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34.ひとまず、これで一段落かな

 そうしてお茶会も終わり、私たちは客間に引き上げてきた。もちろん、公爵夫妻とメイナードは来ていない。


 全員部屋に入って扉を閉めたとたん、あっちこっちからため息が聞こえてきた。やれやれ、どうにかなってよかったよという、そんなため息だ。


『ああ、何とか成功したわね。ユリ、私の振りをするの、とてもうまかったわ』


「ありがとう、ジャスミン。あなたも、公爵夫妻の説得お疲れさま」


『ふふ、私も頑張ったもの。そういえば、シオン様の術も見事だったわ。舞う光、不思議な霧……あんな時じゃなかったら、見とれることもできたのに』


「褒めてくれてありがとう。とはいえ、あれは祭りの時の演出くらいにしか使わない術なのだけれどね。綺麗で幻想的、ただそれだけのものだから。ああそうだ、ステファニー、ハーヴェイ殿」


 シオンお父様が、少し心配そうな顔で二人のほうを振り向く。


「薬の効果はきちんと中和できているかな? 眠かったり、だるかったりはしていないね? 君たちは特に、薬を多く吸い込んでいるから」


「いえ、大丈夫ですわ。薬をまく順番を間違えはしないかと、それだけがちょっと怖かったですけれど。ふふ、うまくいってよかった」


「ああ、ステファニーさんもか。実は俺も、うっかり解毒剤を先にまきそうになって……」


 ステファニーとハーヴェイは、苦笑しながらそんなことを話し合っている。そこにダミアンさんが、ほっとしたような顔で口を挟んだ。


「私も緊張しました。この作戦は、公爵夫妻が薬でぼんやりしている間にたたみかけなくてはなりませんからね。うっかり使用人が部屋に近づきはしないかと、冷や冷やしました」


「僕だけ何もしていないようで、少し申し訳ないです」


 苦笑するエドガーに、みんなの視線が集中する。公爵夫妻が万が一にも不審がることのないように、彼には最低限の役目だけを割り振ったのだ。最後に私を抱き留めるという、それだけを。


『お兄様の出番はこれからよ。このオイジュス家を、よろしくね』


 ジャスミンの言葉に、みんなが一斉にうなずく。エドガーはみんなを見渡して、短く答えた。


「ああ、任された」


 そして、客間に静寂が満ちる。やがて誰からともなく、笑い声が上がり始めた。


 温かな笑い声を聞いていると、ああ、やっと終わったのだというほっとした思いが胸に満ちていった。




「さて、これでオイジュス家の危機も乗り切れそうだね。それで、君はいつここを発つつもりかな? 君の旅なのだから、君が好きに決めるといいよ」


 その日の夜、私とお父様はローズの部屋でのんびりと話し込んでいた。


 もう一緒の寝台を使うことにもすっかり慣れてしまって、お互い寝間着で好き勝手に寝転がっている。


「ただ……あまり長居すると、また誰かが君の命を狙ってこないとも限らない。結局、汽車や毒矢の件の黒幕は、分かっていないのだし」


 誰かが私を、ローズを消そうとしている。それはオイジュス公爵夫妻に立ち直ってほしくない誰か、オイジュス家の直系の娘を邪魔だと思う誰かのしわざなのだろうと、みんなの意見はそう一致していた。


 しかし結局、それが誰なのか突き止めることはできなかった。かといって、そういったことをしそうな人物に心当たりはありませんかと公爵夫妻に尋ねる訳にもいかない。


 私が命を狙われているかもしれないということを知ったら、あの二人がどんな行動に出るか分からない。


 だから、今の私にできることは、さっさとここを立ち去ることだけだった。


「そうですね……数日様子を見て、エドガーがここでやっていけると確信したら、すぐにでも」


 しかしお父様は、ちょっぴり難しい顔をして小首をかしげた。ゆるく束ねた髪が、さらりとこぼれてなんとも色っぽい。


「本当に、それでいいのかな。長居はしないほうがいいと言っておいてなんだけれど……君は、もっとここにいたいのだとばかり思っていたよ。ジャスミンと、すっかり仲良くなったようだし」


「……はい。できることなら、ジャスミンとはもっと話したい。確かに彼女は、私の片割れなのだと、そう思えますから」


「だったら、遠慮しなくていい。公爵夫妻は、いくらでも君を滞在させてくれるだろうし。里に戻るのが遅れても、一向に構わないのだし。それに私が全力で、君を守るよ」


「でも」


 のんびりと話しているお父様から目をそらし、うつむく。


「……ここにいると、自分が誰なのか……分からなくなっていくんです。私は人間の生まれなんだって、とっくの昔に納得しているつもりでした。同時に私は、それでも自分は天人なのだと、そうも思っていました。人間なんかになりたくない、そう思っていましたから」


 寝台にかけられているシーツは、とてもつややかだ。驚くほどしなやかで美しい、寝具にするのがもったいないくらいの品だ。その輝きをぼんやりと見つめながら、静かにつぶやき続ける。


「この旅に出てから、ずっと天人と人間の違いを目にしてきました。最初の頃は、人間って面倒だなって、そんなことばかり考えていたのですけれど」


 お父様は、何も言わない。どんな表情をしているのか気になったけれど、そちらを見る勇気はなかった。


「でも、少しずつ人間を見直していって、天人も人間もそう変わりはしないのだなって、そう思うようになって……」


 人間は、身分に縛られている。荒くれ者なんてものまでいるし、こちらの世界は平和とは程遠い。


 でも人間は、汽車を走らせた。それだけではない。驚くくらい大きな石の城を建てたし、このシーツのようなぜいたく品を生み出してみせた。それも、術の助けを借りずに。


 文化はまるで違うけれど、人間にも優れたところはある。そう実感したことで、私の中には迷いが生まれてしまったのだ。


「そのせいで、分からなくなってしまいました。私が誰なのか。私は何になりたいのか。……ここにいると、私は自分が人間なのだと、強く思い知らされるんです。早く、天人のユリに、戻りたい……何も悩むことなく、里で静かに暮らしていたい……」


 次の瞬間、ふわりと温かさに包まれた。


「君は君だ。今確かにここにいる、私の大切なユリだよ。それで、十分だろう?」


 私をしっかりと抱きしめて、お父様は穏やかにささやく。子供の頃、嵐や雷を怖がる私を、よくこうやってお父様はなだめていたなと、そんなことを思い出す。


「生まれがどうとか、そんなことはどうだっていいんだ。君が何者でも、君がどうなろうと、私は変わらずに君を愛しているから。君はこの世でたった一人の、私の最愛の人だよ」


「お父様……」


「そう。私は君の父親で、君は私の娘だ。私たちが共に過ごした時間は、何があろうと消えてなくなりはしない」


 目の前に見えるのは、ただお父様の体だけ。うんざりするほど豪華な部屋も、おそろしく美しいシーツも、何も見えなくなっていた。そのことにほっとしながら、お父様の胸にそっともたれかかる。


「……そうですよね。私はお父様の娘です。天人とか人間とか、そんなの関係ないんですよね」


 ふふと笑うと、私を抱きしめているお父様の腕がほんの少しこわばった気がした。


 なんだか様子が変だなと思いながら顔を上げると、すぐ近くにお父様の顔が見えた。やけに深刻そうな表情だ。


「どうしたのですか? もしかして、何か問題でも……」


「いいや、ないよ。いや、あるかな」


「どっちですか。分かるように説明してください、でないと不安になってしまいます」


「それは困るな。仕方ない、話すしかないか」


 お父様はさらに私をぎゅっと抱きしめて、しばらく考え込んでいた。それからぽつりぽつりと、慎重に言葉を紡ぎ始める。


「そうだね……君は私の娘だ。でも、娘でなくなるというのなら、それはそれでいいのかもしれない。そんなことを、考えてしまったんだよ」


「あの、娘でなくなってもいいって、それって……」


「悪い意味ではないよ。娘だろうと娘でなかろうと、私は君を手放すつもりはないから」


「……なんだか、よく分からないんですけど」


 お父様は一体、何を言おうとしているのだろうか。分からないことだらけだけれど、ひとまずこれからもお父様と一緒にいられる、それだけは確かなようだった。


「……でも、私もお父様のことが好きです。子供みたいですけど、こうやって一緒にいられて嬉しいです」


「ふふ、確かに子供だね。なんとも無邪気だ。旅に出た頃の君は、もう一人前なのだとずっと肩ひじ張っていたというのにね」


 そう言って、お父様は私の髪をなでた。大きくて優しい手の感触に、自然と笑みがこぼれる。


「私、やっぱり子供でした。あの頃、もう一人前だから、独りでできるからとお父様を突っぱね続けていたことが恥ずかしいです」


「それを自覚できたということは、君はより一人前に近づいたということだよ。ふふ、いいことだ」


 ついさっきまで胸につかえていた重い気分は、もうすっかり消え去っていた。お父様と二人、くすくすと笑い合う。


 結局私たちは、それからしばらくの間そんな他愛のないことを話していた。いつここを発つのかは、もうちょっとのんびりしてから決めてもいいよねと、そう思いながら。




『起きて、起きてユリ! 大変よ!!』


 そうして深夜、ジャスミンの悲痛な叫び声で目が覚めた。

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