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3.文化の違いに振り回されて

 その日は宿でのんびりとくつろいで、次の日私たちは連れ立って出かけていた。


「せっかく貴族の身分で来ているのだから、平民の身分では立ち入れないところに行ってみよう。君にも、いい勉強になると思うよ」


 そんなシオンお父様の提案により、私たちは貴族が集まるサロンとやらに向かっていたのだ。宿の馬車を借りて、町中を走る。


「貴族ばかりがいる場所ですか。……あの、私たちの身分……大丈夫なんですよね? 昨日、つてがどうとか……」


 一応、男爵令嬢として名乗るべき家の名は教えられている。その名前を出せば、問題なく貴族として旅ができるから、とも。


 でもやはり、こうして本物の貴族たちが集まっているところに顔を出すのは怖かった。自分一人なら、サロンになんて絶対に向かわなかっただろう。


「ああ。問題ないよ。君は私の隣で静かに微笑んでいてくれれば、私がきちんと丸く収めるから。任せておいで」


「……納得がいきません……私の旅なのに」


「だから、君が肩ひじ張って頑張る旅ではなくて、君が色んなものを見聞きする旅なんだよ。ほら、笑って笑って」


「……もしかしてお父様、楽しんでませんか?」


「おや、ばれてしまったね」


 お父様は愉快そうにそう言うと、こっそりと鼻歌を歌い始めた。


「お父様、歌はやめてください」


 なんでも軽々とこなしてしまうお父様だけれど、面白いことに歌だけはからきしだった。今の鼻歌も、どちらかというとお腹が痛い牛のうめき声のように聞こえた。


「好きなんだけれどね、歌うのは」


「下手の横好きです」


「厳しいね、ユリは。でもはっきりものの言える子に育ってくれて、私は嬉しいよ」


「もう、お父様ったら。最近そんなことばかり」


「だって、本当に嬉しいのだからね。気持ちはちゃんと言葉にしなくては」


 小声でお喋りをしていると、馬車が停まった。どうやら、サロンとやらについたらしい。私たちはうなずき合って、馬車を降りていった。




 そこは宿よりもさらに豪華で、驚くほどたくさんの装飾が辺りじゅうを埋め尽くしている空間だった。


 広間にはいくつもテーブルや椅子が置かれ、着飾った男女がお茶を飲みながら小声で談笑している。


 私とお父様が広間の入り口に立つと、人々は話を止めてこちらを見た。礼儀正しい、しかし興味を隠しきれていない視線に、思わずたじろいでしまう。


「こちらへどうぞ、ウラノス様」


 サロンの従業員が私たちの仮の家名を口にして、私たちを空いたテーブルに案内する。すぐに、お茶とお菓子が一式運ばれてきた。


「おとう……お兄様、これ、本当に食べ物ですか?」


 目の前に並んでいるお菓子は、どれもこれも一口で食べられるくらいに小さく、そしてとっても可愛らしかった。お菓子というよりも、今身に着けている髪飾りやブローチに似ている。


「ああ、もちろん。見た目だけでなく、味も素敵だよ」


 優雅にお茶を飲みながら、お父様はひときわあでやかににっこりと笑った。周囲のテーブルの女性たちが、ほうとため息をもらしているのが見える。


 お父様は里でも目立つほうだったけれど、ここでもやはり大いに目立っているようだった。特に、女性の注意を引いているように思える。


 女性たちの反応も気になるけれど、今はお菓子のほうがもっと気になっていた。どうやら手でつまんで食べてもいいもののようなので、精いっぱい上品に、一つ食べてみる。


「甘い……ふわふわで、果物の香りがして……とっても繊細で、優しい味がします……」


「面白いだろう? さあ、もっとお食べ、ユリ。私は君の笑顔を存分に堪能するから」


 お菓子はとってもおいしかった。里のお菓子もおいしいけれど、これは材料から作り方から、まるで違うもののようだった。何をどうやったら、こんなものが作れるのだろう。


 ついつい、夢中でお菓子を食べてしまう。お父様はそんな私を、青紫の目を糸のように細めて見守っていた。


 ふと、お菓子をつまむ手が止まる。いつの間にか私たちのテーブルに、一人の若い男性が近づいてきていたのだ。貴族らしく優雅な足取りの彼は、やけに堂々とした笑顔で私の隣に立つ。


「初めまして、麗しきお嬢さん。俺はハーヴェイ。アンテロース伯爵家の者だ。良ければ、君の名前を教えてほしい」


 優雅なのに妙に押しの強い彼の態度にぽかんとして、とっさに言葉を返し損ねる。それを見かねたのか、お父様が口を挟んでくれた。


「こんにちは、ハーヴェイ殿。私たちはウラノス男爵家に連なる者ですよ。私はシオン、こちらは妹のユリ」


「シオン殿に、ユリさんか。お二人によく似合う名前だ。野の花のように可憐で、空を舞う鳥のように優雅なお二人に。今日この場であなたがたに出会えたことを嬉しく思う」


 きざな口調でそう言ったかと思ったら、ハーヴェイは私の手を取って、その甲にそっと唇を触れさせた。


 とんでもない事態に、背筋に寒気が走る。ぎりぎりのところで身震いをこらえることはできたけれど、顔が引きつるのを止めることはできなかった。


「おや、ユリさん。どうしたのだろうか? そんな憂い顔も、とても美しい」


 彼のふるまいも言葉も、完全に私の理解を超えていた。天人たちは夫婦であっても、人前でこんなことはしない。


 混乱してただ固まる私の顔を、ハーヴェイが心配そうにのぞきこんでくる。


「ああ、ハーヴェイ殿、妹は人見知りなのですよ」


 すかさずお父様が割って入り、それからハーヴェイと何事か話していた。


 私は相変わらず頭が真っ白のまま、二人が何を話しているのかが右から左へ抜けていくのをぼんやりと感じているだけだった。




「あああ、気持ち悪い……思い出すだけで、気持ち悪い……初対面の女性に、なに、なんなの、あれ」


 サロンを出て宿に戻った私は、そんなことをつぶやきながら鳥肌の立った腕をさすっていた。ハーヴェイに触れられた手は、既にせっけんでしつこく洗ってある。


「君には少し刺激が強かったかもしれないね。でも人間たち、特に貴族にとって、あれくらいは気軽な挨拶でしかないから」


「ううう、信じられない……」


 お父様は相変わらず優雅に笑っていたが、ふと何かを思いついたように私のそばに寄ってきた。


「里では、他の者と触れ合うことはあまりないからね。特に、人前では」


 そう言いながら、お父様は腕を伸ばす。そのまま、私をしっかりと抱きしめた。とても優しく、ぴったりと寄り添うように。


「おっ、お父様! 駄目です!」


「どうして? 昔はよくこうしていただろう? それに、ここは里ではないからね。こちらではこれくらい、普通のことだよ」


「私ももう年頃の女性ですし、それに、やっぱりまだ慣れません!」


「だから、君が慣れていけるように手伝ってあげようと思ってね」


 お父様はまた、自分の要求を見事に通してしまった。仕方ないなあとあきらめつつも、そうやってお父様と触れ合っているのは、思いのほか幸せな心地でもあった。


「こうやって君に触れていると、幸せだね」


「ええと……まあ……それなりに」


 照れ隠しにそう答えると、お父様はくすくすと笑った。それから私の顔を、間近でのぞき込んでくる。


 そしてこともあろうに、私の頬に唇を寄せた。一瞬遅れて、心臓が全速力で走り出す。


「おおおおおとうさま、いったいなにを」


「こちらでは親愛の情を、こうやって表すんだよ。親子、友人。そんな間柄の者たちがね」


 混乱し切って頭を振ると、私の淡い金の髪がお父様の顔に触れた。そのことにまた動揺して、とにかくお父様の腕から逃げ出そうともがく。


「そう暴れられると、さすがに傷つくね。そんなに私が嫌かな」


「い、嫌じゃないですけど、その、あの」


「だったらもう少し、こうしていよう。君に嫌われていなくて良かった」


 結局お父様は、たっぷり一時間は私を抱きしめたままでいた。なんというか先が思いやられるなあと思いながら、私はおとなしくされるがままになっていた。

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