41.旅はまだ半ば
その夜、私はシオンお父様と共に近くの山の上にいた。オイジュスの屋敷と、焼けてしまった離れが全て見下ろせる、そんな場所だ。お父様の飛行の術で、ここまで連れてきてもらったのだ。
「ともかくも、これで一件落着といったところかな。オイジュス公爵夫妻とその跡継ぎの問題についてはきれいに解決したし、ジャスミンのほうも……少々納得のいかない形ではあるけれど、収まるところに収まった。メイナードも既に旅立ったから、もう周囲を警戒する必要もない」
柔らかな草地に腰を下ろしたお父様が、ううんと伸びをする。
「ジャスミンは……あれでは駄目ですか?」
「まあ、彼女はもうこの世の者ではないからね。君という存在があって、天人の術がある。そんな奇跡のような偶然が重なったおかげで、彼女はたまたまあの形でこちら側に残ることができた。でもやはりそれは、自然なこととは言い難いんだよ」
「分かっていますけど……でもやっぱり、私はもっと彼女と話したいですし……」
「そうだね。やはり彼女は、君の双子の姉なのだから」
その言葉に、黙ってお父様の肩にもたれる。確かに、私はジャスミンになんらかの絆を感じている。でもそれでもやはり、私はお父様の娘で、天人のユリなのだ。そこだけは譲れない。
そんな私の思いを感じ取ったのか、お父様がしみじみと言った。
「成人の儀の旅は、まだ半分も来ていない。でも、とても色々なことがあったね」
「はい。天人の里で暮らした十六年よりも、ずっと目まぐるしい日々でした」
素直にそう答えると、お父様はおかしそうに笑って私の頭をなでた。
「そうだね。今までに数え切れないほどの天人が人間の世界を旅したけれど……ここまで大変な目にあったのは、君が初めてじゃないかな」
否定できない。里にいた頃、他の天人たちの旅について話を聞いた。けれどみんな、せいぜいちょっとしたもめごとに巻き込まれたくらいで、とても平穏に旅を終えていたのだ。
跡継ぎがどうとか、双子の姉がどうとか、命を狙われるとか、そんな目にあった天人なんて聞いたことがない。
そんなことを考えていたら、お父様はやはり静かに問いかけてきた。
「ユリ、君は人間たちのことをどう思う?」
「そう、ですね……」
山を越えて、最初にたどり着いた町で、いきなり親しげに詰め寄ってきたハーヴェイ。おっとりしているけれど行動力のあるステファニー。物静かで、頼れる雰囲気のダミアンさん。
娘恋しさにおかしくなってしまったオイジュス公爵夫妻。優秀なのに控えめで、でも意志の強いエドガー。そして、自分が空っぽだと思い込み、凶行に走ったメイナード。
「……知れば知るほど、彼らのことが分からなくなります。しきたりも、考え方も、まるで違っていて」
考え考えそう言うと、お父様はゆったりとうなずいた。
「でも泣いたり笑ったり、そういった思いは私たち天人と変わることがないのかな、と思います」
話しているうちに、どんどん口がなめらかになっていく。思いつくまま、さらに言葉を続けた。
「それに彼らは、とてもたくましいです。術も使えないのに、大きな町や山のような城を建てて、それに汽車を走らせました」
「そうだね。……いつか彼らは、空飛ぶからくりだって作ってしまうかもしれないね」
「私も、そう思います。……お父様、人間たちのことを知るには、たった一年の旅では足りないんじゃないかなって、この頃そう思うんです。人間は不思議で、面白くて……成人の儀が終わっても、また来てみたいです。もっと彼らのことを知りたいです」
「良かった、君もそう思ってくれて」
お父様の思いがけない言葉に、首をかしげる。強く吹き上げた風が、私の金色の髪を巻き上げた。
そっと私の肩を抱き寄せて、お父様はささやく。
「私たち天人は、人間とそう変わりはしない。だからこそ互いに交わり、子をなすことだってできるんだ。でも、若い天人はそれを理解できない。どうしても、自分たちのほうが優れていると思ってしまう。口で言って聞かせたところで、納得してはくれないし」
その言葉に思い当たるところがありすぎて、そっとうつむく。
「だから、成人の儀という仕組みが作られたんだ。人間の世界を、自分の目で見る機会を与えるために。一年もふらふらしていれば、だいたいみんな、君と同じような結論にたどり着くんだよ」
風はひんやりとしていたけれど、お父様によりかかっていると寒くなかった。お父様が小さく笑ったのが、触れた体から伝わってくる。
「君は自分が天人の生まれでないことを気にしていたから、余計に人間を否定しがちで……正直、心配していたのだけどね」
「そう言われると、返す言葉もないです……」
ついついしゅんとしてしまった私を、お父様がぎゅっと胸元に抱き寄せてきた。私を励まそうとしているのか、やけに弾んだ声で話しかけてくる。
「ふふ、もういいんだ。成人の儀が終わってからも、またこちらに来よう。次は君も空を飛べるようになっているのだし、もっと楽に旅ができるよ。今回の騒動よりも大きなごたごたに巻き込まれることなんてないだろうし」
今回の騒動。私の出自にまつわる、公爵家を丸ごと揺るがすような、そんな騒動。正直、お父様がいなかったらどうしようもなかった。もし一人でこの騒動に巻き込まれていたら、私はきっと途中で逃げ出してしまっていただろう。
そう考えて、ふと気になった。
「あの、そういえば」
「何かな、ユリ?」
「結局、お父様は……こうなることを見越して、私についてきてくれたのですか?」
「さすがに、そこまでは想定していなかったよ。君は人間の生まれだから、もしかしたら元の家族に出会うことがあるかもしれないなとは思っていたけれど」
その答えに、ちょっとほっとした。お父様はやけに熱心に、私についてこようとしていた。それがもし、この騒動を想定してのことだったらちょっぴり寂しいなと、そう思ってしまったのだ。
「結局お父様は、子離れできてないだけだったんですね」
「さあね。想像にお任せするよ」
お父様は、妙な余裕を漂わせている。そんなお父様に、さらに尋ねてみた。
「……お父様、もし私がオイジュス家の子供になるって言ったら、どうするつもりでした?」
「止めないよ」
予想外の答えに、ぽかんとしてしまう。お父様は青紫の目に強い光をたたえて、私をまっすぐに見た。
「止めない。だってそうすれば、君に堂々と求婚できるからね」
「えっ? あの、それは」
「今までの旅の中で、さんざんほのめかしてきたのに君は気づきもしない。こんなに鈍感な子に育てた覚えはないのだけれどね」
照れくさそうに目を細めて、お父様は視線をそらす。そんな仕草がひどく色っぽいことに気づいて、思わず身をすくめた。
「……私が伴侶を得るとしたら、その相手は君をおいて他にないと、そう思うんだよ。別に、天人の間ではよくあることだろう。養い親と養い子が、そのまま夫婦となることなんて」
「え、じゃあお父様ってもしかして、そのつもりで私を育てて?」
「いいや」
すぐに、否定の言葉が返ってきた。ほっとしたような、肩透かしを食らったような。
「小さい頃は、本当にただの娘だとしか思っていなかった。けれど君が成人の儀に向かうと決まった時……」
お父様が、言葉を詰まらせる。ぎゅっと唇をかんでから、か細い声で言った。
「他の誰にも、渡したくないなって思ったんだよ。君みたいな子が一人で人間の世界に行ったら、きっと君に焦がれる人間が出てくる。もしかしたら、君が誰かにほだされてしまうかもしれない。そんなことになったら、後悔してもし切れない」
普段の穏やかなお父様からは想像もつかないほど熱っぽい言葉に、ただ呆然とお父様の顔を見ることしかできなかった。そんな私に、お父様はいつも通りの笑顔で語りかけてくる。
「返事はゆっくりでいいよ。私たちには、時間だけはたっぷりとあるからね。三十年くらいはのんびり待つさ。それだけあれば、振られた時の心の準備もできるだろうし」
冗談めかしたお父様の言葉に、返事ができなかった。お父様に抱きしめられるのなんて慣れっこになっているはずなのに、びっくりするくらいに心臓が暴れまわっていたから。
結局そのまま、しばらくお父様の腕の中でじっとしていることしかできなかった。
そうして、オイジュス公爵家にまつわる騒動が全て収まって、元通りの、いやそれ以上の平穏が戻ってきた頃。
私とお父様は、旅支度を済ませてオイジュスの屋敷の前に立っていた。
私は今までのドレスよりずっと質素な、肌をきっちりと隠すワンピース。お父様もそれに合わせて、絹ではなく綿や麻でできた落ち着いた服装に改めていた。
大舞踏会でオイジュス夫妻が騒いだせいで、おそらく私のことは貴族たちの間で噂になってしまっている。だからここからは、また別の身分で旅をするのだ。
「それにしても、旅の学者夫婦……ですか」
「おや、不服かい? 私たちの見た目だとどうやっても親子には見えないと、君もここまでの旅で学んだだろう。兄妹でもいいのだけれど、どうせなら夫婦のほうが、余計な虫が来なくていい」
「また、虫よけですか。お父様……じゃない、シオンは本当に心配症ですね」
そんなことを話していたら、ハーヴェイが口を挟んできた。
「いや、虫よけは大切だ、ユリさん。その威力は、俺が保証する。シオン殿の心配ももっともだ」
『ハーヴェイ様ったら、ユリにいきなり迫ったんですって? あげく、シオン様に返り討ちにされたとか』
「ジャスミン、どうかそのくらいに……ハーヴェイ様は、まだ失恋の痛手が癒えてらっしゃらないのですから」
ジャスミンとステファニーも、明るく笑いながら話に加わってきた。ステファニーはジャスミンとも友達になっていて、彼女のことを『ジャスミン』と呼んでいる。
オイジュス公爵夫妻は、娘に新たな友人ができたと喜んでいた。二人はとにかく娘が可愛くてたまらないだけで、意外と図太いらしい。
娘が幽霊として戻ってきたことも、もう一人の娘が不思議な力を持っていることも、あっさりと受け入れてしまっていた。
「シオン、ユリさん、また何かあれば私たちを頼ってくださいね。何もなくとも、たまに手紙を頂けると嬉しいです」
ステファニーの後ろから、ダミアンさんが顔をのぞかせた。彼は今日もおしゃれに決めている。
「ああ。里に帰る前にもう一度、君のところに寄るよ。その時に、また積もる話をしよう」
『あ、いいな。私も遊びにいこうかな。この小鳥の体って、あっちこっち飛んでいけるからとても楽しいのよ』
「ジャスミン、でも羽目を外しすぎないように気をつけるんだよ。その体には守りの術もかけてあるから、見た目よりは遥かに頑丈だけれど、それでも限度というものがあるからね」
ふわふわと空中に浮いているジャスミンにお父様が釘を刺す。そこに、エドガーとオイジュス公爵夫妻がそっと近づいていった。
「シオン殿、ユリさん、あなたがたには感謝してもし切れません。僕たちを、オイジュスの家とジャスミンを救ってくださって、ありがとうございます」
「それに、君たちは私たちの目を覚ましてくれた。……大舞踏会で君たちに出会えなかったら、きっと今頃私たちはまだ嘆き続けていただろうな」
「それに、ユリさんが元気にしているのだと知ることもできた。こんな幸せなことってないわ」
そう言って三人は、同時に頭を下げる。空中のジャスミンも、それにならってふわりと頭を下げていた。
「私たちは、できることをしただけですよ。そうだろう、ユリ?」
「はい。あがいて、もがいていたら、偶然こんな結末を手繰り寄せただけです」
お父様と二人してそう答え、馬車に乗り込む。オイジュス家の豪華な馬車ではなく、術で出した質素なものだ。
これまでは貴族の身分で、栄えた町や王都を見てきた。今度は学者夫婦の身分で、田舎のほうを回ってみよう。そう決めたのだ。
『気をつけてね! 呼んでくれたら、私も駆けつけるから!』
「俺も微力だが、力を貸せる。困ったら、頼ってくれ」
ジャスミンとハーヴェイが、力強く言う。
「いってらっしゃい、ユリ。また私の屋敷に来てくれるのであれば、その時はジャスミンと三人でおしゃべりしましょう」
「シオン、ユリさん。あなたがたの旅路に、祝福あれ」
ステファニーとダミアンさんが、にっこりと笑った。
「我がオイジュス家も、貴女がたを全面的に援助します。安心して、旅を続けてください」
「いつでも立ち寄ってくれ。いや……どうかまた、来てほしい」
「私たち、ずっと待っているわ」
きりりと顔をひきしめたエドガー、一生懸命に寂しさをこらえたように笑うオイジュス公爵夫婦。
そうして、みんなが手を振ってくる。元気に手を振り返して、明るく叫んだ。
「それじゃあ、いってきます!」
そうして、私とお父様を乗せた馬車は軽やかに走り出した。たくさんの笑顔に見送られて。
まだ、旅は半ば。これから先に何が待っているかは分からない。でもきっと、乗り越えていける。一番大切なお父様、シオンと一緒なのだから。




