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勝手に押さないで

作者: 雉白書屋

「あっ」


「……やっ、ちょっともおおおおおぉぉぉぉぉいたぁぁぁぁぁぁーい!

やだもおおぉぉぉぉ! あーん! ほんといたい! やだやだぁもぉぉー!」


 嫌い、私はこの人が。


『嫌い』その言葉が身を乗り出すように

真っ先に頭に浮かぶほど、芽衣は目の前の女、万里子を嫌っていた。

何かと仕草が大げさな会社の先輩。

書類を渡す際、静電気がピリッとなっただけで大げさに床に倒れ込み

オフィス中の注目を集めていた。

 皆、やれやれといった表情。しかし、呆れと嫌悪感はそれほどない。

三十代半ばであっても、それがどこか許される雰囲気

言わばそういうキャラであった。それに仕事はできるほうだ。

いや、だから許されているのだろう。頼れる先輩、仲間。

その社内評価には芽衣も同意せざるを得なかったが

三十代に突入した芽衣も自分もいずれこうなるのだろうか、と想像すると気が滅入った。




「あっ、いたっ」


 仕事を終え、夜。自宅マンションのエレベーターに乗った芽衣は

ボタンを押そうとした瞬間に静電気に襲われた。

 それがきっかけで万里子の顔と声が頭の中に蘇り、顔を歪めた。

 ため息を一つ。それで家まで持ち帰らないようにしよう。そう思った時だった。


「あれ?」


 そう呟く芽衣。押した記憶がないのに自分の部屋の階のボタンが点灯している。

 ドアが閉まりエレベーターが上昇し始めた。

 手をすぐにひっこめたつもりだったけど押せてた? 

それとも無意識に押し直したっけ……。

 そう考えると芽衣はますます気落ちした。

これが三十代。これが脳の衰え、記憶の欠落か、と。

 

 しかし、日が経ち、それが二度目となると恐怖が込み上げてきた。

それも今回ははっきりと、自分の指がボタンに触れる前に

カチッと音を立てたのだから尚更だった。

 ただ、その場所は芽衣のマンションではなかったのだが。


「あのー大丈夫ですか? どうも顔色が悪いようですが……。

さっき、エレベーターに乗った時ぐらいから」


「あ、いえ、平気です……えっと、わぁー! いいお部屋ですね!」


「そうでしょう。モデルルームでは景色まではわかりませんからね」


 芽衣は数ヶ月前から新築マンションの購入を考えていた。

無論、ローンを組むのだが今の貯金と給料。

仕事振りから考えても昇進はあってもクビはない。

家賃を払うのも馬鹿馬鹿しく感じていたので思い切ってという考えであった。


「近くには広い公園がありますからね。お子様を遊ばせるのには困りませんよ」


 と、不動産業者が言うと、芽衣は胸をチクっと刺されたような感覚がした。

相手も「あ」と思ったらしく「ま、まあ、いいお天気のお散歩には最適です」

と取り繕うように言った後、ちょっと電話をしてきますとそそくさと部屋を出て芽衣を一人にした。


 やっぱり独身の女がマンション購入は色んな覚悟がいるなぁ……。


 囀る小鳥、遠くのほうから聞こえる子供の声が芽衣を更に落ち込ませた。

 しかし、部屋と景色自体はこれまで見てきた中で一番気に入った。

あとは最後の一押し。自分の気持ち次第。それだけだった。だが


「あらぁー? 芽衣ちゃーん!」


「あ、え、先輩……な、なんで」


「やだもー、マリちゃん先輩って呼んでぇよぉ」


 嫌い。今度はその言葉も浮かばず芽衣の頭は真っ白になった。

 そして、ようやく浮かんだ言葉はそのまま口を突いた。


「どうして、ここに?」


「えー? 決まってるじゃなぁい! マンションを買うのよマンション!

って嘘! まさか芽衣ちゃんもぉ!? 全然知らなかったわぁ!

え、ここにするの? うん、気に入ってる? 

じゃあなになに? 私たちご近所さんじゃなーい! 嬉しい!

最強コンビ、ここでも大躍進ね! 

いやぁ、助かるわぁ。だってほら、私の方が年上じゃない?

三つだっけ、四つ? うふふ、まあ私の方が若く見られたりなんてね!

でも、さすがにほら、体は衰えるじゃない? 

そうなったときは芽衣ちゃんに頼っちゃおう!

買い物とかさ、二人並んで歩いてさ! 

まあ、芽衣ちゃん結婚とかはふふふふ、しないわよね? 

うんうん、今の時代、別にねぇ。

でもでも、それでもやっぱり親とか世間の目があるじゃない?

二人で立ち向かっていきましょうよ、うん、そうしましょ!

あ、なんならレズカップルってことにしちゃう?

そうすれば少なくとも親はとやかく言わなくなるでしょう?

あ、私、別に挨拶しに行ってもいいわよぉ?

だいじょーぶ! 説得は得意だし、あ! え、嘘、待って!

じゃあ、二人で一つの部屋買っちゃえば良くない!?

そうすれば安く済むしさーぁ、うん、完璧すぎる!

でね、私もう一つ上の階にしようと思ってたんだけど

まあ、こっちが気に入ってるんだったら

あ、景色もうん、わるくないわねー! あ、そういえばこの前ね――」


 と、捲し立てるように喋る万里子に背を向け

よろよろとした足取りで芽衣は部屋を出た。

頭に手をやるその姿はどうみても病人。そしてそれらしく、頭痛がしてきた。

 懸命に手を伸ばし、エレベーターを呼ぼうとする。この悪夢の城から逃れるために。


「うわっ」


 と、芽衣は手をひっこめた。またもボタンが勝手に押されたのである。

 そのまま見つめているとさらにカチカチカチと続けて押された。

何かのメッセージ……いや、でも多分、モールス信号というわけではない。

子供のような印象を受けた。悪戯し、楽しんでいる……幽霊。そしてそれは続く。

カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ、と。


 なに? なんなの? どうして付き纏うの? 

いや、いや! やめて! 勝手に押さないで!


 芽衣は心の中でそう叫んだ。

声に出さなかったのは万里子に自分がいなくなったことを気づかせないため。

ふらつく足で急ぎ、階段に向かう。だが、無駄であった。


「ちょっと、芽衣ちゃーん! どうしたのよもぉー! どしたどしたー! あっはぁ!」


「嫌、あ、いや、あの、体調がちょっと……」


「あらそうなの? もう更年期障害? なんてね! 

ほら、私の肩に掴まっていいわよ、あ! 痛い! ねえちょっと、今なんで押したの!?」


「ちが、違います。私じゃなくて」


「はぁー? 何言っちゃってるのよ! 

今ここにはアタシとアンタしかいないでしょうが!

あーもーやだー! 膝を打ったわ、ひどーい!

いたあああああいもおおおおいいいいたあああい! 

もおおおぉぉぉ、ねえ、何よその顔。私のこと馬鹿だと思ってる? 

その顔、ちょくちょくするわよね? 気づいてるんだからね。

そもそも何よ、見下ろしてさ、普通しゃがまない? 

先輩を突き飛ばしたんだからさ。一大事よ。

ああ、いいのもう。ほら立たせて、よいしょっと、ふぅ。

いい? マリちゃん説教モードよ。

あのね、私だってこんなこと言いたくないの。

でもねアナタは私の後輩で部下じゃない? 

だから言わなくちゃならないの。まず、その我慢してますって顔やめなさい。

あー、別に怒っているわけじゃないのよ? でも怒ってるの。

場所が場所だからね。だって危ないじゃない。階段でふざけて押したりしたら。

まあ、私が芽衣ちゃんと違って愛されキャラだから

そう私の優しさに甘えたくなっちゃうときもあるだろうけどね。

でも場所は弁えないとね? そういうのはみんなの前だから笑いになるの。

わかる? 今は何人? ん? 二人よね? 

だからそういう時はね、ホントはもっと私に気を使うものなのよ。

これからはそうしてよね。先は長いんだから。

一緒に住むとなるとほら、そういうお互いを敬うみたいなの

大事っていうじゃない? ま、だからといってそんなに縮こまることないわよ。

私、心広いの。どーんと来ていいのよどーん! とね!

契約の手続きだってほら、私がやってあげるわよ!

名義は私でいいわよね? 芽衣ちゃんの判子とかも必要かしらねぇ。

まあ、調べとくから今度必要な時に貸してくれればいいわ。

私が押しといてあげるからね。

うんうん、ワクワクするわねぇ、新生活! あははははははは!

あ、そう言えばさっき『私じゃなくて』って言ったわよね?

駄目よあれは。考え足らずで咄嗟に口から出ちゃったんだろうけど

言い訳は駄目。マリちゃんポイントマイナスね。

でもご安心を。名誉挽回のマリちゃんクゥーイズ!

はい、この後二人で食べに行きたいものは何でしょう!

ヒントはねー、会社でマリちゃんが最近食べたいなぁって言っていたアレ!

ってほぼ答えじゃない! ふふ、まさかわからないことないわよね?

芽衣ちゃんの前でも確か五回くらい言ったことあったし――

きゃっ! 今、また押し、あれ? でも手はそこに、なにかしらね。

やだもぉぉぉマリちゃんこわーい! 危うく、あ、あああああああああぁぁぁぁぁぁ!」



「……そうそう、勝手に押さないでね。私が押すんだから」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] マリちゃんとレズカップルと思われる位なら、ホームレス捕まえてきて『この人と結婚しますv 』 とかの方が親も安心すると思う [一言] ふた昔前の【自称良家の奥サマ】を思い出しました いっ…
[一言] 最後、ちょっと、震えました‼ ボタンからの流れが最高です!
[一言] 精神汚染攻撃というのはこういうのか。 心神耗弱による殺人とはこの状況かと納得した。
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