33.ささやかな、でも大切な大舞台
そんな話し合いから数日後。屋敷の一室で、私たちはみんなでお茶にしていた。
集まっているのは私とステファニー、ハーヴェイにエドガー。それと、公爵夫妻とその弟であるメイナード。シオンお父様とダミアンさんは訳あってここにはいない。
あと、ジャスミンの宿っている置物もテーブルの上に置いてある。この置物を見ていると、ジャスミンがそこにいるような気分になるんです。そう言ったら、あっさり許可が出た。
公爵夫妻は初め、エドガーが同席することをかたくなに拒んでいた。
それもそうだろう。二人はエドガーのことを、この家を乗っ取ろうとしている敵か何かのように考えてしまっていたのだ。
たぶん最初は、親戚たちのちょっとした親切心だったのだろう。このオイジュス家は、国でも重要な地位にある。そんな家の跡継ぎの座を、いつまでも空席にしておく訳にはいかない。
だから親戚たちは、一族でも優秀なエドガーを、それとなく夫妻に勧めたのだろう。
でも悲しみに暮れていた二人は、その言葉さえも受け入れることができなかった。新たな跡継ぎを迎えるということを、ジャスミンの思い出を踏みにじることのように感じてしまったのだろう。
エドガーの名を出しただけで眉をひそめる二人をどうにかこうにか説得して、このお茶会を開くことに成功したのだ。
あの時の説得は、思い出しただけでもどっと疲れるものだった。なだめすかして、たまに泣き落としも混ぜ込んで。ジャスミンの話を持ち出して同情を誘ったり、私がローズなのだということをそれとなくほのめかしたり。
そうしてどうにか、エドガーが同席する許可をもぎ取ったのだった。
「ユリさんとこうして話ができて、とても嬉しい。この屋敷にも慣れてくれただろうか」
「お友達とこうやってゆっくりお話しするのも初めてね。ユリさんのこと、色々聞かせてちょうだいな」
公爵夫妻はとても上機嫌だ。その隣のメイナードは、相変わらず昼間の幽霊のような顔で、音も立てずにお茶を飲んでいる。
そんな三人に順に目をやってから、おずおずと公爵夫妻に答える。
「はい。その……私はオイジュス公爵家について何も知りませんから、そちらの話も聞かせてください」
そう答えると、公爵夫妻はさらに嬉しそうに笑った。
「ええ、もちろんよ。本当なら、あなたはこの屋敷で育ったはずなのだし、知りたいわよね」
「私たちが離れていた十六年の月日を、少しでも埋められると嬉しい」
二人は私のことをユリと呼んでくれてはいるものの、もうすっかり私のことをローズとして扱っている。
そのことに居心地の悪さを感じながら、礼儀正しくあいづちを打つ。時折ステファニーやハーヴェイ、それにエドガーとちらちらと視線を交わしながら。
ここで私たちがうまくやりとげるかどうかで、色んなものが変わってしまうかもしれない。オイジュス家が持ち直すか、この国が落ち着くかどうか。そんなことが。
もし失敗したとしても、私はそのまま天人の里に逃げ帰ってしまえばいい。あそこまでは公爵夫妻も追ってはこれないし、人間の世界の混乱も影響しない。
人間の世界と天人の里とを分ける高い山脈を越すことができるのは、空を飛ぶ鳥と、成人して飛行の術を身に着けた天人だけだから。
でも、ステファニーやダミアンさん、ハーヴェイ、それにエドガーはそうもいかない。このまま国の乱れが大きくなっていけば、みんなの身にも危険が及ばないとも限らない。
だから、私は逃げない。絶対にやりとげる。そんな決意を胸に秘めながら、公爵夫妻の話に耳を傾ける。ふと、公爵夫人が小首をかしげた。
「あら、何かしら……花の香りのような……」
公爵夫人の言う通り、どこからかふわんと甘い香りがしていた。これは、幕開けの合図だ。公爵夫妻を説得するために私たちが準備した、一風変わった劇の。
この甘い香りの出所は、ステファニーとハーヴェイだ。二人はこっそりと香り袋を隠し持っていて、公爵夫妻の隙をついて中の粉を少しずつ床にまいていたのだ。
そしてこの香りには、かいだ者をぼんやりとさせる効果がある。半分くらい夢を見ているような、そんな状態にさせるのだ。お父様特製の薬で、とても良く効く。私たちは前もって解毒剤を飲んでいるので大丈夫だ。
ちなみに劇の途中で邪魔が入らないように、部屋の外でダミアンさんが人払いをしてくれている。
公爵夫妻とメイナードの目がとろんとしてきた。その背後では、ひとりでにカーテンが閉まっていく。それと気づかないくらいに、ゆっくりと。
こちらはお父様のしわざだ。お父様はお茶会の準備の時からずっと、隠し身の術を使って部屋の片隅にひそんでいるのだ。
この劇をさらに印象的にするために、お父様はここから術を使ってあれこれと細工をすることになっている。
もっともそのために、エドガーにまで私たちの正体を明かすことになってしまったけれど。成人の儀の旅はまだ半分も終わっていないのに、天人について話すことになったのはこれで二人目だ。
もしかして、他の天人のみんなもこんな風に、旅をする間あちこちで正体を打ち明けてしまっていたのかもしれないな。
ひょっとすると、天人のことを知る人間が、意外とたくさんいるのかもしれない。みんな口をつぐんでいてくれているだけで。
そんなことを思いながら、部屋の様子を見守る。薄暗くなった部屋の中を、蛍のような光がふわふわと飛び交い始めた。こちらもお父様の術だ。
とても幻想的な光景に、ステファニーがほうと感嘆のため息をもらしている。
その光たちは、少しずつ私のほうに集まり始めた。私は柔らかい光に包まれながら、ゆっくりと立ち上がる。
目を伏せて、表情を消して、この世の者ならぬ雰囲気を出そうと努力する。いよいよ、私の出番だ。
『……お父様、お母様』
「ジャスミン!?」
ぼんやりとしていた公爵夫妻が、食い入るような目で私を見た。今の言葉は、私が言ったのではない。テーブルの上の置物の中にひそんだまま、ジャスミンがささやいたのだ。
今回の劇の目的は、エドガーをオイジュス家の跡継ぎとして認めさせること。そのためには、ジャスミン本人が夫妻と話し、彼女の口から頼み込むのが一番だろうとみんなの意見は一致した。
けれど生きている時と同じ姿をした幽霊のジャスミンは、夫妻にとっては刺激が強すぎる。下手をすると、必死にジャスミンを追い求めるようになってしまうかもしれない。
だから、ジャスミンが今もこの世にとどまり続けていることを、今の二人に知らせないほうがいい。
知らせるとしたら、エドガーが跡継ぎとしてある程度うまくやれるようになり、オイジュス家や国が落ち着き始めてからのほうがいい。
それらのことを考え合わせて、私はこんな演技をすることになったのだ。
今この時だけ、ジャスミンは天から降りてきて私に乗り移り、私の口を借りて夫妻と話す。そういう設定だ。
正確には、ジャスミンの言葉に合わせて、私がそれらしく口を動かしているだけなのだけれど。多少とちっても、夫妻は薬のせいでぼんやりしているからごまかせるだろう。
『ええ、そうよ。ローズの体を借りて、話しているの』
涙を流しながら、夫妻が立ち上がる。その二人をたしなめるような視線を送って、また口を開いた。
『お父様、お母様。お父様たちはいつも私に、オイジュスの一員としての誇りを持てって言っていたでしょう? それなのに、このありさまだなんて。空の上から、ずっともどかしく思っていたの』
「だったら、ジャスミン、ずっと、ずっとここへいておくれ……幽霊でもいい、お前にそばにいてほしい。そうすれば、私たちはまた立派に生きていける……」
『駄目なのよ、お父様。私は死んでしまったの。この地上は、もう私の居場所ではないの』
「そんな、ねえ、お願いよ……」
『それよりも、二人に頼みがあるの。私が死んだせいでオイジュス家が、この国が傾いたなんてことになったら、私、地獄に落ちてしまうわ』
ジャスミンの普段のしぐさを思い出しながら、その言葉にふさわしい表情を作っていく。
簡単なようで、意外と難しい。しっかり練習したおかげで、今のところ大きなぼろは出ていないと思う。
『だから、お願い。オイジュスの家を継ぐ者を、きちんと決めて』
「でもそれでは、お前の思い出が……居場所が……」
『なくならないわ、お父様。あのね、語り継いでほしいの。私が確かにここにいたんだって、代々の当主たちへ。そうすれば、ずっとここが私の居場所になるから。何十年も、何百年もずっと、ずうっと』
「ジャスミン、ええ、そうするわ。あなたの願いだもの、絶対にかなえてあげる」
手を取り合って涙しながら、公爵夫妻が大きくうなずく。
薬でぼんやりしているからか、お父様が追加で生み出した幻想的な霧に戸惑っているのか、二人はこちらに近づこうとはしなかった。ただ食い入るように、私の顔をじっと見つめ続けている。
その表情を見ていたら、こんな手の込んだ仕掛けを用意したことが、真実を伏せていることが、ちょっと後ろめたく思えた。
でも、ここまできたら止まれない。さあ、いよいよ仕上げだ。気持ちを切り替えて、にっこりと笑う。
『お父様、お母様。もう一つ、お願いがあるのよ』
「何だいジャスミン、何でも言ってごらん」
「ええ、私たち、何でもするわ。あなたのためですもの」
『その……跡継ぎをね、エドガー兄様にしてほしいの』
ジャスミンがそう言って、私がエドガーのもとにそっと歩み寄る。エドガーは無言で立ち上がり、私を見つめた。
『お兄様は優秀だし、私のことをたくさん知っている。お兄様なら、オイジュスの当主としての仕事も務められると思うし、それに私のことを次の当主にいっぱい伝えてくれるわ。それこそ、お父様やお母様が知らないことだって』
「そ……それは、確かに……」
「そうね、あなたたちは小さな頃から仲が良くて……まるで、本当の兄妹みたいで……」
「……認めるしか、ないのだろうな。それがお前の望みなのだから」
『ありがとう、お父様、お母様。……そろそろ、時間みたい。私はまた眠るけれど、もしかしたら、また会えるかもしれない。だからどうか、元気、で……』
少しずつ弱々しくなっていくジャスミンの声に合わせて、ふらりとよろめく。気を失った演技をした私を、エドガーがすかさず抱き留めた。
何度も練習したし、エドガーが受け止めそこなったらお父様が術でどうにかする予定だから、心配はしていなかった。
けれどやっぱり、お父様以外の人に抱きしめられるのは落ち着かない。
思わず体がこわばりそうになるのをこらえて、ぐったりと倒れこんだ。
目を閉じているので良く分からないけれど、もう霧は消えているはずで、カーテンもまた開いているはずだ。そしてステファニーとハーヴェイは、すかさず解毒剤の粉をふりまいているはずだ。
「ジャスミン、ジャスミン!」
すぐ近くで、公爵夫人の声がする。ゆっくりと息を吐いて、そろそろと目を開ける。目の前にいた公爵夫妻に、小声で呼びかけた。
「ん……公爵様、奥方様……」
その一言で、今の私がジャスミンではなくユリだと理解したのだろう。二人の顔に、がっかりした色が広がっていく。ぼんやりした表情を作って、弱々しくつぶやいた。
「何が……あったのでしょうか……お茶を飲んでいたはずなのに、急に気が遠くなって……」
「……ジャスミンが、来ていたのよ」
「そうして、私たちの跡を継ぐ者が決まった。今君を支えている、エドガーだ」
「そう……だったのですか」
ことさらに寝ぼけたような口調で答えながら、内心ではほっと胸をなでおろしていた。どうにか、やりとげた。
ゆっくりと視線を走らせると、エドガー、ステファニー、ハーヴェイと目が合った。みな無言で微笑み、小さくうなずきかけてくれた。
その時、メイナードの姿が目に入った。この劇の間座ったまま一度も動かなかった彼は、目を見開いたまま、呆然と宙を見つめていた。
その姿は、まるで燃え尽きた小枝のようだった。少しでも触れれば崩れ落ちてしまいそうだと、そんなことを思わずにはいられなかった。
どことなく不吉なものを感じさせるその姿から目をそらし、エドガーの手を借りて立ち上がる。今は、この成功の喜びに浸っていようと、そう思いながら。