7.親子水入らずでお喋りを
そうして私たちは、ウラノス家の屋敷を目指すことになった。シオンお父様によれば、目的地は馬車で十日ほどのところにあるらしい。
まっすぐに空を飛べれば意外と近いらしいのだけれど、馬車だと山を回り込んだり川をさかのぼって橋を渡ったり、とにかくかなりの回り道になるのだそうだ。
「わざわざ馬車を借りて御者を雇うなんて、面倒なのに……」
町を離れ、馬車は草原を走っている。気持ちの良い朝だったが、私の気分はどうにも晴れなかった。
「これもまた、経験のうちだよ」
「使用人を雇うのが、ですか? 里では、人手が必要な時は術で生み出した式神に手伝ってもらいますし、そもそも使用人なんていないのに」
天人の里では立場の上下はない。だから使用人なんて、里にはいない。
だから私には、誰かを雇うということ自体がよく分からなかった。
宿の従業員、サロンの店員、お茶会が開かれたアンテロースの執事。そういった人たちを見ていると、何か言葉にできない落ち着かなさを感じるのだ。
だからウラノスの屋敷まで、術で馬車と従者を生み出してそれで旅していけばいいと主張した。
しかしお父様は、首を縦に振らなかった。馬車の中でまたその話を蒸し返してみたけれど、駄目だった。
「目的地までは何日もかかる。こういう時、普通の貴族は同行させている従者に馬車を操らせるか、あるいは臨時で御者を雇うんだ。私たちが宿に泊まっている間、御者はどこにいるのだろうと怪しまれでもしたら面倒だろう?」
「大丈夫です。なんなら、ずっと式神を出したままにしておけば……」
「それだと疲れてしまうよ。やってやれないことはないけれど、最後の手段に取っておいたほうがいいんじゃないかな。とにかく、ここは人間たちの流儀に従っておこう」
きっぱりと言い切って、それからお父様は悩ましげにため息をついた。成人の儀の旅が始まってから、どうもお父様の色っぽさが少々増したような気がする。
さらりと垂れかかる黒髪をかき上げて、上目遣いに見つめてくる。
「ユリ。何度も言うようだけれど、どうも君は少しばかり肩に力が入りすぎてはいないかな」
「だって、一生に一度の、成人の儀なんですよ? 私はこの旅をつつがなく終えて、本当の天人になるんです。絶対に失敗できません。……でも、あんまりたくさんの人間と関わると、ぼろが出てしまいそうで……」
なんだかんだと言い訳していたけれど、本当の理由はこんなものだった。私にとっては、何事もなく一年を過ごすのが何よりも大切で、そのためにぴりぴりしているのも事実で。
つい本音をもらしてしまったことに気まずくなり、そっとうつむく。
目の端で、お父様がひどく穏やかに微笑んでいるのが見えた。小さな頃から見慣れているはずの私ですら、つい黙って見とれてしまうほどにあでやかな笑みだ。
「ああ、そうだね。でも一生に一度の旅だからこそ、広く色々なことを体験して欲しいんだ。この旅は一年もある。ずっとそうやって気を張っていたら、それこそ倒れてしまうかもしれないよ? 少しずつ人間のやりかたに慣れていって、合わせていくことを覚えたほうがいい」
「だったらもっと、自由で制約のない身分が欲しかったです……男爵令嬢って、我慢することばかりで……。やっぱり、旅芸人がよかった……私だって、歌や笛くらいならできますし……」
「確かに旅芸人なら、あちこちの町をめぐることができるね。ただ、君の思うような楽しい旅には、ならないかもしれないよ」
急に笑みを引っ込めたお父様に、そろそろと尋ねる。
「……どうして、でしょう?」
「自由には責任が伴う。町人たちともめても、自分で解決しなくてはならない。うっかり荷物を盗まれでもしたら、大変なことになるね?」
「それは、術とか、式神とかで……」
「そうして正体がばれたら、人々は君を放っておくかな? 君は美人だから、よからぬ輩に目を付けられるかもしれない。一年の間、人間たちに追い回されることになるかもしれないよ」
お父様の言葉に、反論できない。窮屈だけれどより安全な男爵令嬢か、自由だけれど危険を伴う旅芸人か。
他の天人、私より少し先に旅立った幼馴染たちは、危険なほうの身分を使っている。彼らはそれでもやっていけると、里のみんながそう判断したからだ。
でも、私は。少し悲しくなってうつむく。そんな私に、お父様がいつものように明るく笑いかけてきた。
「ほら、元気を出して、ユリ。君が望むなら、何度だって人間の世界をのぞきにくることができるのだから。ほら、私だって二回目だしね」
「……たぶん、私は人間の世界には二度と来ません。成人の儀を終えて一人前の天人になり、空を飛ぶ術を覚えた後も、ずっと天人の里から出ないと思います」
成人の儀を終えた天人には、空を飛ぶ術が授けられる。その術があれば、天人の里と人間の世界を分けている高い山脈を越えられる。いつでも好きな時に、人間の世界に行くことができるのだ。
でも、私はそうしたいとは思えなかった。見るもの聞くもの全てが珍しく、興味深くはあったけれど、私はあんまり人間の世界が好きになれなかったのだ。
こうしてこちらに出てきて、改めて里の良さを実感できたような気さえする。
そんな私の思いに気づいているのか、お父様はそれ以上何も言わなかった。その青紫の目は、里にいた頃と同じように優しく、静かにこちらを見つめていた。
それから連日、私たちは一切寄り道せずに旅を続けていた。
のんびりしていたら、また誰かに声をかけられて、どこかのお茶会や舞踏会なんかに招待されてしまうかもしれない。そう思ったら、あれこれ見て回る気にもならなかったのだ。
最低限の休憩だけを取りながら、ひたすらに馬車に揺られ続ける。昼食は御者に買ってきてもらったものを馬車の中で食べる。夕食は、宿の部屋まで運んでもらう。
そんな風に、できるだけ誰とも会わないように過ごしていた。
そうして今日も私たちは、馬車の中で外を眺めながらのんびりとお喋りに興じていた。
「こうやって景色を眺めているだけでも楽しいですけど、じっとしていると疲れますね。人前では特におとなしくしていないといけませんし」
「ふふ、ウラノス家でなら、君も落ち着いて休めると思うよ」
「お父様、そのウラノス家というのはいったいどんなところなんですか? その口ぶりだと、お父様はウラノス家のことをよく知っているみたいですけれど」
この質問をするのはもう何度目だろうか。ずっと気になっているのだけれど、お父様はそのたびにはぐらかしていた。
「今はまだ、内緒。君の驚く顔が見たいからね」
ほらやっぱり、と思いながら、澄ました顔で答える。
「つまり、私があっと驚くようなところなんですね? 今のうちから、練習しておきます。びっくりしても、無表情でいる練習を」
「つれないなあ。でもいいんだ、この勝負は間違いなく私の勝ちだからね」
「いつの間に勝負になったんですか、お父様ったら」
そうして二人、明るく笑い合う。思えば、お父様とこんな風にゆっくり語り合うのは久しぶりだ。
私が小さな頃は一緒に家事をしながら、こうやって一日中お喋りしていたものだ。
けれどお父様は長となり、細々とした里の仕事に駆り出されるようになった。私も大きくなって、成人の儀の準備に忙しくなった。
そんな訳で、かつてのようなのんびりした時間はめっきり減ってしまっていたのだ。
「……そういえば、長の仕事は大丈夫なんですか」
ふとそう尋ねると、お父様は人の悪そうな笑みを浮かべた。
「大丈夫。暇そうにしている人たちを適当にみつくろって、代理に任命してきたから」
「適当にみつくろってって……長がそんなことでいいんですか」
「いいんだよ。長なんてたいそうな名前がついているけれど、結局は里の雑用係でしかないからね。君だって、そのことは知っているだろう? のんびりと十年ほど務めたら、手頃な若手に押し付けるよ。そうやって代々、押しつけ合ってきたんだから。いずれ君のところにも順番が回ってくるかもしれないね」
そう言って、お父様は朗らかに笑う。こうして一緒に旅に出てから、お父様は以前にも増してよく笑うようになった。どうやら、この旅をとても楽しんでいるらしい。
私の旅に無理やりついてきて、というより旅の主導権をにぎっていることについては色々と思うところはあるけれど、それでもお父様がくつろいでいるところを見ていると、細かいことはどうでもいいかな、などと思えてしまう。
またいつものように丸め込まれてしまっているのかもな、などと思いながらも悪い気はしなかった。くすりと笑ったその時、お父様が窓の外に目をやる。
「ああ、見えてきたよユリ。あそこがウラノスの屋敷がある町だ」
お父様が指す先には、小ぶりながらも歴史を感じさせるたたずまいの屋敷が建つ丘と、その丘を取り巻くように広がっている町が見えていた。
馬車はそのまま、町の中に入っていく。旅の途中に見てきた町よりもこぢんまりとしているように思えるけれど、落ち着いた雰囲気の良い町だ。すれ違う人たちの表情も明るい。
「人間は、貴族や王族が平民を支配する……だから、統治者の能力や人格が、平民の生活を左右する……」
旅に出る前、里で学んだことを思い出した。つまりこの町の統治者であるウラノス男爵は優れた人物なのだと思う。
「そうだね。十六年ぶりに来たけれど、前より栄えている。先代の手腕は見事なものだったけれど、現当主も負けてはいないようだね。頑張っているようでなにより」
これから、私はウラノス男爵家の人たちに会うのだ。実はそのせいで、昨日からそわそわしていたのだけれど、ちょっぴり安心した。こんな町を治める人たちなら、きっといい人だ。そう思えたから。
馬車は屋敷の門をくぐり、建物の入り口の前で止まった。御者が馬車の扉を開け、私はお父様に手を引かれて降りる。
その時、屋敷の玄関の扉が開いた。そこに立っていたのは、しゃれた雰囲気の中年の男性と、折れてしまいそうなほどほっそりとした若い女性だ。
二人とも綺麗な栗色の髪と、きらきらとした青い目をしている。きっと親子だろう。
門のところにいた兵士が、二人のほうを見て深々とお辞儀をしている。ということは、この二人がウラノス家の人たちなのだろうか。
「遠路はるばる、ようこそ。お話は中にて」
男性が優雅に一礼して、そう言った。深みがあってつややかな、とてもいい声だ。
それから二人に案内されて、屋敷の中に足を踏み入れた。そのまま奥にある一室に通される。
私とお父様が長椅子に座り、向かいの長椅子には二人が座る。そうして使用人などもすべて下がらせてから、また男性が口を開いた。
「私たちはあなたがたを心から歓迎します。どうぞゆっくりしていってください、天人の里の方々」