40.これもまた、ひとつの和解
そうして結局、メイナードは幽閉されることになった。
オイジュスの一族が所有する屋敷の一つ、人里離れた断崖絶壁の上に建てられた、高い柵に囲まれた小さな屋敷。彼は死ぬまで、そこを出ることはない。
汽車での火事に、私の暗殺未遂、離れでの火事。その全てを指示したのがメイナードだった。本来であれば王都に連絡して、彼を罪人として引き渡すのが正しいやり方ではあるらしい。
けれど、私たちはみんなで相談して、メイナードを引き渡さずに幽閉することを選んだのだ。彼が犯した罪を明らかにすることなく、ひっそりと罰だけを与える、そんな結末を選んだ。
私たちは、彼に同情してしまったのだ。私たちにはそれぞれ大切な人たちがいて、守るべき地位や場所があった。でも、メイナードには何もなかった。
オイジュス公爵の末弟である彼には継ぐべき分家もなく、妻も子もなく、ただずっとオイジュスの家の富によって生かされていたのだ。そしてその殻を打ち破るだけの気概も、何かに没頭できるだけの才能も、彼にはなかった。
自分たちが彼の立場で生き続けてきたのなら、彼のように考え、そうして破滅を引き寄せてしまうかもしれない。
私とエドガーは二人とも、そう思ってしまったのだ。そしてこの騒動に巻き込まれたステファニーたちも、私たちの考えに共感してくれた。
私たちのそんな結論に、オイジュス公爵夫妻はほんの少し目をうるませていた。
「……済まない、そしてありがとう。こんなことになってしまっても、やはり彼は私の……弟なのだ。罪を償わせなくてはならないことは分かっている。だが、他人の好奇の目にさらさせたくは……なかったのだ」
「それに……きっと彼は、自省して良いほうに変わってくれるのではないかと、そう思えてならないんです……メイナードがあんな表情をしているのは、初めて見ましたわ」
「私もだ。……彼は子供の頃からずっと、無気力に生きていて……そんな彼を正しく導いてやれなかった、助けてやれなかった私たちにも責任はある。私たちは今後、彼を見守っていく。そしてもし彼が更生しないようなら、その時は必ず自らの手で責任を取ると、そう約束する」
オイジュス公爵夫妻は、そう言って私たちに頭を下げていた。このような立場にある人間が下の者に対して頭を下げるのは、とても珍しいことらしい。
エドガーやダミアンさんは驚いていたし、ステファニーとハーヴェイは二人そろっておろおろしていた。
シオンお父様と私は特に驚くこともなく、オイジュス公爵をじっと見つめていた。
私はオイジュス公爵のことも、メイナードのこともろくに知らない。けれどオイジュス公爵にとってメイナードは、きっと今でも大切な存在なのだろうなと、彼の表情を見ているとそう思えた。
メイナードが目的の屋敷に向かって旅立ったその日、オイジュス公爵夫妻は私だけを呼び出していた。折り入って、話がしたかったらしい。
「……君には、感謝している。エドガーを炎から救ってくれて、メイナードが人殺しになることを防いでくれて、ありがとう。君はこのオイジュス家を、この国を救ったも同然だ」
勧められた椅子に腰を下ろしたとたん、公爵が沈痛な面持ちでそう言った。あまりに大げさな物言いに目を白黒させそうになるのをぐっとこらえて、できるだけ冷静に答える。
「いえ、私はただ、みんなを助けたかっただけですから……国とか家とか、そういったことは考えていませんでした」
私の答えを聞いて、オイジュス公爵は悲しげに微笑んだ。隣の夫人も、同じように悲しそうな顔をしている。
「きっとこの国も、このオイジュス家も、君にとってはさほど意味のないものなのだろう。どうか、率直に答えてほしい」
「……はい。友人であるステファニーたちが平穏に暮らせるように、この国が傾くことがなければいいとは思っていますが……それだけです」
私にとって国とか家とかは、何の価値もないものだ。けれど目の前の二人にとっては、そうではない。だから言葉を濁して、そう答えた。
それからそっと様子をうかがうと、公爵夫妻は泣きそうな顔をしていた。その表情に、大舞踏会で会った時のことを思い出す。
「そうだろうな。そして君は、私たちのことも家族だと認めていない。しばらく滞在したら、きっともうここには戻ってこない。そう思えてならないのだ」
ジャスミンとはまた会いたい。いやそもそも、彼女が今の姿を保つためには、定期的に私と会う必要があるのだ。彼女の魂に、力を分け与えるために。
だから数年に一度、人間の世界と天人の里を分かつ山脈の近くにあるあの町、私が成人の儀の旅に出て最初にたどり着いたあの町でこっそり会おうと、私たちはそう約束していた。
そのついでに積もる話もできたらいいねと、そんなことをうきうきと話し合っていたのだ。ステファニーとも示し合わせて、三人でこっそりお喋りしよう。そんな計画が立ちつつあった。
でも私は、公爵夫妻にまた会いたいとは思っていなかった。一応ユリと呼んでくれてはいるものの、二人にとって私はやっぱりローズなのだ。
その事実はもう受け入れたつもりではあるけれど、それでもやはりこの二人といると、居心地の悪さを感じずにはいられないのだ。
返事のできない私に、公爵はとても優しく語りかけてくる。ちょっぴりお父様を思い出す、そんな声音だった。
「それも当然のことだと思う。どんな理由があれ、私たちは一度君を捨てたことに変わりはない。その事実と長い別離の時間は、私たちの間にどうしようもない溝を作ってしまった」
二人の顔が、苦しげにゆがむ。先代の命令だとか、代々そういう家風なのだとか言われてもぴんとこないけれど、きっと赤子の私を捨てた時も、二人はこんな顔をしていたのだろう。なんとなく、そう思った。
「……君は、私たち人間の世界とは異なる、秘境の里で育ったのだと聞いた。そうしてまた、その里に戻っていくのだとも」
どんな顔をして話を聞いていればいいのか、分からなくなってしまった。怒りはなかったし、寂しさもなかった。最初の頃感じていた嫌悪感のようなものも、もうなくなっていた。
泣き出しそうな二人とは対照的に、私はひどく落ち着いてしまっていた。公爵はゆっくりとうつむいて、静かに言う。
「君にとって私たちの世界は、帰るべき場所ではなく、守るべき場所でもない」
そうして彼は、そのままじっとしていた。やがて、またゆっくりと顔を上げる。涙をこらえていたのか目元が赤くなっていたが、その表情はきりりとひきしまっていた。
「それでも君はあの火事の夜、このオイジュスの家が混乱しないよう気遣ってくれた。あの時の君の言葉を聞いて、目が覚めたよ」
その言葉に、夫人もうなずいていた。手にしっかりとハンカチをにぎりしめたまま。
「ジャスミンを失った悲しみに、いつまでもとらわれていてはいけない。私たちには、果たさなければならない使命がある。この家を守ること。そして、古い言い伝えに過度に振り回されることのない、そんな家風を作ること。ようやっとそのことに、気づかされた」
「こんなに優しくて立派な子に育って……天人のみなさまには、そしてシオン様には、感謝しかないわ」
どうやらあの火事の夜、二人が突然しっかりしたように見えたのは、私の言葉のせいだったらしい。二人はやけに感激した顔で、互いに喜び合っている。
「あの、ですがそれも、ステファニーたちのことを思っての言葉で……別に、あなたがたのことを案じた訳では……」
照れ臭くなってそう言うと、夫人が朗らかに笑った。
「いいのよ、それでも。あなたが素敵な女性になって、元気にしている。それを知ることができて良かったわ」
そうして二人は、同時にこちらに笑いかける。泣いたり笑ったり、とても忙しい。でもそんな表情の変化を、好ましいと思えている自分がいた。
「私たちは、もう君をここに引き留めようとは思っていない。君には君の幸せがあり、生きる場所がある」
「私たちはあなたの幸せを一番に願っているわ。こうやって再会できて、お話できた。それだけでも幸運なことなのだから」
「……しかし、そう決意した直後にジャスミンと再会できたのは、何というか……嬉しくてたまらなかったが、同時に複雑な気分だった。あれほど求めても帰ってこなかったものが、こんな形で戻ってくるとは……」
私が眠っている間に、公爵夫妻はジャスミンと再会していた。あの時の二人は、それはもうものすごい喜びようだったわと、後でジャスミンが笑いながら教えてくれた。
「私たちが目を覚まして、ユリさんをローズとして縛ろうとするのをやめたから、神様がジャスミンを返してくださったのよ、あなた」
真剣に考え込む公爵と、笑顔で話している夫人。そんな二人を見ていたら、自然と言葉がこぼれ出ていた。
「……私はやっぱり天人のユリで、人間のローズではありません。私の親はあなたがたではなく、天人のシオンただ一人です」
二人が目を丸くして、私を見る。そんな二人から目をそらして、もごもごと言った。
「……でも、やっぱりあなたがたとは何かの縁があるのだとは思います。……ですから、またここに来ても……いいでしょうか。ずっと同じ姿のままでよければ、ですけれど」
「もちろんだ!」
「もちろんよ!」
ちょっとつっけんどんになってしまった私の言葉に、二人は同時に大喜びする。ちょっと鼻の奥がつんとするのを感じながら、二人をじっと見守っていた。