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4.令嬢がここまで大変だなんて

 そうやってサロンに出かけた次の日の朝、私は客室の窓辺で考え事をしていた。


 ここは人間たちの世界でも、比較的辺境の、田舎にあたるらしい。


 人間たちの長である王の住まう王都などは、こことは比べ物にならないくらい大きくて、人も物もさらに多いらしい。想像もつかない。


 旅の期間は一年もあるのだし、せっかくだから一度王都を見てみようと思う。


 だからその前に、この町で色々練習しておこうと思ったのだ。人間たちの社会で悪目立ちしないように、貴族としてちゃんとふるまえるように。


 それにここでなら、万が一大失敗をして人間に追われるようなことになっても大丈夫だ。


 人間の世界と天人の里との間にそびえる高い山脈は、この町から見えるところにある。助けを呼ぶための術を使えば、天人のみんながあの山脈を越えて助けにきてくれるのだ。


「まずは、馬車に乗って町をのんびり回ってみるとか……いったん町の外に出て、町の全体をゆっくり眺めてみるのもいいかな……」


 外を眺めながらそんなことをつぶやいていると、背後から陽気なシオンお父様の声が近づいてきた。


「おはよう、ユリ。さあ、せっかくだから買い物に行こう。一年なんてあっという間だからね。一日一日を大切に過ごしていかないと」


「おはようございます、お父様。買い物……ですか?」


「そう、買い物。これも必要なことだからね」


 やけに浮かれた様子で、お父様はそう言う。何がどう必要なのかは分からないけれど、ひとまず言われた通りにしてみようか。今日何をするか、まだ決めていなかったし。


 そうして私たちは、それから町に繰り出していた。お父様は従者の式神を術で生み出して、服に装飾品、お菓子に本と、それはもう豪快に買いまくっていた。しかも、全部私のものばかり。


「人間風の、それも貴族の服なんて……。そんなにたくさん買っても、里では着る機会なんてないのに」


「貴族の令嬢は、服も装飾品もたくさん持っているものなのだよ? 里では最小限のものしか用意できなかったからね、ここでしっかり準備を整えておくべきだろう」


「……などと言いつつ、どうもお兄様は私を着せ替え人形にして遊んでいるような……」


「やっぱりばれていたか。でも君は何を着せても良く似合うからね。もっともっと、色々な服を買ってあげたいんだよ。こんな機会、そうそうないし」


 天人の里には、良質の宝石や金が採れる鉱山がある。それらを売れば、金には困らない。


 実際、里には人間たちの使う金貨がたっぷりとたくわえられていた。成人の儀で旅に出る、若者たちのために。


 しかしそのお金とは別に、お父様は宝石をいくつか持ってきていたようだった。それらを売り払い、さらに買い物を続けていた。


「ああ、いい買い物ができた。付き合ってくれてありがとう、ユリ」


「……どうせなら、お兄様のものも買いたかったんですが……」


「おや、嬉しいことを言ってくれるね。でも私には、無用の長物だよ。必要となったら、術で姿を変えればいいから」


「だったら私も、そうすれば……」


「私が買いたかったんだよ」


 そんなことを話しながら、山のような荷物と共に宿に戻る。従者の式神に命じて、買ったものを全部しまわせた。


 彼は革のトランクを開けると、そこに荷物を手際よく放り込んでいった。一山もある荷物が、小さなトランクに丸ごと飲み込まれていく。


 このトランクには術がかけられていて、見た目よりずっと多くのものをしまえるようになっているのだ。


 里では布の巾着袋にかけることの多い術だが、目立たないようにトランクにかけておいたのだ。荷物が全部片付いたことを確認したお父様が、術を解除して従者を消す。


 それから二人、向かい合って椅子に座る。少しためらってから、そろそろとお父様に尋ねた。今朝がたから、ずっと気になっていたことがあったのだ。


「あの……本当に、私がお茶会に出るんですか? その、正式なお茶会に」


「やはり、気乗りがしないかい?」


 優しく問いかけてくるお父様に、唇をとがらせながらうなずいた。


 昨日サロンで出くわしたアンテロース家のハーヴェイは、私が呆然としている間にお父様にとんでもないことを申し出ていたのだ。


 そして、お父様は勝手にその申し出を受けてしまっていた。私がそれを知ったのは、今日になってからだった。


「『今度、アンテロースの屋敷でちょっとした茶会を開く。そこに貴方がたを招待したい』ですか……それって、昨日のサロンとどう違うんですか?」


「そうだね。私もそこまで詳しい訳ではないけれど……より華やかに装って、もっと積極的に交流するというのが、一番大きな違いかな」


「交流……私に令嬢のふりなんて、できるのかな……正直、昨日だけでだいぶぼろを出してしまった気がします……私はただお菓子を食べていただけなのに、ハーヴェイがぐいぐいやってきて……思い出したくない……」


「大丈夫、君がしくじっても、私がついているからね。安心してどんどん失敗してくればいい」


「お父様、どんどん失敗だなんて、それはさすがに駄目です。私、目立ちたくないんですから」


「はは、それくらい気楽に構えておいでってことだよ。それに、目立たないっていうのは無理な話だね。君はとっても愛らしいから」


 そう言って、お父様はのんびりと笑っている。お行儀悪く頬杖をついて、黒くまっすぐな髪がテーブルの上にさらりと広がっている。青紫の目は、春の野に咲く花のように優しい。


 私以上にお父様が目立ってしまう気がするんだけどな、と思いながらお父様をじっと見つめる。


「まあ、面倒なのが寄ってきたら、私が追い払ってあげるよ。だから君は心配しなくてもいい。自然体でやってごらん」


「あ、ところで……無礼な相手って、平手打ちで追い払ってしまってもいいんでしたよね? 里で読んだ、貴族の女性向けの物語にそう書いてありました」


 成人の儀で男爵令嬢として旅をするのだと決まってから、私は貴族に関する知識を詰め込んだ。その一つとして読んだ物語の一場面、それがとても印象に残っていた。


 舞踏会で自分を侮辱した男性に、令嬢が凛とした口調で反論して、ぴしりと平手打ちをお見舞いするのだ。その挿絵の女性がまた格好良くて、勉強中なのを忘れて見入ったものだ。


 ちょっぴり期待しながらそう言ったら、お父様はあからさまに苦笑していた。


「いや、それは最後の手段だから。もっと穏便に、波風を立てないようにしなくてはね。基本的には柔らかな口調と態度で、それとなく拒絶を示す……というのが常道かな」


 どうも、令嬢というのは中々に面倒な立場らしい。少し考えて、前から思っていたことを口にする。


「……お父様。私が男爵令嬢の身分で旅をすると決まった時、誰かが同行することも既に決まっていたのではないですか」


「おや、鋭いね。もうばれた。どうしてそう思ったのか、聞かせてもらえるかな?」


 まったく悪びれることなくさらりと答えたお父様に、ため息を一つついて言葉を返す。


「こっちに来て、よく分かりました。男爵令嬢は、自分独りでできることが少なすぎるんです。私が一人で旅をしていたら、たちまち目立ってしまうでしょう。一年間も旅をするには、向いていない身分です」


「そうだね。従者の役は式神に任せるとしても、いずれ噂になっていただろうね。たった一人で、あちこちふらふらと旅をしている令嬢がいる、と」


「そうですね」


 平然としているお父様をちらりとにらみながら、一音一音強調するように発音する。けれどお父様は、やはり楽しそうに笑っているだけだった。


 そんなお父様に、さらに疑問をぶつけてみる。


「あの……どうせ同行者が必要になるのなら、成人の儀に出る者同士を組ませれば良かったのでは。私が旅に出る半月前に、幼なじみの一人も旅に出ていますし。旅立ちの時期をそろえて、彼と私とで、兄妹を演じれば」


「却下」


 私の言葉にかぶせるように、お父様が言い放った。


「君の保護者は、私だよ。たとえ演技であっても、他の男になど譲るものか」


「もう、お父様ったら……」


 普段はおっとりとしたお父様は、こういう時だけやけに頑固になる。


 私のことを思っての言動だと分かっているから悪い気はしないのだけれど、いつになったら娘離れしてくれるのかなとも思う。


 お父様はそんな私の気持ちに気づいているだろうに、いつもと同じようにうっとりと、甘い笑顔で私を見つめるだけだった。




 そうして数日後、私は買ったばかりのドレスや装飾品で着飾って、宿の馬車に乗っていた。もちろん、お父様も一緒に。


 お父様は、術で適当に服をいじって、もう少し豪華な雰囲気に変えていた。


 馬車は町を抜け、近くに建つ屋敷の前で止まる。宿よりもさらに豪華な建物が、高い塀でぐるりと囲まれている。ここはアンテロースの屋敷、今日のお茶会の会場だ。


「ウラノス男爵家のご兄妹ですね。どうぞ、こちらへ」


 門のところで出迎えてくれた執事の後に続いて、屋敷の奥に向かう。ふと、気になったことがあった。


「……あなたは、どうしてアンテロース様にお仕えしているの?」


 隣のお父様が、ちょっと目を見張ってから苦笑した。前を歩いていた執事は立ち止まると振り返り、優雅に礼をする。


「わたくしの家は代々、アンテロース家にお仕えしております。父も祖父も、執事としてアンテロースの当主を支えておりました。そのことは、わたくしの誇りです」


 少しも迷うことなく、晴れやかに執事はそう言った。答えてくれてありがとう、と言って、また歩き出す。けれど私の胸の中には、どうにも納得のいかない気分がよどんでいた。


 前を行く執事に聞こえないように、術を使ってお父様に話しかける。音のない、心の中だけの会話だ。


『お父様、私やっぱり分かりません。その家に生まれたから、親がそのように生きたから、そんなことで自分の生き方まで決まってしまうなんて。人間たちは、みんなこうなんですか?』


『そうだね。みんな……という訳でもないけれど、ほとんどの人間はそうかな。どこに生まれたか、どのような立場に生まれたかで、生き方はある程度決まってしまう。身分の上下なく暮らし、生き方を自分で選べる私たち天人からすれば、とても不自由に見えるかもしれないね』


 お父様も同じように、術を使って答えてきた。その青紫の目は、とても優しく、そして少し悲しげに細められていた。


『……お父様。私を拾ってくれて、ありがとうございます。私、ちゃんとこの成人の儀をやりとげて、正式に天人になってみせますから』


 私は人間の捨て子だ。でも今は、天人の若者として成人の儀に臨んでいる。そのことがとても誇らしく、また幸運なことなのだと、心からそう思えた。

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