37.今度こそ大団円、きっと
そうこうしているうちに、使用人たちも少しずつ集まってきた。みな足取りはふらふらとしているが、一応目は覚めているらしい。
オイジュス公爵夫妻は彼らに指示を出し、離れの後片付けに取り掛からせていた。この火事はおそらく不審火だから、何かおかしなものが、放火の証拠となるようなものが残ってはいないか、注意するよう言いつけて。
ローズの部屋の前に転がっている、私をさらおうとした荒くれ者たちを捕えるようお願いして、私たちはいったん母屋に戻ることにした。私を起こしてくれたジャスミンに、報告しに行こうと思ったのだ。
「それにしても……公爵夫妻が、急に立派になられた気がするわ……」
廊下を歩きながらぽつりとつぶやくと、ステファニーが嬉しそうに答えてくれた。
「そうですわね、ユリ。やはりさっきのあなたの力を目にしたことと、あなたの決意を聞いたことが大きいのだと思いますわ」
「そうなの? 私はただ、思ったままを言っただけよ。これ以上世を乱したくないっていう」
「いや、君のその美しい心根が、公爵夫妻の心を打ったのだ。広く人々のことを案じるその思いは、悲しみに閉ざされていたお二人の心にも届いたのだ」
すすで汚れた顔で、ハーヴェイが晴れやかに笑う。相変わらずきざったらしい言い回しだけれど、それが不思議と安心できた。
「……でも、そもそも私はそのうちここを離れるつもりだったのですし、広く人々のことを案じる……というのはちょっと違うと思います」
それはそうとして、どうもハーヴェイはちょくちょく私のことを美化しているような気がする。どことなく後ろめたさを感じながらそう答えると、ステファニーがくすりと笑った。
「あなたがわたくしたちのことを案じてくれたのは事実でしょう? 公爵夫妻のことが苦手なあなたが、わざわざこの屋敷に留まって、跡継ぎのことを一生懸命に考えてくれた。それはジャスミンのこともあったのでしょうけれど、それだけではないでしょう?」
「そうしてあなたはジャスミンの願いを聞き届け、僕にオイジュスを守る機会をくれました。感謝しています」
ステファニーの言葉を、エドガーが静かに引き継いだ。彼は離れに残って公爵夫妻の手伝いをしようと申し出たのだが、大変な目にあったのだから今夜はゆっくり休むようにと、そう公爵夫妻に言われてしまったのだ。
「ええと、その……はい」
みんなの感謝の思いが、ひしひしと伝わってくる。そのことにちょっぴり照れくささを覚えつつうなずくと、ステファニーは小さく声を上げて笑った。とても嬉しそうだ。
それにつられるように、ハーヴェイとエドガーまで笑い出す。
みんなの笑い声を聞いていたら、なんだかおかしくなってしまった。そうして私たちは、真夜中の廊下で和やかに笑い合った。前を歩くシオンお父様とダミアンさんが、ちらりと笑顔でこちらを振り返っていた。
「そういえば、私たちは眠り薬を盛られていたみたいなんだ。君たちは大丈夫かな? というか、よく客間を抜け出して屋上まで逃げ出せたね」
私たちの笑い声が止んだ頃、お父様がみんなにそう尋ねた。その言葉に、ダミアンさんがすぐに答える。
「ええ。私たちが屋上まで避難できたのは、たぶんあなたのおかげですよ、シオン」
お父様のおかげというのは、いったいどういうことだろうか。お父様と二人、顔を見合わせて首をかしげる。
私とお父様が離れにたどり着いた時には、もうみんなは屋上に避難していた。みんなを屋上から降ろしたのはお父様だけど、屋上までの避難には手を貸していない。
そんな私たちを見て、ダミアンさんは愉快そうに言葉を続けた。
「先日、最近疲れやすくてとぼやいたら、あなたは私のために薬を作ってくれたでしょう。私はあれを、毎晩かかさずに飲んでいたのですよ」
「ああ、体にたまった良くないものを抜く、あれだね。疲労にはよく効くんだ。ちょっとした毒消しにもなるし……あっ、そうか」
そこまで話して、お父様がぴたりと動きを止め、それから苦笑した。ダミアンさんもにこりと笑い、お父様と視線を見かわす。
「きっとその薬が、眠り薬を中和してくれたのでしょうね。逃げ場がなくなる前に、私は目覚めることができました。そうしてみなを起こして、移動したのです」
「もっとも、入り口につながる廊下はもう炎でふさがれていたんですの。ですからわたくしたちは、屋上に逃げました。きっとユリやシオン様が、助けに来てくださると信じて」
ステファニーがほっとした顔で言い、ハーヴェイが疲れた様子で肩を落とした。
「しかし正直、生きた気がしなかった……あの汽車の時に、お二人の力は見ていたが……それでも、あまりに炎が激しかったからな」
「僕は、炎の向こうにシオン殿の姿が見えたことに驚きました……様々な術を使えると聞いてはいましたし、実際に不思議な光や霧は目にしましたが……まさか、空を舞うことができるなんて」
エドガーはまだ夢を見ているような顔をしている。うっとりと目を細めて、彼はつぶやく。
「しかも、僕たちを抱えて飛べるだなんて……こう言うと誤解されるかもしれませんが、得難い体験をしました」
「わたくしも、そう思いますわ」
「俺もだ」
ステファニーとハーヴェイも、やはりうっとりとため息をついていた。
成人した天人は、みな空が飛べる。子供の天人も、大人たちに抱えられて飛ぶ機会は多い。だから私たちにとって空を飛ぶということは、ごく当たり前のことなのだ。
けれど人間にとっては、まず一生縁のない体験なのだろう。三人の表情を見ていると、そう思う。
ただ、いつか人間たちはきっと、空へと進み出るだろう。あの汽車を作り上げたように、空を舞う乗り物を作り上げてしまうに違いない。
そんな思いをそっと胸に秘めて、お父様のほうを見た。お父様も優しく笑って、うなずいてくれた。
そうして、みんなでジャスミンの部屋にたどり着く。窓辺の机の上に置かれた銀の小鳥が、月の光を受けてきらきらと輝いていた。
「ジャスミン、あなたのおかげでみんな無事よ、ありがとう」
私の呼びかけに答えるように、空中にふわりとジャスミンが姿を現す。けれどその姿は、いつもとは違っていた。
生き生きとしていた青い目はぼんやりと眠たげで、あらぬところを見つめている。元から透けていた彼女の姿が、さらに薄れていた。
いつになくうつろな表情で、彼女はのろのろと私を見る。
『良かった……頑張った、かいが……あった、わ』
「ど、どうしたの? 具合が悪そうだけど……」
『あなたを起こそうとして、ちょっと……無茶をしたから……あなたたちの薬でもらった力を、使い切っちゃった、みたい……』
「ジャスミン、大丈夫か!?」
エドガーがジャスミンに駆け寄り、手を伸ばす。けれど彼の手は、彼女の体を素通りしていた。
『お兄様……私、そろそろ……本当に眠る時が、来たみたい』
「でも、シオン殿にまた薬を作ってもらえば……」
『もう、駄目なの……私自身に残された力が、なくなっているの……意識が空気の中に溶けていくような、そんな……眠りが、きているの』
ジャスミンが半ばほど目を閉じて、切れ切れにつぶやく。ばっとお父様のほうを振り返ると、お父様は難しい顔をして首を横に振っていた。
前にジャスミンを目覚めさせるのに使ったあの薬は、魂が持つ力を引き出すものだ。魂そのものの力がなくなってしまえば、もうあの薬ではどうしようもない。
それが分かっていてもなお、私は叫ばずにはいられなかった。
「お父様、ジャスミンを助けてください!! 他にも、薬はありますよね!!」
「……ユリ。彼女はもうとっくに、死んでいるんだ。その魂は天に帰らなくてはならない。こうやってここに留まっていることのほうが、不自然なことなんだ」
「でも、でも!!」
『……いいのよ、ユリ……こうやってあなたと会えて、お兄様とも話せた。オイジュスの未来も、もう心配ない……思い残すことは……ないわ……』
「嘘よ!!」
ジャスミンの言葉を、すぐに否定する。その拍子に、涙がぽろりとこぼれた。
「もし私があなたの立場だったら、心残りでいっぱいになるわ! お父様のこと、友達のこと! もっと生きたかった、もっとみんなと一緒にいたかった、って!」
『……そうよ。でも、どうしようもないもの……お願い、ユリ……困らせないで……』
エドガーがそうしたのと同じように、泣きじゃくるジャスミンに手を伸ばす。そうして、目を丸くした。
ジャスミンに、触れられる。彼女の体は透けていて、重さを全く感じさせない。でも確かに、彼女の体に触れている感触がある。
「……あなたの力がもう残ってないというのなら、私の力をあげる。私たちは双子だもの、きっとできるわ」
そう宣言して、ジャスミンを力いっぱい抱きしめた。そのとたん、急に目の前が真っ暗になった。