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5.不本意ながら社交界デビュー

 そうして私とシオンお父様は、お茶会の会場である大広間に通された。ここまで案内してくれた執事がまた一礼して、静かに下がっていく。


 大広間の入り口は開け放されていて、中の様子が見える。華やかに着飾った人々が、お茶やワインを飲みながら優雅に談笑しているようだった。


 このお茶会を開いたハーヴェイは『ちょっとしたお茶会』と言っていたらしいけれど、これのどこが『ちょっとした』なのだろうか。


 思わずそう口走りたくなるくらいに、大広間も集まっている人もきらきらしていたのだ。


「ユリ、緊張しているのかな? 大丈夫、里の食事会とそう変わりはしないから」


「食事会とは全然違います……緊張しないでいるなんて、無理です」


 そんなことを小声で話しながら、おそるおそる大広間に足を踏み入れた。その瞬間、空気ががらりと変わるのを感じた。


 さっきまでささやき声で満ちていた大広間が、一瞬で静まり返ったのだ。そしてその場の全員の視線が、私たちに向けられていた。


 まさか、私の正体がばれたのだろうか、それとも何か場にふさわしくないことをしてしまったのだろうか。そんな考えが、次々と浮かぶ。


 しかし、どうやら違っているようだった。人々の顔に浮かんでいたのは、称賛の表情だったのだ。とっさに隣のお父様のほうを向いて、小声でささやきかける。


「おと……お兄様、もしかして私たち……目立ってませんか? その、視線が……」


「それは君が可愛らしいからだね。うんうん、みな見る目があるようで喜ばしいよ」


「どちらかというと、お兄様が美しいからなんだと思います。どうしましょう、ここから」


「そうだね、人の目は気にせずにお茶会を楽しめばいいんじゃないかな」


「さすがにそれは難しいです!」


 こそこそとそんなことを言い合っている私とお父様のもとに、一人の男性が歩み寄ってきた。


「ようこそ、我がアンテロース家の茶会へ。お二人をお招きすることができて、光栄だ」


 それは、私たちをここに招待したハーヴェイその人だった。


 彼もまた、サロンで会った時よりずっと豪華な服を着ている。とってもしゃれた装いだけれど、どことなくきざな雰囲気が漂っている気がするのはなぜだろう。


 また手を取られたら大変と、ドレスのスカートをつまんで礼をし、そのまますっと半歩後ろに下がる。ハーヴェイの手の届かない位置まで。


 お父様が口元に苦笑を浮かべながら、優雅にお辞儀をしている。とっても絵になっているからか、大広間の人々がてんでにため息をついている。


「おや、ユリは恥ずかしがっているようですね。妹の無礼を、おわびします」


「いえ、こちらこそ。いきなり招待するようなぶしつけな真似をして、申し訳ない。ですがどうしても、貴方がたとまた会いたかったのだ」


「は、はあ……お招き、ありがとうございます」


 お父様に半分隠れるようにして、もう一度礼をする。


 恥ずかしがっているというより警戒しているというのが正しいのだけれど、ここは引っ込み思案な令嬢のふりをしておいたほうが楽かもしれない。


 そうこうしていたら、ハーヴェイはすぐに私たちのもとを離れ、また別の客に向かっていった。


 どうやら彼は、今日のお茶会の主催者としてあちこち挨拶して回らなければならないらしい。良かった、助かった。


 お父様の陰でほっとため息をついていると、お父様が不思議そうな顔でこちらを振り返った。


「君はずいぶんと、彼を避けるのだね? 彼は少々距離が近すぎるきらいがあるけれど、決して悪い人間ではないよ。友人になるくらいなら、いいんじゃないかな。……友人なら、ね」


 妙に意味ありげな様子で一言付け加えているお父様に、小首をかしげて答える。


「だって、人間の貴族の男性相手に、何を話したらいいのか分からないんです。……お兄様となら、いくらでも話せるのに」


「おや、嬉しいことを言ってくれるね。ただ、いつまでも兄離れしないというのも感心しないよ。……これはあくまでも、一般論でしかないけれどね」


 そんなことを話している私たちのところに、今度は女性たちが三人、まとめてやってきた。


 話を中断して、今度は彼女たちと自己紹介の言葉を交わす。その間、彼女たちの目はお父様に釘付けだった。


 お父様は昔から、それは女性にもてていたらしい。そんなこともあって、お父様は女性をあしらうのが異様にうまかった。


 相手の気分を害することなく、しかし恋愛関係になるつもりはないことを器用にほのめかして、穏便にお帰りいただく。その手腕は、見ていてほれぼれするほどだ。


「さあ、それじゃあ少しその辺を歩いてみようか」


 見事に女性たちを追い返してさわやかに笑うお父様を見ていたら、ふと疑問がわいてきた。


「あの、お兄様」


「何かな、ユリ」


「お兄様は、里の未婚の女性をみんなお断りしてしまっていますよね」


「結果的にはそうなっているね」


「でしたらこちらで、伴侶を探すつもりは?」


「ないね。だいたい、人間をめとるのって少々、いやかなり面倒なんだよ。できない訳ではないのだけれど」


 成人の儀で人間の世界を旅したのをきっかけとしてそのままそちらに住み着く者や、恋人を作って連れ帰ってしまう者もごくたまにいるらしい。だいたい、数十年に一度くらい。


 不思議なことに、天人は人間の世界で長く暮らすと、長寿や術といった特殊な力をどんどん失っていくらしい。だから、天人が人間の世界に住み着く分にはあまり問題にはならないのだそうだ。


 一方、人間を天人の里に迎える場合は……えっと、何だったか……ああ、思い出した。


 里の者がじっくりと話し合って、その人間を天人の一人として迎えるか否かを判断する。しかもその上で、その人間にはあれこれと試練が与えられるらしい。


 全てを完遂すれば、晴れて天人となれる。どういう理屈だか知らないけれど、その人間には天人と同じ長い寿命が与えられるのだ。


 赤子の時に拾われた私は、そういった面倒な手続きなしで里に迎えられたらしい。あくまでも、例外的な措置ではあったようだけれど。でもこの成人の儀を済ませれば、私も名実ともに天人の一人になれるのだ。


 それはそうとして、お父様は今里にいる天人を妻にする気もなければ、人間と親しくなるつもりもないらしい。


「だったら、運命の相手が生まれて育つまで、じっくりと何十年も待つつもりですか?」


「……それが一番近いような……ちょっと違うような……ううん、そうだねえ」


 天人は若い姿のまま長く生きるから、数十歳差の夫婦だって珍しくはない。


 しかしそれにしても、お父様は変に歯切れが悪い。無言の上目遣いでじっと見つめてみたら、お父様は苦笑して耳元でささやいてきた。


「私が誰かを妻に迎える日は、君が婚礼衣装を着るその日であって欲しいね」


「……お兄様、意味が分かりません」


「分からなくていいよ。いつか、分かってくれればいいんだから。とにかく今の私は、君のことが心配で、妻どころではないんだ」


「子離れしてください、もう」


 そんなことを話していたら、大広間に音楽が流れ始めた。よく見ると片隅に、見たこともない形の楽器を構えた人たちが何人もいる。


「うわあ……あれ、何ていう楽器だったかなあ……」


 そちらにふらふらと歩いていこうとする私を、お父様が止める。


「気になるのは分かるけれど、こちらを先に済ませてしまおう」


「こちら?」


「ああ。大広間のお茶会で、こんな風に音楽が流れる。ここで問題だよ。この後、何が起こるのかな?」


 そう言って、お父様は私の手を引いて大広間の中央に向かう。周囲には、同じように手を取り合った男女が何組もいた。


「あっ、もしかして……ダンスが始まるんですか?」


「正解」


 お父様は楽しそうだったけれど、正直私は気乗りがしなかった。人間の貴族が踊るダンスについて、成人の儀に出る前に一応は練習してはいる。


 でも私はちょっと、ダンスは苦手だった。一人で軽やかに飛んだり跳ねたりする天人の踊りなら得意なのだけれど。


 そしてそれ以上に、ダンスの体勢はちょっとどうかと思わずにはいられなかった。抱き合っているとしか思えないくらいに、体が密着するのだ。しかも男女で。


 人間には、というか貴族には、羞恥心というものがないのだろうか。


 眉間にしわを寄せていると、お父様が笑って私を抱き寄せた。


「大丈夫、練習の通りにやればいいから。相手は私。いつも通りだろう?」


 確かにいつも通りだ。私のダンスの練習には、いつもお父様が付き合ってくれていた。


 というか私は、お父様以外の人と踊ったことはない。他の天人が練習に付き合おうとするたびに、すかさずお父様が割り込んできたのだ。


 私が返事をするより前に、お父様がするりと足を踏み出す。抱き寄せられたままの私の体も、ひとりでに進み出ていた。


 そこからのことは、はっきりと覚えていない。普通の女性なら、素敵な男性と踊れて夢心地といった感じになるのかもしれない。


 しかし私は、成人の儀の途中だった。一年の間、貴族の令嬢のふりをやり通さなくてはならない。その第一歩であるこのダンスをしくじる訳にはいかない。


「もっと力を抜いて。ほら、また眉間にしわが寄っているよ」


「今、ちょっと……それどころじゃないんです。ステップを、間違えないように……」


「多少間違っても、私がどうにかするよ。ダンスとは本来、そういうものだから」


「自分の力で、きちんとやりとげたいんです」


「強情だねえ」


 そんなことを話したことだけは、何とか覚えている。ともかくも私は、一曲無事に踊り切った。


「お兄様、私ちゃんとできていましたか?」


「ああ。練習の成果が出ていたね。とても優雅に踊れていたよ」


 良かったと胸をなでおろしたその時、若い男性が近寄ってきた。彼は名乗って一礼すると、ダンスを一曲お相手願えませんかと言ってきた。


 しまった、そうだった。令嬢は、連れの男性以外とも踊ることがあるのだった。


 呆然としながら、ダンスの誘いに乗る。目の前の彼にとって、私はあくまでも普通の令嬢なのだ。ここで断るのは得策ではない。


 お父様以外の男性と密着していることが、とてつもなくこそばゆかった。背中一面に鳥肌が立つような、何とも言えない微妙な気持ち悪さ。


 立て続けに三人踊った時には、私はもうすっかり疲れ果てていた。最後に踊ったハーヴェイが、私の体調を気遣ってくれる。


「大丈夫か、ユリさん。顔色が悪いが……隣の部屋を、休憩室として開放してある。そちらで休んではどうだろう」


「それでは、お言葉に甘えて……」


 本音を言うと、もう帰りたかった。でもそうしたら、ハーヴェイにさらに心配されてしまうかもしれない。


 体調は大丈夫かと、後日改めて訪問してくるようなことになったら面倒だ。少しだけ悩んで、ハーヴェイの提案に乗ることにした。


 ハーヴェイに連れられて、大広間を出る。なぜかお父様はついてこなかった。いつもならするりと私の隣に立って、そのままどこまでもついてくるところなのに。


 こんなところでお父様と離れてしまうことにちょっぴり不安を覚えながら、別室に移る。


 そこは庭に面したバルコニーがある部屋で、外の風が心地良かった。そして困ったことに、他には誰もいなかった。気まずい。落ち着かない。


「ほら、冷たい茶を飲むといい。他に必要なものがあれば、いくらでも言ってくれ」


 さらに困ったことに、ハーヴェイはまだここに居座って私の世話を焼くつもりらしい。これでは休憩になんてならない。一人にしてもらえたら、すぐに元気になるのに。


「あ、ありがとうございます」


 そんな私の思いにもちろん気づくはずもないハーヴェイが、笑顔でお茶のグラスを差し出してくる。


 仕方なくそれを受け取り、一口飲んでみた。薬草が入っているらしいそれは、とてもさわやかな味をしていた。こんな状況でなければ、素直においしいって思えたのに。


「……ユリさんは、シオン殿ととても仲が良いのだな。その……普通よりも少々、親密に過ぎるように思えなくもない」


 不意に、ハーヴェイがつぶやく。ほんの少し悔しそうな声だ。


「え、ええ、それはそうかもしれませんね。訳あって、私は兄に育てられたようなものですから」


 そう言ってしまってから、しくじったかなと思う。私とお父様の見た目は数歳しか違わない。何か別の言い訳をするべきだったかとあせりつつ、ハーヴェイの様子をうかがう。


「なるほど、そういうことか。あの親密さは、親代わりだからか……ならば俺にも、まだ割り込む余地があるのかもしれないな」


 しかしハーヴェイはこれっぽっちも怪しむことなく、小さく笑った。そうして、ささやくように熱っぽく問いかけてくる。


「ユリさんは、俺のことをどう思う?」

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