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8.内緒の関係を知ってしまった

 今、向かいの男性は「天人の里の方々」と言った。つまりこの人は、山脈の向こうにある私たちの里の存在を知っているということで。


 どうしてそんなことになっているのかがまったく分からなくて、ぽかんとしてしまう。それが面白かったのか、シオンお父様がくすくすと笑った。


「君のその顔が見たかったんだ。うん、いい驚きっぷりだね」


「シオンは相変わらず、おかしなことを思いつきますね。『娘をびっくりさせたいから、一芝居打ってくれ』という手紙をもらった時は、少々あきれましたよ」


 向かいの男性が気取ったしぐさで肩をすくめる。その声も目つきも、とても親しげなものだった。


「私と君は旧知の仲で、君は天人の存在を知っている。そのことを隠しておいたら、きっとユリが驚いてくれると思ったんだ。期待通りで嬉しいね」


「まったく、あなたという人は昔から変わりませんね。もっとも、その提案に乗ってしまった私も同罪ですが」


 そうしてお父様と男性は、顔を見合わせてにやりと笑う。旧知の仲というか、長年の友人のような雰囲気だ。しかもお父様は、私が娘であると彼に明かしているらしい。


 彼、というかその隣で上品に微笑んでいる娘らしき女性もだけれど、二人はいったいどこまで知っているのだろう。


 こっそりと首をかしげながら、お父様と男性の会話を黙って見守る。


「ああ、そうでした。いつも薬をありがとうございます、シオン。おかげでとても助かっています」


「あれくらい、大した手間ではないよ。奥さんの調子はどうかな?」


「おかげで、かなり良くなってはいます。ただあいにくと、今日は伏せっていて……。昨日、少しばかり外の風に当たりすぎてしまったのですよ。本人が気持ちよさそうにしていたので、つい止めそこねてしまって」


「そうか。後でこちらから挨拶に向かうよ。その時に、追加で薬を作ろう」


「あなたには借りばかり作っていますね。ふがいないこの身が、情けないですよ」


「いや、そのようなことはないさ。君はこのウラノスの家をつつがなく治めてくれている、それだけでも、私たちにとってはとてもありがたいことだからね」


「そう言ってもらえると、救われますよ」


「まあ、お互い様ということだね。ともあれ、しばらくの間は世話になる」


 楽しげに話しこんでいるお父様に、そろそろと声をかける。


 なんとなく事情が分かるような分からないようなこの状況で、ずっと放っておかれても。だいたい、まだ私は名乗ってすらいない。


「あの、お兄様……そろそろ自己紹介をしたいのですが」


「ここでは『お父様』とお呼びになっても大丈夫ですよ、ユリ様」


 私に答えたのは、向かいの女性だった。いきなり名前を呼ばれてまたぽかんとしていると、彼女もまた、男性と同じようにいたずらっぽく笑った。


「シオン様からの手紙で、だいたいの事情は存じておりますわ。わたくしはステファニー・ウラノス。こちらが父、ダミアン・ウラノス。父はウラノス男爵家の当主で、わたくしはいずれ父の跡を継ぐ身ですわ。どうぞ、よろしくお願いいたします」


「あ、はい、ユリと申します……」


 向かいに座るステファニーは、とても優雅で礼儀正しく、おっとりとしている。


 なるほどこれが本物の貴族の令嬢なのだと、ちょっといたたまれない気持ちになる。きっと彼女は私みたいに野を駆け回ったり木に登ったりはしないのだろうなと、そんなことを思った。


「おおっと、失礼いたしました。シオンとの再会を喜んでいたせいで、無礼な真似をしてしまいましたね、ユリさん。私はダミアンです。天人の里とはまるで違う世界を、慣れない身分で旅するのは疲れたでしょう。どうぞゆっくりくつろいでくださいね」


 どうもダミアンさんとステファニーは、だいたいの事情どころかほとんどの事情を知っているようだった。


 どう答えていいのか分からずにさらにぽかんとしていると、ステファニーがおかしそうに笑った。


「ふふ、驚かれました? 我がウラノス家は、かつて人間の世界に移り住んだ天人を祖とする家なのです。当主とその伴侶、そして跡継ぎにのみ、天人の存在が口頭で伝えられるんですよ」


「天人を、祖とする……」


 天人の里を離れ、人間の世界で暮らす天人は、じきに力を失い普通の人間と変わらなくなってしまう。


 だからその子孫はもう、まるきり人間でしかない。それでも時折、人間として生きることを選ぶ天人がいるのは知っていた。けれどまさか、その子孫に会えるなんて。


「私たち代々の当主は、ひそかに天人のみなさまの手助けをしているのです。成人の儀でこちら側に来た若い天人の方々が困難な事態に直面した時は、ここに来てもらう手はずになっていましてね」


 ダミアンさんがにっこりと笑った。しかし、私はその手はずとやらを全く知らない。またしても首をかしげていると、お父様が私の首元を指さした。


「成人の儀に出る時に渡されたお守り、それを開けてごらん」


「でも、あれは困った時に開けるようにと……」


「いいから、いいから」


 お父様に押し切られるようにして、首にかけていたお守りを引っ張り出し、中身を改める。


 そこには『ウラノス家に連絡を取ること』という指示が書かれていた。同封された別の紙に用件を書いて鳥の形に折り、術を使って飛ばすことでウラノス家と連絡が取れるのだという説明も。


 私がその中身をまじまじと見ていると、ダミアンさんが懐かしそうな笑みを浮かべた。


「十七年前、シオンはその紙を使ったのですよ。面倒な連中に追われているから、少しかくまって欲しいと書いて。そうして私が、彼を迎えにいきました。天人という存在に、昔から興味があったもので」


 やはり懐かしそうに笑いながら、お父様が言葉を添えた。


「当時、私は旅の剣士として人間の世界をふらふらしていた。時折、護衛などの仕事をこなしながらね」


 お父様はほっそりとしているけれど、見かけによらず体術は得意だ。それに術も使えるし、そんじょそこらの人間ではたちうちできないだろう。


「そうしているうちに、少々がらの悪い連中に目をつけられてしまってね。面倒だったから、全部叩きのめしてやったんだ。術は使わずに、ね。見かけ倒しの連中で助かったよ」


「しかしそれが良くなかったのですよね、シオン」


「実はそうだったんだ。なにせそのせいで、彼らの元締めたちまでが私を付け狙うようになってしまってね。きりがないから、お守りを開けてみたんだ」


 お父様が成人の儀のために旅していた時のことは、ほとんど知らない。恥ずかしいから内緒だよ、などと言ってはぐらかされていたのだ。


 しかしまさか、そんなことをしていたなんて。今でこそおっとりしているお父様だけれど、若い頃は案外血の気が多かったのかも。


「そうしてシオンは、しばらくこの屋敷に滞在していました。年が近いからか、私たちはすぐ意気投合したのです。こっそりとお忍びで、二人であちこち飲みに出かけていたものですよ」


「あれは本当に楽しかったね。君はたいそう女性に人気があったから、どこに行ってもすぐに人だらけになって。お忍びどころではなかったよ」


「私は当時、既にヴィオラという妻がいましたし、もてても困るだけだったのですけれどね。だいたいそれを言うならあなたも相当のものでしたよ、シオン。間違いなく私よりもずっともてていましたから」


 若い頃のお父様は、やはりもてていた。それを聞いたとたん、つい口を挟んでしまった。


「……あの、ダミアンさん。その辺りのお話、もっと詳しく聞かせてもらえませんか?」


 里でのお父様はいつも私にべったりで、そのせいかお父様に直接言い寄ってくる女性は少ないのだ。


 ごくまれに勇気を出して告白してくる女性もいるらしいけれど、彼女たちは全て玉砕してしまっている。お父様の浮いた話なんて、一度も聞いたことがない。


 私が身を乗り出すと、ダミアンさんとステファニーは楽しそうに目をきらめかせ、お父様は困ったように額に手を当てた。


「できれば、隠しておきたい過去なのだけれどね……私の成人の儀でのことは」


「シオン、大切な娘さんのたっての願いでしょう。かなえてあげたいとは思わないのですか?」


「シオン様、わたくしもそのお話、気になりますわ。そうだ、おとうさま。ちょうどお茶の時間ですし、お茶を飲みながらじっくりと、というのはどうでしょう?」


「名案ですね、ステファニー。そうと決まれば、さっそく準備をさせましょう」


「いえ、待っているのももどかしいですわ。おとうさま、厨房に参りましょう」


「そうですね、ステファニー」


 そうしてダミアンさんとステファニーは、大張り切りで部屋を出ていった。


「……うん、まあ、ダミアンの元気な顔を久々に見られてよかったよ。最後に会った時はまだヴィオラのお腹の中にいたステファニーも、すっかり一人前の令嬢に育ったようだし」


 お父様はうんうんとうなずいている。けれどその横顔は、ほんの少し引きつっていた。


 めったに見せることのない、余裕のない顔だ。そんなものを見られたということが、なんだかとてもおかしかった。




 その日の夜、私とお父様はウラノスの屋敷の客間にいた。並んで夜空を眺めながら、隣のお父様に話しかける。


「……ウラノス家があるから、ダミアンさんたちが支えてくれるから、私たちは人間の世界を安心して旅することができる。私が知らなかっただけで、素敵な縁があったんですね」


「ああ、そうだね。だからこれからも、縁をつないでいきたいね」


「もしかして、昼間にダミアンさんが薬をありがとうと言っていたのも、そのためですか?」


「そうでもあるし、友人に力を貸したいという思いからでもあるね。ダミアンの妻にしてステファニーの母ヴィオラは、元々病弱な人でね。一年の半分くらいは、寝台で過ごしている」


 ひどくほっそりとしたステファニーの姿を思い出す。あれは、母親に似たのだろうか。もっともステファニーは、元気そのものだったけれど。


「だから里に戻った後も、滋養強壮にいい薬を彼のところに届けているんだ。鳥の式神を使えば、造作もないことだからね」


「その薬って、もしかしてお父様が月に一回作っている、あれですか?」


「そう、それだね。なんだ、作るところを見てたのか。だったら声をかけてくれればよかったのに」


「お父様がこっそり作っていたので、見てはいけないものかと思っていたんです」


「見てはいけない薬作りって、私がまるで悪いことをしているみたいじゃないか」


 そんなことを言い合って、それから顔を見合わせて笑う。


 今日は、たくさんのことを知ることができた。ウラノス家の存在、ダミアンさんとステファニー、それにお父様の過去の面白い話。


 人間の世界に来てから、一番面白い日だったかもしれない。


 毎日が、こんな日ならいいのにな。そう思いながら、夜空をもう一度見上げた。そこに輝く星たちは、天人の里で見ていたものとまったく同じだった。

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