシューマゲームのRPGへ。パソコンの洋ゲーにハマった辺りで浮気したMMOにどっぷり浸かり、嗜みとして始めたスマホにもしっかり絡め取られた。今では立派なソシャゲーマーだ。愛着の湧いたキャラがストーリーで活躍していると我がことのように嬉しくなる。もちろんプレイヤーのアバターである主人公に自己投影しまくりなプレイスタイルだ。
費やした金額は今に至るまでいくら使ったか知れない。特にソシャゲはいくら金があっても足りず、社会人になっても稼ぎの大部分を注ぎ込むような重課金ぶりだ。宵越しの金は持たぬ現代の江戸っ子である。
元の世界に帰りたい? 冗談言うな。前のめりに適応してやるぜなタイプ、それが俺だ。こけの一念が岩をも通したのかと歓喜すらしていた。
……いたのだが、今ちょっとだけ元の世界に帰りたくなっている。無能力って。それはないだろう……。散財の末路がこれかよ。いや、いくらつぎ込んでいようが単なる気分の問題でしかないのは分かっている。それでも愚痴りたいのは、これもまた気分の問題だ。
はあ……まあ、そもそもトラックで事故死したのであれば元の世界に未練など持ったところで仕方ないか。と言ってもあんまり未練はないんだがな。もちろん死にたいわけではないが。非常に遺憾ではあるが無能力でも生きてはいけるだろう。取りあえずは、このツンデレ委員長の下手に出て下働きという名の保護を求める辺りから始めるべきだろうか。
などと考えつつも、未練がましく他に何かないか考えてみる。ああ、そうだ。あれがあった。
ステータスウインドウ。
そう心の中で呟いてみたら、何かが開くような効果音と共に頭の中で何やらウインドウが展開された。カード状のウインドウで、キャラ画像が入りそうな箇所や、各種ステータス、フレーバーテキストが入りそうな箇所などが見て取れる。いずれも表示は空だが、ここに何かしら数字や文字が入ったりするのだろう。
うおおお。何コレ、何コレ! 超凄いんですけど。何だよ、ちくしょう。やっぱり散財最高じゃん、課金最高じゃん、俺は間違ってなかった、完全勝利!
と、興奮状態になりながら色々と試行錯誤してみたが、十秒も経たないうちに不安を感じ始め、試行錯誤を続ける程にテンション急降下。展開させようとしてみたり、ツンデレ委員長を対象にしてみたり、さっき俺の心にヒビを入れてくれた台などの無機物を対象にしてみたりしても、全く何の反応もないからだ。判読不能の文字らしき模様で構成されたデフォルト画面? のような表示からウンともスンとも一切動かない。
うおおお。何コレ、何コレ…。超萎えるんですけど。何だよ、ちくしょう。やっぱり散財駄目じゃん、課金最悪じゃん、それでも俺は後悔していないけどね!
「……そろそろ魔力も回復してきた頃合。はあ……面倒だけれど、お帰り願う。触媒が勿体ないし。……壊れないでね、私の触媒」
心の中でのたうち回っていたところで、ツンデレ委員長が目と口を開いた。脳内が絶賛ヤバイことになっている俺はと言えば、顔は鉄面皮を保っているのでセーフ。まだ態度は保留だ。
で、だ。今、気になるワードが出てきたが、帰ってもらうというのはどういうことだろうか。行き帰りが出来るという意味だろうか。そう考えた場合は……そうか、自覚はなかったが、冷静でいるつもりなだけで実は相当にテンパっていたらしい。
状況からすぐに気付くべきだったが、どうやら俺はこのツンデレ委員長に召喚されていたようだ。いや、本当に何故すぐに思い至らなかったのやら。何もかも棚上げして、経緯も分からずいきなり「ヤッター! 異世界だー!」とテンションぶち上げていたとか俺が頭のおかしい人みたいじゃん。比較的早めに気付けて良かった。ギリギリセーフだった。
人間の召喚を当然の事として扱っている彼女の言動と合わせて考えると、これはあれだ。世界中で起きている神隠しは召喚でしたというやつだな。
なるほど、確かに流行っていると言えるのかも知れないな。異世界転生。いや、召喚だけど。そしてこのツンデレ委員長は還す方の召還を俺にやるつもりであると。
うん、色んな意味で不味い。まず状況を整理すると、転生ではなく召喚だとした場合、俺は死んではいないということだ。むしろ、記憶や感覚から疑っていた、トラックと衝突したような気が全くしないという違和感も腑に落ちたぐらいだ。
つまり、衝突する直前に喚び出されたということになる。偶然か必然か、つまり死の危機といったような状況が必要な条件だったのかは分からないが、少なくとも現状はそういうことだ。
ここで出てくる懸念は一つ。時間の概念がどうなっているかだ。あの瞬間に戻されるのであればイコールで死だろう。正直、分かっていてもあのトラックを避けられるような自信は全くない。このまま還されてしまうと、死ぬリスクは二つに一つということになる。情報がないまま行う賭けとしては分が悪すぎるだろう。
それに何より、この世界から離れるつもりはない。元の世界に帰りたくない、ではない。状況を理解するにつれて、俺はもはやこの世界に骨を埋めたいという思いに達しているのだ。伊達で生活の全てをサブカルに捧げてきてなどいない。あらゆるメディアを漁りながら、引退する詐欺でMMOを引き摺りつつソシャゲするために仕事を頑張っていたわけで。つーか、異世界ファンタジーとか超愛しているのに還されるとか意味分かんない。
「あまり醒めないうちに……」
取りあえず何でも良いので声を掛けるべきだと決心しかけたところで、いつの間にかツンデレ委員長がぽつりと呟きながら椅子から立ち上がっていた。追従するように、杖が彼女の胸先にフワフワと浮いている。ツンデレ委員長がパンッと両手を合わせると、連動して俺の足下が光り出す。
今まで気付かなかったが、そこに魔方陣が描かれてあったらしく、俺を真下から照らすように発光していた。召喚の儀式だこれ。いや、恐らく還す方だから召還。分かりやすく言えば送還と言ったところか。
すげえファンタジーじゃん……やべえ、興奮し過ぎて鼻血出そう。脳が沸騰したせいか、すげえとやべえしか頭に浮かばない。すげえ……やべえ……。
ツンデレ委員長の周りを魔力の奔流らしき光が踊り、その勢いは徐々に強まり出す。ただでさえ美人さんなツンデレ委員長の神々しさが半端ない。エルフというか、もはや女神の域だ。
それを見て俺、さらに大興奮。いや、還されたくはないんだが、心に嘘は付けないものだ。仕方がない。
俺もアレ真似してみよう。状況なんてそっちのけで興味の赴くまま本能に従うまま、何も考えずに脳内で”召喚”と言葉にしてみた。
『ゲットセット、レディ、ゴー!!』
何がゴーなのか。突然鳴り響くコールにビクッと肩が反応し、ビビりまくる。幸い、ツンデレ委員長は瞑目して深く集中を続けているようだ。あれほどの大音量にも関わらず何の反応も示さないとは……もしかして俺にしか聞こえていないのだろうか。
そして、鳴り響く楽しげなBGM。聞いていて心地の良い効果音。慣れ親しんだそれが響き渡った。
これは……ドラゴン&モンスターだ! 俺が絶賛ハマり中のカードゲームで、略称はドラモン。常にアプリのトップセールスにランキング入りしているような人気作だ。
この手のゲームにしてはバランスが良いというのと、主役はモンスターという世界観、そしてリアル調のイラストがその筋の人たちに大好評という一品だ。ちなみに、俺は異世界ファンタジーものならメディアを問わず大抵は何でもいける。
そして、ツンデレ委員長と俺の中間辺りの地面に、発光している魔方陣が現れた。ツンデレ委員長が驚いて集中を止めたのと、脳内のBGMと効果音が凄いことになっているので十中八九、俺の仕業だろう。その証拠に、俺の足下の魔方陣の輝きは既に失せている。
光量を強める俺の魔方陣、期待を煽るように変調するBGM、加速していく効果音、ほとんど条件反射的に高まるテンション。人生で一番の高度に達したと断言出来るだろう。
光り輝く魔方陣からズズズズズッと湧き出てくるような何者かの影とか、もう完全にドラモンのそれだ。
そして、姿を現す”それ”。
ベビーレッドドラゴン。
一番最初に与えられるモンスター、ベビードラゴン四種の内の一体だ。ドラモンでは初回のガチャは必ずこれが四種の中から当たるようになっている。
そのベビードラゴンが確かな実在感を持って存在していた。生命の鼓動を強く感じるその”リアル”さは間違いなく生物としてのものだ。
ここに至って確信したが、俺の能力は召喚ではないだろうか。だとすると、そのプロセスにドラモンをここまで忠実に再現するかと笑えてきた。歓喜の笑いだ。
再現しているのは神だろうか? 俺の潜在意識だろうか? それとも世界というシステムだろうか?
つーか、やはり異世界にチート能力は必須だろ! シャアオラッ、どうだこの野郎! 今度こそ勝った!
「……召喚獣が……召喚獣を召喚した……!?」
おっと失礼な。ツンデレ委員長的には俺は獣という扱いらしい。そうすると、ツンデレ委員長からすれば俺と俺の召喚したベビードラゴンは、マトリョーシカみたいな状態なのだろうか。何だそれ、ちょっと面白い。
さて、そろそろ態度を決めないといけないだろう。もちろん俺は尊大な態度を取ることにした。何がもちろんなのかだって? はっ、卑屈な考えから一転、手のひら返しが激しすぎると苦言を呈したいなら好きなだけ罵るがいい。人は力を手にしたから変わるのではない。変わればこそ力を手にすることができるのだ。前後関係は知らぬ。
それに、これまでの言動を見る限り、何となくこのツンデレ委員長には下手に出ない方が良いような気がする。友好的、敵対的以前に、舐められたら生涯、人として見てくれなくなるような気配がビンビンするのだ。ほら、必要最低限の交友関係者以外は実験動物だ的なマッドでアレな人種のそれ。まず俺を全く人間扱いしていないあの眼がヤバイ。
ベビードラゴンがどれだけ強いのかとか、俺の召喚術はどの程度のものか。例えばまだ新たに喚び出せるものなのか、なんて微塵も分からない。確かなのは、このベビードラゴンを召喚したのは俺だという一回限りの事実だけ。
航路が定まらないのに船出しないといけない船乗りの心地だが……あの眼が本当にヤバイ。新大陸を求めて大海原を往く。もう前に進むしかねえという状況に、自分を追い込むしかないのだ。
なので、俺のとっておきの暗黒面、中二病をお見舞いすることにした。ギアはトップだ。
「我を喚び出したのは貴様か」
「まさか……召喚酔いを感じていない?」
戦慄の顔でゴクリと生唾を下す音が聞こえた。ほとんど無視されてしまったが、その態度を見るに、俺の言葉が通じていないような感じはしない。召喚酔い……何となく予想のつく言葉だが、そんな感じのものがあるのだろうか。この世界に来てからこれまで、これと言って何の不調も感じないのだが。
とりあえず平気な様子で軽い疑問顔を浮かべてやると、ツンデレ委員長のこめかみから汗が一筋流れた。ついでに、俺のこめかみからも汗が一筋流れた。
よく考えると、初手で召喚獣を俺が召喚してから、「我を呼び出したのは貴様か」などと問いかけるのは、行動と言動の整合性が取れていないので不自然すぎるのではないかと気付いてしまったからだ。うん、今まで一言も発さずにこの流れはどう考えても意味不明だ。何か定番っぽい台詞を深く考えずにノリで発してしまった。言葉を足してリカバリーしなくては。
「些か貴様の言動が不快だったので……そう、我を獣扱いする不遜が不快だったので……手本を喚びだしてみた。我ではなく、こういうのが欲しかったのか?」
考えがまとまらないうちに、喋りながら考えるという荒業だったが、意外に悪くないのではないだろうか。と思ったが、ツンデレ委員長が俺を召喚獣呼ばわりしたタイミングと、俺がベビードラゴンを召喚したタイミングの辻褄が合っていない。俺の馬鹿! 格好悪すぎて顔から火を噴きそうだよぉ。助けて僕のベビードラゴン。
そこで視線をベビードラゴンに向けたが、彼はお座りで待機状態だった。え、何アレ可愛くね?
「……読んだ……?」
そう言うと、一歩後退して、ブルリと身を震わせた。おっと、何か俺に都合の良い誤解をしていらっしゃるご様子。読心とでも思われたのだろうか。だが、読心と思わせるのは諸刃の剣だ。コミュニケーションを拒絶される可能性が非常に高い。
これからどのような関係を構築するかは手探りの真っ最中だが、拒絶はまずい。どうであれ情報は必要だ。さしあたっては生活していく上での足がかりぐらいは欲しい。
もちろん元の世界に還されるのは断固拒否。最悪でもここから逃げ出す所存だが、いきなり放り出されたら食料の調達を覚える前に、普通に餓死してしまいそうだ。
「ふん、態度がそう言っていたのだ。貴様のその目。まるで実験動物を見るような目であったぞ」
俺から見た人物評そのままだ。だからこれは演技じゃない。
混じりっけ無しの素の言葉だったからか、警戒心が僅かに緩んだように感じる。いや、違うな。チラチラとベビードラゴンに視線をやっている。アレは明らかに興味を惹かれている顔だ。顔に似合わず、この状況で逞しすぎる。
……ほらな、マッドだろこのエルフ。