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6.求む、告白の断り方

 お茶会の別室で、ハーヴェイと二人きり。私を見る彼の目は、やけに熱っぽかった。


 俺のことを、どう思う。彼はそう問いかけてきた。そういったことにあまり鋭くない私にも、すぐに分かった。どうやらこの言葉は、愛の告白一歩手前のものなのだと。


「どう、と言われましても……私はあなたのことを、ほとんど何も知りませんから」


 内心冷や汗をかきながら、当たり障りのないことを答える。正直、彼が妙なことを言い出す前に、この話を切り上げてしまいたかった。


 私は人間の生まれだ。でも自分のことを天人だと思っているし、この成人の儀を終えたらもう天人の里から出るつもりはない。人間たちと関わっていくのも、この一年の間のことだけだ。


 シオンお父様や里のみんなは、もし人間の世界で暮らしたくなったらそのまま残ってもいいのだよと、そう言ってくれた。


 でも私は、生まれ育った里を離れたくはない。だいたい私がいなくなったら、お父様が寂しがる。


 それに、そもそも私に思いを寄せるような物好きはいないに違いない。私が里で暮らした十六年間、一度だって浮いた話はなかったのだから。


 そう油断していたところにこれだ。ハーヴェイは悪い人には見えないけれど、かなりきざなところがあるし、少々押しが強すぎる。


 特別な関係になれそうかと言われると、ちょっと、いやかなり疑問が残る。


「ならば、俺のことを知ってもらいたい。そうして改めて、答えを聞きたい。……はっきり言おう。ユリさん、俺は君ともっと近づきたい。そしてかなうなら、さらに深い仲になりたい。俺は君に、……ひとめぼれしてしまったんだ」


 あーあ。ついに、とうとう、言ってしまった。


 頭を抱えたいのをこらえながら、礼儀正しくハーヴェイを見る。正確には、私が見ていたのは彼ではなく、その背後の壁だけれど。今彼を直視してしまったら、全力で断りの文句を言ってしまいそうだったから。


 ハーヴェイがかなり譲歩してくれているのは分かる。自分のことを知った上で、自分の思いにこたえて欲しいと言っているのだから。


 これをぴしゃりとはねつけてしまったら、さすがに罪悪感が残る。もっとも、思いにこたえる気もないから、断るのが早いか遅いかだけの違いしかないけれど。


 そう考えて必死に黙っていたら、ハーヴェイはうっとりとしながらとんでもないことを言い出した。


「ユリさん、君はとても美しい。春の陽光のような淡い金の髪、どんなルビーもかなわない真紅の瞳、繊細で愛らしい、子猫のような笑顔……」


「あの、恥ずかしいのでそれくらいにしていただけると……」


 どうして彼は、こんな歯が浮く言葉を堂々と言えるのだろう。くすぐったすぎて居心地が悪い。


「ああ、済まない。だが、全て掛け値なしの真実だ。これだけ美しい女性を前に、黙っていられようか」


「あの、それはともかく……私にあなたのことを知ってほしい、というのは、具体的にはどういった……」


 またこそばゆい語りを始めようとしたハーヴェイを必死に止めて、話を元の方向に引き戻す。


 もっと別の方向に持っていければいいのだけれど、私にそんな話術はない。お父様が女性をあしらう時のあの手腕が欲しいと、今ほど切実に思ったことはない。


「そのままの意味だ。俺と同じ時間を過ごして、それを通して俺を知ってもらいたい。ちょうど今、こうしているように」


「あの、ですが今私とお兄様は、物見遊山の旅をしている途中で……じきに、この地からも去ってしまいます」


「そうだったのか。できることならここに留まってもらいたいが、無理に引き留めるのもな……」


 おや、意外と紳士のようだ。よくよく考えてみれば、彼はずっと礼儀正しくはあった。ぐいぐいと迫ってくるのをかわそうと必死になっていたせいで、忘れていたけれど。


 どうかこのまま、あきらめてもらえないかなあ。そう思いながら、じっと次の言葉を待つ。


「……だが俺は、もう一度君に会いたい。もう一度君と踊りたい。君の美しい目を、近くで見つめたい」


 ハーヴェイは私の顔を間近でのぞき込んで、歌うようにつぶやいている。駄目だ、どうやらあきらめていない。


 まったくどうして、彼はここまで私のことを気に入ってしまったのか。この間サロンで会って、今日のお茶会で一度踊った、それだけなのに。


 こっそりとため息をついたその時、ハーヴェイがぱっと顔を輝かせた。


「……そうだ、いいことを思いついた。君は今年の大舞踏会には、参加するのか?」


 大舞踏会。その存在について、一応名前だけは習っていた。


 人間の貴族たちと話していれば一度くらいは話題に上がるだろうし、その時に知らないと言ったら目立ってしまうからね。お父様はそう言っていた。


 人間たちの世界は、いくつもの国に分かれているらしい。そして私たちの里に一番近いここの国では、年に一度大きな舞踏会が開かれるらしい。国中の貴族がそこに集まり、親交を深めるのだとか。


 でも、私はそんなものに参加するつもりはなかった。私は一年限りの令嬢だし、貴族と仲良くなるよりも、あちこちを旅して色々なものを見ていきたかったから。


 だから即座に首を横に振りかけたのだけれど、その時耳元で小さな声がした。


『ユリ、聞こえているかい』


 それはお父様の声だった。どうやら、術でこっそりと私に話しかけているらしい。


『参加する、と答えてもらえるかな』


 どうやらお父様は、私たちの話を聞いていたらしい。ということは、さっきのハーヴェイの恥ずかしいことこの上ない語りも聞かれてしまったのだろう。


 急に恥ずかしさがこみ上げてきて、口元が引きつる。


「どうかしたのか、ユリさん」


「い、いえ、何でも。……あの、大舞踏会なのですが……参加しようと思っています」


 お父様が何を考えてあんな指示をしたのかは分からない。けれどそれは、後で聞けば済む話だ。


 それよりも、今は大舞踏会とやらに少しばかり興味がわきつつあった。


 お父様は、私のことを大切にしてくれている。少々過保護だなと思わずにはいられないくらいに。そのお父様が参加しろといったのだ、きっと何か、面白いものがそこにはあるに違いない。


 そして私の返事を聞いたハーヴェイは、びっくりするくらいにほっとした顔になった。


「ああ、良かった。ならばまた君に会えるのだな。今の俺にとって、これほどの幸福はない」


 彼は朗らかに笑って、こちらに手を差し出してきた。


「顔色も良くなってきたな。ならばそろそろ大広間に戻ろう。シオン殿が心配するといけない」


 そのシオン殿は、ちゃっかり盗み聞きしているみたいだけど。そんな言葉をのみ込んで、おそるおそるハーヴェイの手を取った。




「それで、いったいどうしてあんな指示を出したんですか、お父様? 大舞踏会に出ると言え、だなんて」


 帰りの馬車の中で、二人きりになると同時にそう尋ねた。向かいに座ったお父様はにっこりと笑って、すぐに答えた。


「大舞踏会に出られるのは人間の貴族だけ。またとない、珍しい体験ができるだろう?」


 確かに、それももっともだ。でも私には分かる。お父様は他に何か隠している。


「……この際ですから、正面から聞きます。他にもう一つや二つくらい、目的があったりはしませんか?」


「おや、鋭いねユリ」


「何年お父様の娘をやっていると思ってるんですか。さあ、白状してください」


 ぐいと身を乗り出して、お父様の顔を近くでにらみつける。宝石のような青紫の目が、楽しげにきらめいていた。


「ふふ、降参だ。ならば話してあげようか。一つは、この機会にウラノス家の人たちに君を引き合わせておこうかと思ったからだよ。大舞踏会に出るには、彼らに合流する必要があるから、ちょうどいい」


「ウラノス家って、実在するんですか?」


 てっきり、私たちの身元を偽るためにでっち上げた家名だとばかり思っていた。


「もちろん。国中どこを探しても存在しない家名を名乗ったら、最悪の場合は詐欺師として捕まってしまうよ。君にそんな危ない真似をさせる訳ないだろう」


 私の内心を見透かしたかのような目で、お父様はくすりと笑う。そんじょそこらの女性では太刀打ちできない色っぽさだ。


「そしてもう一つは……まあ、敵をまとめて片付けようと思ったからかな」


「敵、ですか?」


 思いもかけない言葉にびっくりしていると、お父様は声をひそめた。


「そう、敵だね。前に教えたことがあるだろう、戦というものについて」


 とても平和な天人の里と違って、人間たちの世界には戦というものがある。たくさんの人間が武器を取って戦い、殺し合うのだ。何かを守るため、何かを得るために。


 子供の頃、初めてその話を聞いた時は、どうして話し合えないのだろうとそう思った。


 今は、人間たちにも何か事情があるのかもしれないとは思うようになっていた。でもその事情とやらが何なのかは、いまだに分かっていない。


 考え込む私に、お父様はさらに楽しげに説明している。


「圧倒的に自分に有利な状況にまとめて引きずり込んで、複数の敵の戦意をそぐ。そうすれば戦わずして敵を追い払うことができる。いちいち相手をしていたらきりがないしね。まあ、そういうことだよ」


「そういうことって、どういうことですか。さっぱり分かりません」


「今日のお茶会で、痛感したんだよ。君が令嬢としてふるまえばふるまうほど、私の敵は増えていくのだと」


「……もしかして、ですけど……その中に、ハーヴェイも入っていたり……?」


「正解。君たちが席を外している間に周囲の人たちと話したんだけどね、彼はとにかく惚れっぽいので有名なんだそうだ。根はさっぱりした良い人物とかで、周囲の人間たちには好かれてはいるようだけど」


 そこで声をひそめて、お父様が低くかすれた声でささやきかけてくる。


「……彼が君と深い仲になるのを黙って見過ごせるほど、私は心が広くないからね」


「別に、深い仲になんてなりたくありません!」


 つい大声で答えてしまった。お父様はおかしそうにくすりと笑うと、手を伸ばしてそっと頭をなでてくる。


「それはともかく、今日はお疲れ様。とても頑張ったね、ユリ」


 私の大好きな、優しい手。その感触に、里での日々を思い出す。


 里の我が家で、お父様と二人きり、鳥や虫の声を聞きながらゆっくりと語り合ったあの暮らしが、もう懐かしくてたまらない。


 一年って、思ったより長いのかも。そんなことを思いながら、子供のように目を細めていた。

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