39.真相、そしてあっけない幕引き
メイナードは震える声で、あらぬ方を見つめながらつぶやいた。
「……ジャスミンが死んだのが悪いんだ」
その言葉に、私の肩の上でおとなしくしていた小鳥のジャスミンがびくりと震えた。メイナードはそれには気づいていない様子で、そろそろと言葉を紡いでいる。
「あの子がいなくなったから、私が次のオイジュス公爵になれるかもしれないと、そう思ってしまった。余計な希望を抱いてしまったんだ」
既にこの話を聞いたのだろう、公爵夫妻は二人ともただ悲しい目をして、メイナードを静かに見つめているだけだった。
「ジャスミンが死んだことで、兄上も義姉上もすっかり弱り果て、領地は荒れ始めた。早く、新しい跡継ぎを決めさせなくてはと、そんな声が一族の中で上がっていた」
彼の視線は、どこでもないところをふらふらとさまよい続けている。まるで独り言のように、彼はつぶやいていた。
「一族のみなが最初に挙げたのが、エドガーだった。若く、有能で、一族の血を濃く引く。彼の名が出てきた時、私の出る幕はないなと、そう思った。それでいいかと、そうも思った」
その言葉に、エドガーが悲しげに目を伏せる。ハーヴェイとステファニーも、気遣うようにそちらを見た。
「けれど兄上と義姉上は、エドガーをがんとして受け入れなかった。このままでは、国が傾く。誰でもいいから跡継ぎを決めて、力ずくでも当主を交代させてしまおう。一族のみなは、そこまで考えていたんだ」
ダミアンさんやお父様も悲しげだった。きっと二人には、オイジュスの一族の者がそこまで思いつめていた、その気持ちが理解できていたのだろう。
「そうして、私に白羽の矢が立った。兄上に一番血が近く、かつ何の地位にもついていない、身軽な存在だ。私は何もできないけれど、みなはそれでもいいようだった。私を形ばかりの当主としてかつぎ、協力してオイジュスの家を保っていく。そう、話がまとまった」
「でも、それでは……あなたはそれで、よかったのですか?」
どうにも理解できずに、とうとう声を上げる。
この国でも重要な地位にあるオイジュスの領地をきちんと治めておく必要があるのは分かる。でも、勝手に当主を交代だとか、形ばかりの当主とか、訳が分からない。
そもそも、メイナードの考えがさっぱり分からない。自分のことを、そこまで卑下してのけるなんて。
けれど返ってきたのは、予想よりもはるかに嬉しそうな声だった。
「ああ、最高だったさ。……何一つ不自由なく、みなに愛されて幸せに育ってきた君には分からないだろう。一族の決定が、私にとってはこの上ない喜びなのだということを」
メイナードの目が素早く動き、私をまっすぐに見すえた。肩の上にいる小鳥のジャスミンが、そろそろと私の髪に隠れた。それくらいに彼の視線はぎらぎらとしていて、怖かった。
「けれどそんな折、大舞踏会で兄上と義姉上はローズを見つけたと大喜びしていた。だから私は、ローズをおどすことにした。このオイジュス家に近づくな、とね。彼女の存在は、私にとっては邪魔だったから。訳あって裏社会の者たちに少しばかりつてがあったから、彼らに頼んだんだ」
「もしかしてそれは、汽車の時の……」
おそるおそる尋ねると、メイナードはにやりと笑った。今までの彼からは想像もできなかった、楽しげな表情だった。
「ああ、そうさ。首尾よく君が最後尾の車両に行って、仕掛けは確かに発動した。私はそんな報告を受け取った。それなのになぜか、君は何事もなくこの屋敷にたどり着いた。それを知った時は、頭をかきむしらずにはいられなかったな」
深々とため息をついて、メイナードは言葉を続ける。以前のような、生ける幽霊のような雰囲気はすっかり消えていた。こんな状況にはそぐわないけれど、彼は今までで一番生き生きしていると、そう思った。
「けれど実際に君……ローズと話してみたら、どうやら君はオイジュスの一員として生きるつもりはないようだった。だったら放っておけば、そのうち帰ってくれるだろう。そう思って様子を見ることにした」
今度は恐ろしく低い声で、メイナードがうなる。無念そうに、悲しそうに。
「それなのに、君はエドガーを引っ張り出してきてしまった。ああ、やっぱり私には何も与えられない、そんな運命なのだと、そう思った」
ふうと息を吐いて、彼は遠くを見つめた。ひどく澄んだ目をしていた。
「……運命だと分かっていても、もう耐えられなかった。子供の頃からぼんやりしていると言われ続け、まともな地位も与えられず、ただ一族に養われ年を重ねていくだけの私が、やっと……やっと必要とされると、一度でも、そう思ってしまったから」
メイナードの顔が、くしゃりとゆがむ。とっくに成人した彼が、まるで小さな子供のように見えていた。
「でも、やっぱり私はいらない存在だった。もう、どうでもよくなった。何もかも、壊れてしまえと思った。ローズも、エドガーも、兄上と義姉上の心も、全部」
「だから、火をつけさせたのですか?」
エドガーが、呆然としながらも冷静な声で、メイナードに問いかけている。
「ああ、そうさ。母屋で寝泊まりしているローズをさらわせて、離れに泊まっている君を炎で亡き者にする。そうすれば、兄上たちももう立ち直れないだろう。その上で、私も行方をくらます。そうすれば、きっとオイジュスの家は大混乱におちいっただろうな」
まるで物語を読み上げているように淡々と、メイナードは恐ろしいことを言っている。けれど彼は不意に、とても寂しそうな顔をした。そうしてぽつりとつぶやく。
「空気のように、幽霊のように生きてきた空っぽの私が、ようやくこの世に爪痕を残せるところだったのに……ああ、悔しいなあ。残念だったなあ」
そこからは誰も、何も言わなかった。メイナードは切なげな目で、じっと窓の外を見つめている。
今日はさわやかに晴れていて、心地よい日差しがさんさんと庭の木々に降り注ぎ、草花を照らしている。
外の優しい世界とこの部屋が、窓ガラス一枚だけでへだてられている。そのことがとても信じられないくらい、ここは冷え切っていた。ただ戸惑いと悲しみが、辺りに満ちていた。
「……あなたは、自分で思っておられるほど空虚ではありませんよ」
静まり返った部屋の中に、お父様の優しい声がふわりと響いた。心にしみとおるような穏やかな声で、メイナードに呼びかけている。
「あなたは喜びも、悲しみも知っている。裏の社会とのつても持っておられます。もっとも、これはあまり褒められたことではありませんが」
「……あまりに手持ち無沙汰だったんで、暇つぶしに賭場をのぞいたんだよ。賭け自体は面白くなかったけれど、裏の社会の話を聞くのは……楽しかったな」
さっきまでうつろな目で笑っていたメイナードが、ふと我に返ったようにそうつぶやく。そんな彼に、お父様はさらに優しく語りかけた。
「オイジュスのみなさまがあなたにずっと地位を与えずにきたのは、あなたを思いやってのことだったのかもしれないと、私はそう思います。地位には、それ相応の責任や重圧がついて回りますから」
お父様は、天人の里の長だ。雑用係のようなものだよといつも言っているけれど、きっと色々な苦労があるのだろう。私に見せていないだけで。
「あなたがしてしまったことは、決して許されるものではありません。けれどそれ以上に……あなたは自分自身の可能性を、周囲の人たちの温かい思いを信じていなかった。そうして自分が空虚なのだ、自分は飼い殺しにされているのだとひたすらに信じ込んでしまった。そのことこそが、あなたの最初の罪だったのかもしれません」
メイナードは、やけにしっかりとした目でお父様を見つめていた。嘘のようにしゃんとしたその表情に、公爵夫妻の顔に驚きが浮かぶ。
じっとお父様を見つめていたメイナードが、やがて深々とため息をついた。ほんの少し皮肉っぽい声が、お父様に向けられる。
「……君には分からないだろうな。だって、君は満たされているように見える、私と違って。ああ、うらやましいね」
「そう見えるのだとしたら、それは私の努力によるものでしょう。……自分を変えられるのは自分だけですから」
「だが、自分一人ではどうしようもないことだってある。そう、例えば周囲の人間との関係とか。私は一族に囲まれて暮らしていたが、ずっと孤独だった。誰か一人でも分かり合える相手がいれば、こんなことにはならなかったかもな」
「人と人が分かり合うのは、とても難しいものです。ただ待っていても、何も変わりません。覚悟を決めて、近づいていく必要があるのです」
ゆったりと話していたお父様が、ちらりとこちらを見た。
「あなたがたがローズと呼ぶ彼女は、私にとってかけがえのない家族ですが……私たちは、十六年かけてその関係を築いてきたのです。互いに歩み寄って、ぶつかり合って。そうして彼女は、私にとって最愛の人物となりました」
お父様はこの上なく優しい声で、そんなことを言っている。ちょっと照れ臭くはあるけれど、それ以上にお父様から目が離せなかった。不思議なくらい、お父様に惹きつけられる。
肩の上にいるジャスミンが、身じろぎしたのが伝わってきた。
そしてそれは、メイナードも同じようだった。いつもぼんやりしていた彼の目は、大きく見開かれている。
食い入るようにお父様を見つめた後、メイナードは大きく息を吐いた。
「……そうか。そう、だったの、かもな……。ああ、ありがたい説教をどうも、ウラノスの方。どうやら、私の負けだ。……もっと早く、君と話せていたらよかったのかもしれないな」
みんなの視線を一手に集めたまま、メイナードは微笑む。ただ、お父様だけに向かって。
「私はもう裁きを待つだけの身だが、君の言葉については、考えてみるとするよ」
椅子に縛り付けられたまま、メイナードはやけに晴れやかにそう言った。この短い間にずいぶんと印象が変わったなと、そんなことを思った。
肩の上にいる小鳥のジャスミンは、もう震えてはいなかった。